第56話 イラっと来たので――

◇◇◇


「き、君は。どうしてここに!? これは一体――」


「どうしてもこうしてもあるかクソが。ったく少しは子供を思う心ってもんが残ってると思ったらとんだ見込み違いだな」


「ええ、まったくですわね。どことは言いませんがしのぶさんと決定的に違う部分が一つあるというのに……本当に娘のことを何も見ていなかったのですわね」


 ゆったりと舞台袖から現れる役者の高飛車な声が響いたかと思えば、眩い世界にヒールの音がカッと落ちた。


「ごきげんよう順太郎さん。例の顔合わせ以来ですわね」


「り、凛子さん。どうして貴女がここに!?」


「どうしてもこうしてもここはわたくしの所有するビルですのよ? そこのつるぺたの甘言に踊らされて少し協力しているだけで、わたくしがここにいることに何の不思議もありませんわ」


「僕が言いたいのはそういう事じゃない!! なんで秘匿機関所属の貴女が『そちら』にいるのかと聞いてるんだ!!」


「そうですか? わたくしとしては貴方がここにいることの方が不思議に思えてなりませんけど」


 煽るような凛子の声に、狼狽える順太郎。


「貴女はいったいなにを……僕にしのぶが攫われたのを教えてくれたのは貴女じゃないですか!? おかしい事なんてなにも――」


「ええ、たしかにわたくしはしのぶさんが何者かに連れ去らわれたことを上司に報告しましたわ。ですがわたくしは秘匿機関専用の暗号回線で連絡したはず――それがどうして貴方にそれがわかりましたの?」


「――ッッ!? そ、それは」


「今更取り繕っても遅いんじゃありませんの? どうなるかと思いきやとんだ茶番でしたわね。まさかこんな低俗な手で本当に成功するとは思いませんでしたけど」


「うるせぇ!! 堕肉なんかにこの芸術的な計画がわかってたまるか。つかノリノリだったろうがお前!! なに一人無関係貫こうとしてんだよ!!」


「まったく自分の策が上手くいったからって騒ぎ過ぎですの、これだから低俗なアニメを愛する野蛮人の考えは理解に苦しみます。……まぁおかげで決定的な確証を得られましたが」


 その凛子の言葉に、初めて図られたと理解した順太郎の肩がワナワナと震え、黒縁の眼鏡を押し上げてみせる。

 その瞳はあの気弱な男のものとは思えないほど、どす黒い怒りが込められていて、


「娘を誘拐したのは君たちの仕業だな。娘に多額の懸賞金が掛かっていると知って――娘を、僕の娘をどこにやった!!」


 幽鬼のように吠えたてる言葉には、どこまでも執念じみた何かが宿っており、的外れな言葉が夜の世界に響き渡る。

 

「おーおー、遂に本性を憚らなくなってきたな。やっぱ猫被ってやがったか」

「だったらなんだ!! あれはわたしの娘だ!! 心配するのは当然だろ。何せ彼女は僕の――」

「大切な金づるなんだから、か?」


 被せるように言葉を吐き捨てれば、うぐっ――と勢いよく回りだしていた舌が初めて絡まった。

 その反応。その狼狽えるような仕草。

 まったくここまでテンプレじみてるとは思わなかった。

 

「はぁあああああ!! まさかここまでクズだとは思ってもみなかったな。いや、思いたくなかったってのが本音か。なぁ凛子」

「ええ、まぁわたくしはすでにこの男の下衆さは理解してましたけど、直に聞くと堪えますわね」

「ひっ――!?」


 バキバキと拳を鳴らせば、卑屈な悲鳴が上がる。


 懐から飛び出す、ワンタッチ式の護身用ナイフ。

 でたらめに振り回されるナイフをいなし、弾き飛ばせば武器を失った順太郎があとづ去るように逃げていく。


「く、来るな!?」

「おいおい、さっきまではあれほど自分からベタベタ近づいてきたくせに来るなとは今更どの口が言ってんだよ。こっちはこの歳になってまで女子高生のコスプレなんて痛い真似する羽目になったってのに――」


