第45話 『富岡しのぶ』、ふて寝するッッ!!


◇◇◇


 ああほんと鬱陶しい。何もかもが煩わしいとはこのことだ。

 べたつく汗もさることながら目の前の光景が現実だと思うとなおさらイラついて仕方なかった。

 なにせ――


「ほんとに、一日でやり遂げちゃうなんて」


 きっとお金のために懸命に働いたのだろう。


 朝、あれだけ取っ散らかっていた通りにくかった玄関はすでに元の姿を取り戻していた。


 だったら最初から全力出せよと思ってしまうあたしの心は、相当ひねくれているに違いない。

 でも、これであたしが死のうと死ぬまいと、近所から苦情が飛んでくることはないと思うと少しだけ心が軽くなったのは事実だ。


 そう言う意味ではあの人の依頼は無事に完遂されたと言っても過言じゃないのに。


「なんでまだいるのよ。バカ」


 鍵のかかってあるはずのドアノブがあっさり右に曲がり、へたくそな鼻唄が台所の方から聞こえてくる。

 現に玄関先から漂う香りは、誰かが無断で台所を占領している証だ。


 依頼が終わればそれまでだと言ったのはあっちの方だ。

 今更、余計なお節介を焼いて得するようなことなど彼女にはない。

 決してあたしの為なんかじゃない。そうわかってるはずなのに――


「おう。おかえり。今日はずいぶんと早かったな」


 なんでこんなに懐かしく感じるのよ。あたしの馬鹿……


◇◇◇


「……ごちそうさまでした」


 そうしてしぶしぶ食後の挨拶を済ませれば、正面から満足した息づかいが返ってきた。


 久しぶりにまともな手料理を食べた気がする。

 もちろん、今朝の朝食も久しぶりと言えば久しぶりだけど、今回のものは出来が違う。


 ここ数年はずっと出来合いのものだっただけに、最後の晩餐がこの女の手料理というのはいささか不満で、それでも不覚にも満足してしまった自分がいた。


 あたしとしてはこの後、身辺整理と称して身の回りの物を片付ける予定だったのだが、とんだ邪魔が入ってしまった。


 あたしが自分一人で部屋の掃除なんか始めれば間違いなく異変に気付いた野蛮人が邪魔しに来るだろう。 

 

 でもあたしが明日死ぬためにはこの人の存在は邪魔なわけで――


(やっぱり、これを使うしかないか)


 へたくそな鼻唄を謳いながら皿洗いしている今がチャンスだ。


 鞄の奥からお気に入りの長財布を取り出せば、あたしは悟られないよう慎重に『あるもの』をジッパーの奥を取り出した。


 そう、睡眠薬だ。それもネットで評判のめちゃくちゃ強力なやつ。


 凛子さんのタレコミによると、どうやらこの人は気に入った人間にはとことん脇が甘い性格らしい。


 昨夜、『計画』を遂行する際、宿敵と名高き凛子さんに相談したところ


『飲み物に睡眠薬でも混入させてやれば、嫌でも飲みますわ。根が馬鹿正直なので疑わずにコロッといくはずですわ』


 というにわかには信じられない助言をもらったのだが、この様子を見る限りあながちウソじゃないような気がする。


 なにせ、素人のあたしでもわかるくらい隙だらけだ。


(仕事熱心なとこ悪いけど、ぶん殴られて気絶させられるよりマシでしょ。大人しくコイツで沈んでもらうわ)


