第55話 初めての共謀



 夜。

 満天の星空が二つに分かたれる世界の屋上で、一人の『娘』がイキイキとした表情を浮かべて『星空』を見つめていた。


 人の道行きを照らすように輝く星の光はなにも夜空だけとは限らない。

 人の営みが灯す眩いばかりの『星』明かりもまた、多くの命が生きてきた奇跡のような足跡ともいえ、


「きれいですね」


 ポツリとしのぶの口から零れる言葉は涙に濡れていた。


 夜空から降りしきる星明かりがうっすらと娘の肌を照らし、地上から照らし出される営みの明かりが眩く都会の街をしのぶの瞳に焼き付ける。


 わたしとしてはこの幻想と現実が入り混じった夜の世界なんかより、この欺瞞に満ちた世界をありのまま映し出すお前の瞳の方がよっぽど綺麗だと思うのだが――当然そんなこっぱずかしいことを口にできるはずもなく、頷く形で静かに同意してやった。


「まったく、こんな景色を作り出すんだから人間の情熱ってのはすげぇよな」

「そうだね。少し傲慢かもしれないけど、この世界を守れて本当によかった」


 だが、こんな時間が永遠と続けばいい――とはわたしは思わない。


 どんな時にでも終わりというものは来るものだ。


 時計の針を睨みつければ、時刻は夜の十二時を回ろうとしている。 

 もうすぐ約束の時間だ。


「覚悟はいいか」

「うん。もう大丈夫。今日、ここでケリをつけるって決めてるから」

「よし、いい子だ」


 そう言って梳くように茶色い髪を撫であげれば、わたしの胸から娘の温もりが逃げていく。


 どうやら本当に覚悟を決めたらしい。

 その眩いまでの輝きを放つ瞳は、これからどんな結末が起ころうと見届けるという強い意志が込められていた。


「それじゃああのクズ野郎に、最高の落とし前をつけてやろうぜ」


 そう言ってお互い拳を突き合せれば、騒動を聞きつけた誰かがドタドタと階段を駆け上がる音が喧しく聞こえ、


「しのぶッッ!!」


 実の娘の名前を叫び、勢いよく扉が開け放たれる音が響き渡った。


 ここは桐生院財閥が所有するビルの屋上だ。

 凛子に無理を言ってビル内の電源は全てオフにしてもらっている。

 エレベーターを使わず階段を駆け上がってここまできたのなら大した根性だ。


 そうしてどこか上擦るような控えめな『娘』の声が屋上に揺蕩うと――


「そこにいたか、しのぶッッ!!」

『パパ!!』


 感情的な声が上がり、そこで初めて彷徨うその視線が中央に佇む影を捉えた。

 月明かりに照らされる夜。姿ははっきりと見えないがそれでもシルエットから誰なのかだいたいわかる。


 案の定、黒縁の眼鏡を押し上げ、あからさまな喜びの感情を表現してみせる順太郎がドタドタと気色の悪い笑みを浮かべながらこちらに近づいてくるのが見えた。


「あ、あああ!! よかった!! しのぶ、無事だったんだな」


 まったく、ここにいる『全員』がテメェの悪事を理解してるってのに、白々しい演技もあったものだ。

 玉のように浮かんだ汗は一体、どんな意味を持つのだろうか。

 それはわたしにはわからない。でも――


『パパ、どうしてここにッ!!』


「お前が怪しげな連中に捕まって誘拐されたと聞いて飛んできたんだ。大丈夫かどこも怪我していないか。変なことされてないだろうな」


『うん。わたしは平気。でもどうしてここが――』


「パパのお友達から連絡があってな。お前がここにいると教えてもらったんだ。屋敷は半壊してるし、娘が連れ去られるはで焦りはしたが……お前が無事で本当によかった」


 焦りの表情を浮かばせながらペタペタと体を触っては、ほっと息をついてみせる順太郎。

 どうやらそこに立っている娘が『しのぶ』だと完全に認識しているらしい。

 キリッと表情を引き締める骨ばった手が娘の手首をがっしり掴む。