 窮屈な制服を脱ぎ捨てれば、白いYシャツが泳ぐようにあおられ、消えていき、その下に現れる引き締まった上半身と痛々しい傷跡を惜しげもなくさらしてやる。


「……脱ぐ必要はあるんですの?」

「ねぇな!!」


 わざわざサービスシーンを提供してやる必要はないが気分や演出ってのは大事だ。


 サラシ姿の極道然とした振る舞いをしてみせれば、恐怖に顔をひきつらせた順太郎が尻餅をつきながら後退りはじめた。


「さぁて、答え合わせの時間だ」


 そうして無理やり胸ぐらをつかみ上げ、立ち上がらせる。


「知ってたんだろ? 幻死症罹患者は金になるって。懸賞金って口走ってたもんな」

「な、なんのことだ。僕はそんな事まったく――」

「隠すなよ。もうネタは上がってんだ」


 突き放すようにして開放してやれば、引き絞るような声から一転。ガハゴホと苦しげなえづきが混じる。

 だが、その目はいつでも隙をついて逃げ出そうという臆病者の目で、


「逃げんじゃねぇ!!」


 ダンと大きく足を踏み込んでやれば、堪らず飛びあがる順太郎の意識を強制的に縫い留める。


 そうだ、この姿勢だ。

 この今日をなんとしても乗り切ろうという姿勢が気に入らなかった。


 はじめっから考えてみれば全ておかしな話だ。


 凛子みたいな幻死症を専門的に活動してるとこならともかく。

 ただ評判がいいという理由だけで素人の便利屋に娘の生死を任せるというのはあまりに矛盾した話だ。


「はじめは止むにやまれず仕方なくみーちゃん床に依頼したんだと思ってた。そりゃ滅多に見られない幻死症だ。どう対処していいのかわからねぇのは当然だし、ただのゴミ掃除の為にみーちゃんとこに依頼したってんならまだ筋は通る。だが――専門家の凛子が登場しておいて、どうしてわたし達に固執するんだ?」


 少なくとも娘を助けたいと願う願う父親のすることじゃない。

 たとえ殴られるのが怖くても、きっぱりと断るべきなのだ。そうしないということはそこにこの男の狙いが隠されている訳で、


 今のテメェの必死さを見てようやくわかったよ。


「つまりテメェはわたしらみたいな素人集団に介入してもらって凛子の仕事をうやむやに邪魔してほしかったんだろ? 依頼失敗という名目で幻死症罹患者の死体を手に入れるために」


「――っ!?」


 凛子に任されちゃ困るよな。

 なんたってこいつらの所には【リブート】つって患者を植物状態にする代わりに『幻死症』の症状を一時的に完全停止させられる技術があるんだから。


 そうなればしのぶの身体は戻ってこない。


 少なくとも――幻死症が完治するまでは。


「しのぶをいいように利用しようとしてたことはわかってんだ。例のストーカー部隊。テメェがしのぶの情報を流してたんだろ?」


「だからどうした!! 娘の体調を気遣って何が悪い!! 彼らは君みたいな野蛮な真似をせず最初から最後まで丁重に扱うことを約束したんだ。たとえ、残された儚い命だろうと今更、部外者がしゃしゃり出てきたところで無駄だ!! その命を僕が利用して何が悪い!!」


 開き直りかよクソが。だがなぁ――


「残念だったな。あいつはもう自分で乗り越えたよ。全部な」


「なっ……!?」


 愕然とショックを受ける順太郎。

 そこは喜ぶところだろうが。


「……パパ、もうやめよう」


 すると突然、やってきたしのぶの声に驚いた順太郎が暗がりの奥に視線をやる。

 そこにはみーちゃんに寄り添ってもらう形で守られているしのぶの姿があり、

 

「違う。違うんだしのぶ。これは誤解で――、そう、僕は彼女らにはめられて」


 明らかな狼狽が浮かび上がり、しどろもどろに言い訳を重ね始めた。

 眼鏡がずり落ち、自分の足で踏むが気付いていない。


「一緒に、一緒にやり直そう。まだ僕らは上手くやれるはずだ。だって僕らは親子だ。助け合わなくちゃいけないんだ。そうだろ? 母さんが死んだ時だって――僕はお前をずっと支えてきたじゃないか、なぁしのぶ」


「違う。違うよパパ。パパは――おかあさんを愛してたんじゃない。パパはおかあさんの後ろにあるお金が欲しかったんでしょ」


「しのぶ!! お前はなんてことを――」


「だったら!! だったらなんでおかあさんが病院に入院してから一回もお見舞いに来なかったのよ!!」


 悲痛な叫びがビルの屋上に木霊する。


「おかあさんがもうすぐ死ぬってわかってたからお見舞いにに来なかったんでしょ!! おかあさんが死にそうだった時、お父さんは一体どこにいたの!? 女の人に会ってたんじゃないの!!」


「違う。違うんだしのぶ。これには深いわけがあって――」


「口答えすんな!!」


「ぶべらっちょッッ!!!?」


 あまりにもお粗末すぎる言い訳に血管がプッツン切れた。

 たとえ満身創痍でもクソ野郎をぶん殴るくらいの力は残ってる。


 振り返ってガッツポーズを取れば、ポカーンと大口をあけるしのぶの姿が。

 まだ、現実を受け止めきれていないのだろう。

 かわいそうに――。

 すると数秒して意識が戻ってきたしのぶはパシパシと目を瞬かせ――

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