 そうして恐る恐る、お気に入りの長財布の奥から取り出した即効性の睡眠薬を飲みかけのコップの中に落とせば、


「ああ、そういやしのぶ。お前、学校の方はどうだった」


 突然、正面から飛んでくる凛とした声が聞こえ、大きく肩が震えた。


 どうやらまだ皿洗い中のようでこちらの様子には気づいていないらしいが、それにしたって心臓に悪すぎる。

 でも、ここで会話が途切れるのはあまりにも不自然すぎるので、あくまで平静を保ちながら仕方なく唇を動かした。


「放っておいてももう長くない人間にそのは話題はどうかと思うんだけど。デリカシーとかないわけ?」


「んなもんあったら、こんな面倒な依頼受けてないっつーの。お前がまともな話題提供しないからわたしが仕方なく喋ってんだろうが、感謝しろよな」


 そう言って似合わないピンクのエプロンで手をふく野蛮人。

 カチャンと皿を水切りかごの上に置いて一仕事終えると、飄々とした態度で振り返ってみせた。


 ……どうやらバレてはいないらしい。


「それで、どうだった学校での自殺は? さぞ愉快な結果になったんじゃねぇの?」


「そんなのお節介だし、というかなんでそんなに殺そうとするわけ?」


「そりゃお前が早く死ねばわたしの懐に金が入ってくるから――ってウソ嘘、冗談、冗談だから空間歪ませるなって」


 せっかくきれいに掃除したってのにまた汚す気かお前!? って恩着せがましく言われてもあたし知らないし。


 どうやってあたしの幻想の発現を感知しているのか。

 大きく慌ててみせる野蛮人は、我がもの顔で対面の椅子を引くとドカリと乙女とは程遠い荒々しさで座ってみせた。


 あとはこの人が目の前の睡眠薬入りジュースを飲むように誘導するだけなのだが、これが結構難しい。

 現に一向に飲みかけのジュースに手を出す気配がない。


「ったく、とんでもねぇクソ餓鬼だなお前は。散らかすだけ散らかして片付ける人間の気持ちなんて全くわかっちゃいねぇ」


「ふん。それがどうしたってのよ。それがアンタの仕事でしょ。そんなに嫌ならさっさとパパに依頼完遂の報告して帰ればよかったじゃない」


「ばっかお前。ただ片付けりゃ終わりって子供のお片付けじゃねぇんだぞ。ちゃんと依頼完了のハンコ貰わないと証明にならないんだからな」


 いや、なんで普段粗野で無神経なくせに、そういうところは几帳面なわけ?

 というより、前から気になってたけど――


「なに、アンタ。そんなにお金ないの?」


「ない。正直に告白すれば、今日の思わぬ出費で今月の食費どころか推しへ捧げる金も尽きた」


「なにそれほんと馬鹿じゃないの。引っ越してきたばかりなのになんでそう無計画に生きていられるのさ」


 前はもやし買うくらいのお金はあるって言ってたくせに。

 いったい何に使ったんだか。


 まったく。お金はもっと計画的に使うものだ。

 それくらい子供のあたしでも知ってるのに。


「ほんとばっかじゃないの。いくらアニメが好きだからって普通そこまでする?」


「好きなもんに全力を尽くすのは普通だろ。それこそ一度好きになっちまえば、本気で死ぬこともできる。お前もねぇのか? こう、死んでもいいから成し遂げてみたいことって」


「そんなものあったらこんなことになってないって」


「やっすい人生だなぁ、おい」


「うっさい! 女児アニメなんかに、ドハマりしてる乙女願望の行き遅れに言われたくないし!!」


「テメェはまたしても言ってはならないことを言ったッッ!!」


 ワタワタと取っ組み合いをするあたしと野蛮人。

 どこにそんな力があるのか、どうあがいても勝てないのが悔しい。


 顔をアイアンクローされてあたしの身体が宙ぶらりんになる。

 あえて痛くないようにしているのか、それとも癖なのか。


 どうやら気に入った人間には最低限の配慮をしてくれるという話は本当らしい。


 というより――


「まるで一回死んだことあるみたいな言い方じゃん」


「あん? なんのことだ?」


「さっきの好きなものなら全力を出すって話。アンタ、それマジで言ってたでしょ」


 すると先ほどまであれほど自信ありげにヲタク論を語っていた野蛮人が唐突に口ごもるではないか。


「なに、やっぱりあたしを納得させるためのつくり話なわけ?」


「あーいや、うん。まぁあれを物理的な死にカウントしていいのかわかんないけど、経験がないわけじゃないな。あ、言っとくけど死ぬのは痛ぇーぞ。これマジな話な」


「そんな脅しに屈しるようなあたしじゃないし、そんな子供だましに引っかかるあたしじゃないし――ってかいい加減離してよ。痕ついたらどうするつもり、この野蛮人!!」


「ん? ああわりぃわりぃ。ちょうど掴みやすい頭だったからつい癖でな」


 スカスカで中身が入ってないと言いたいのだろうか。喧嘩なら買うよ?