「とにかくここは危険だ。逃げよう。また野蛮な連中がお前を連れ去ろうとするかもしれない」


『どこ行くの?』


「パパの知り合いの所だ。もうお前を一人になんてしない。お前が攫われたと聞いて――僕達の事情を察して匿ってくれるくれる人たちがいるんだ」


 ここまで聞けば本当に娘想いの父親に見えるのだから理不尽だ。


 そうして強引にここから移動しようとする順太郎の手を振り払う娘。

 一瞬その顔が驚愕に彩られるが、


『ねぇパパ。パパはわたしのことを本当に愛してるの?』


 娘の口から放たれた疑問に、父親の動きが僅かにブレたのをわたしは見た。

 でもそれは本当に一瞬のことで、

 逡巡の後に娘の肩に手を置いてみせる順太郎は、いまだ視線を合わせようともしない娘を覗き込むように屈みこむと、力強く頷いてみせた。


「当り前だ。僕はお前を愛している」


『それじゃあのことは――』


「ああ、ママのことは残念だったが僕が彼女に向ける愛は今も変わらない。そしてそれはお前もだ、しのぶ。どんなことがあってもお前を守る。見つけ出してみせる。約束するよ」


『約束……してくれるの?』


「ああ必ず守る。だからしのぶ、いまだけはパパの言うことを聞いて早くここから逃げよう」


 まったく白々しい言葉もあったものだ。

 こんな演技じみた言葉に絆されるのは、中学生までだ。


 だが、悲しきかな。順太郎の前に立つ娘はこういったオタク心をくすぐる言葉に弱かった。


「一緒に逃げてくれるか?」

『うん。パパと一緒ならどこまでも行けるよ』

「そうか、――それなら、よかった」


 ホッと息をつき、儚げに唇を持ち上げてみせる順太郎。

 俯き加減で目元を拭ってみせれば、その仕草を抱擁の合図と受け取ったのか。

 眼鏡を押し上げた順太郎が、駆け寄ってくる娘を迎え入れようと快く両腕を広げてみせた。


「ああ、しのぶ。いままで苦労をかけてすまなかった。これからはパパがついてるからな」


 そして歴史的、感動の名場面が生まれようとしたところで――未成年の娘にしてはやけに大きな手がその細長い肩に置かれ、


「……しのぶ?」

「いっぺん死んで来いクソ野郎!!」


 不思議そうな表情を浮かべてみせるクソ野郎の頬に、『わたし』の無慈悲な鉄拳が炸裂した。


「――ぶべらッッ!!!?」と情けない豚の悲鳴のような叫びをあげ、トリプルアクセルをキメて倒れ込む順太郎。


 その目には明らかな戸惑いが浮かんでおり、なおも被害者面したクソ野郎の間抜け面がわたしのはらわたをニラニラと焼き焦がしていく。


「な、なんで。どうしてだしのぶ!! なぜ僕が、父親の僕が殴られなきゃならないんだッッ!!」

「はっ、この期に及んでまだ気づかねぇとは救えねぇなぁオイ。他所の女の匂いはべらしといて今更、父親面してんじゃねぇよクズが」


 荒々しい言葉遣いが切り裂くように吐き捨てられる。

 それは富岡しのぶなら絶対にしないであろう、礼儀に反した悪党じみた振る舞いで――


「ったく、人生初のコスプレがまさかこんな形になるとは、オタ道を極めるのも楽じゃねぇな」


 そう言って茶色い髪を掻き揚げるような仕草を契機に、カッと眩く光るスポットライトがビルの屋上に降り注いだ。


 バサッと茶色いカツラが宙を舞い、その下から本人の性格を体現したような荒々しい黒髪が零れ落ちる。

 あれほど毛嫌いしたミニスカートがバサバサと怒りを表現するかのようにひざ下で荒れ狂い、都立清女学園の徽章がこれ見よがしにきらりと光った。

 女子高校生にしてはやや上背のある影がまっすぐ、順太郎の方に伸び――


「見え透いた嘘並べ立ててんじゃねぇぞクズが。なにが絶対に見つけ出すだ。全然わかってねぇじゃねぇか」


 吐き捨てるようなわたしの言葉に、順太郎の顔が驚愕に彩られた。

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