 そうやってワタワタと手を動かせば、カラカラと愉快そうに喉を鳴らしてみせる野蛮人の姿が。


 ようやく解放された額を両手で擦れば、悪かったなと彼女の野蛮な性格からは考えられないほど優し気な手つきで頭を撫でてくるではないか。


 ちょっと前までは、あれほど人に触れられることを拒絶していたのに、なんてざまだ。でも――

 

(認めたくないけど、この人の傍にいると安心する)


 これが、凛子さんがこの人を化生と言って警戒する所以ゆえんなのだろうか。


 この人にならあたしの胸のわだかまりを相談してもいいのかな――と思ったのはやっぱり寂しさが見せた気の迷いで。

 口を開こうとした一瞬。

 先手を打つような拒絶に、あたしの喉から素っ頓狂な声が漏れた。


「あ、別に自分語りとか間に合ってるんで」

「は、はぁ――!?」


 え、いや。ここは普通、患者の最期の言葉に寄り添うところじゃないの? それを拒絶って、


「アンタそれでも人間!?」


「いやな。確かにお前の抱える病気やトラウマを思えば聞いてやりたいのも山々なんだけど、お前の話はちょっとどころじゃないくらい長くなりそうじゃん? だから遠慮したいというか――」


 あんぐりと開いた口が塞がらない。

 よりにもよって長くなりそうだからとか、ほんと馬鹿なんじゃないの?


「それに少女時代の悩みなんて大人に比べれば浅い浅い。わたしの苦労話を聞いたら自分のことが可哀想になるよ、マジで」


 血みどろの人生だったなぁ、なんていうけど……


「アンタほんとにあたしを助けようって気あるの!? ただ面白がってるでしょ絶対!!」


「おいおい、そりゃ失礼ってもんだろ。わたしだってこれでも真剣なんだぞ。だけどな、現実ってのはそう甘くないんだよ。一人だけ罪悪感を吐き出して楽になろうなんざ四十年早ぇわ」


「四十年とか、数字がリアルすぎて笑えないんだけど……」

 

 まさか二十歳とかいってサバ読んでるんじゃないでしょうね? 

 言葉に妙な説得力あるんだけど……

 というより、あたし明日死ぬんだよ?

 本当にわかってるの?


「わーってるよ。だからそうならないようにあれこれ手を回してんだろうが」


 そんなこと言って、ぐーたらしてたの誤魔化したいだけなんじゃないの?


「ほんっと失礼だなお前は。これでもしっかり働いてるっての。あとお前、あれだな。死にたいとか言ってる割には心配してほしいんだな」


「なっ――、そ、そんなわけないじゃん!! あたしはただ一般論で言ってるだけで別にマンガ好きとか関係ないし……」


「ふっ――、とか言いつつ『お約束』持ち出してる時点でお前も漫画大好きじゃん。めっちゃ影響されてるじゃん!!」


 慰めどころかあおりを入れてくるなんて予想外だ。

 せっかく心を開いてやろうとしたのになんだコイツは……ッッ。


 そうして顔中に広がる熱を大人な心で鎮火させると、


「つーか、乙女度で言えばお前もそこそこなんじゃねぇの? アニメのヒロインかよ」


 という言葉を最後に、あたしの中で切れてはいけない糸が切れる音が聞こえ。

 一人気持ちよさそうに高笑いをキメる野蛮人の顔面目掛けて睡眠薬入りのジュースを豪快にぶちまけ、闘争のゴングを鳴らすのであった。

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