第44話 『富岡しのぶ』、第六天の本性を垣間見る

◇◇◇


 依然と痛む出す胸のわだかまりを抱え、美鈴さんと別れを告げれば、夕焼けの空。

 どこか見覚えのあるシルエットを前にあたしは大きくため息をついた。


(まったく、たかが一人の小娘程度のために集まって。みんなどうかしているよ)


 そうして淡々と心を静めて歩き出せば、煌々と照り付ける夕日を背負い、その鮮やかな茜色にも負けないくらい赤みがかった髪を指で払う凛子さんと目が合った。


「あら偶然ですわね。学校帰りですの」


 あの野蛮人じゃないことにホッとしているあたしがいるけど、それにしたってこれを偶然で片付けてしまうには無理がある


 長身の身体に、同性のあたしでも羨むような大きな胸。

 一目で最高級だとわかるビジネススーツはパパと違って厭味なく似合っており、一目でその人の優秀さを際立たせていた。


 あたしが男だったら間違いなくその姿に見とれて立ち止まっていただろうが、あいにくとあたしは女だ。そんな大人の色香に惑わされるはずないわけで――


「すみません。人違いです」

「ちょっと、それはあんまりじゃありませんの!?」


 スタスタとそのまま隣を通り過ぎようとしたところで、襟首をつかまれる衝撃と共に喉が絞まった。

 ああ、もう最悪。――逃げ損ねた。

 まったくあの野蛮人といい、凛子さんといい、どうしてこう力任せなのか。


 もうちょっと穏便な引き留め方はないのかと呆れてしまう。


 崩れた制服の襟首を正して後ろを振り返れば、そこには威風堂々と言う言葉が似合う凛子さんの姿があった。 


「それで、いったいなんですか凛子さん。こんな茶番まで演出して」

「茶番? いったい何のことですの? わ、わたくしは偶然、貴女とここで出会って――」

「いや、偶然って。あたしのこと馬鹿にしてます? そんな幼稚なウソに騙されるのはそれこそ子供くらいなもんなんですけど……」


 そうしてジト目で凛子さんを睨み上げれば、ウッと喉の奥に小骨が刺さったような顔をする凛子さん。


 どうやら本気で思っていたらしい。


 というより――


「お仕事はどうしたんですか? まさか政府直属の何でも屋さんがたかが小娘の様子を見るの為だけに仕事を放りだすなんて……そんなことありませんよね?」


「うっ――、痛いところをついてきますわね。言い方に若干どころじゃない棘が見え隠れしてますわよ」


「今日だけで二度も後をつけられてたんだから当然です」


 とういうより――どうせ凛子さんのことだからあたしに発信機か何かつけてるんでしょう? でなければ通学路から外れたあたしを先回りなんてできませんもん。


「凛子さん。ストーカーは犯罪ですよ?」


「くっ――、そのズケズケとした物言い。だんだんあの鬼頭神無に似てきましたわね貴女。それにしても二度も……ですか」


 そう言ってツケドンに突き放したような言い方をすれば、やはり子供相手にあの方は悪影響でしたか、とブツブツ物騒なことを呟きだす凛子さん。


 いくら生活面で色々とお世話になっている恩人の言葉でも、さすがに心外だ。


 なんであたしがあんな野蛮人に影響されなきゃなんないのだ。


 考えただけでも胃がむかむかするというのに。


「はぁ……ただでさえ気が滅入っているのに、全くなんでこう次から次へとあたしに関わってくるんですか? あたしはいまサイコーに機嫌が悪いんです。用がないんでしたら今日の所は失礼します」


「ちょっとお待ちなさい、しのぶさん。わたくしのお話はまだ終わっては――」


「いくら止めても、あたしの気は変わりませんよ」


 ピシャリと言葉を区切り、睨みつけるように凛子さんの右手を払いのければ、驚愕したように目を見開く凛子さんと視線が交わった。


「政府の人たちは死にかけのあたしの身体を最後まで利用したいようですけど、その話はお断りしたはずです。あたしは最後まで誰かの道具になり下がるつもりはありませんから」


 どうせ、明日には嫌でも死ぬ運命なのだ。


 今更『覚悟』云々の話をされても、あたしの返答は変わらない。

 と思ったのに――


「なんで、そこで笑うんですか?」

「いえ、そうではなく。鬼頭神無との生活はどうだったか聞きたかっただけですけど……ふふっ、たしかに話の流れだとそうなりますわよね」


 すると――正面からおもむろに噴き出すような笑い声が聞こえ、その意外な問い掛けに思わず足を止めてしまった。

 この反応はあたしも予想外で、思わず狼狽えてしまう。


「なんで、あたしはなにもおかしい事なんて」


「いえ、失礼しました。少し前の自分と重なってしまいまして。そうですわよね……貴女はまだ高校生ですものね」


 そう言ってどこか懐かしそうに目を細めてみせる凛子さん。

 そうして一度咳ばらいをし、そのきつい目元を一瞬だけ緩め、恭しく唇を動かしてみせると、


「これは政府の使いっ走り、NEEDSの桐生院凛子としてではなく、ただあの喧しい友人を持つ者として好奇心からくるただの質問です。これなら答えてくださいますわよね?」


「それは、その……」


「ふっ――、恥じることはありませんわ。誰にだって勘違いはあります。この場合、勘違いさせるような言い方をしたわたくしが悪いのですが……それでどうでした? アレとの一日は」


 どうでしたって、そりゃ……


「一日だけでも圧がすごいかったですよ。なににおいても暴力的で野蛮で、最初はなにコイツと思ったけど……」


「思ったけど?」


「いまはよく、わからないです」


「……なるほど。見事に毒されてますわね」


 毒されている。どういう意味だろう。

 確かにここ数日色々なことがあり過ぎて考えがまとまらないのは事実だ。

 凛子さんより頭の悪いあたしには貴女がなにを考えているのかわからない。


 でも先ほどの言葉は明らかな落胆の色があり、


(――それをあたしの所為だと言われ非難される筋合いはない)


 そもそも――


「仮死状態にしたあたしの身体を再利用したいって一年前に提案してきたのは貴方たち政府じゃないですか!! それをなんですか。今までは我関せずだったくせに今更になってこんな未練を残すようなことを――」


「未練、ですか」


「あ、いや。これは――」


「ええ、わかってますわ。ただの言葉の綾。そうですわよね?」


 鋭く仕事人の言葉になる凛子さんの視線に、なんだか全て見透かされているようでカッと顔が熱くなる。

 感情的になってつい喋らなくていいことまで喋ってしまった。


 あたしは明日死ななきゃいけないのに、今更なに言ってんだろ。

 それがあたしと凛子さんの『契約』のはずなのに。


「なにいってんだろ、あたし……」


 だいたいあの人をあたしの監視役に推薦したのは凛子さんのくせに。

 なのにどうして――


(どうして、そんな顔できるんですか、凛子さん)


 あの人には絶対に負けたくないとクドイくらい言っていたのも。

 あたしに幻死症の疑いがかけられていた時、死んでも助けてみせると言った、あの言葉も今でもはっきりと覚えている。


 あたしだってあんな野蛮人に助けられるくらいなら死んだ方がマシなのに――

 

「もう、引き留めてもくれないんですね」


「ええ見ておきたいものはちゃんと見れたので。この調子であれば後はあれに任せても問題ありませんわ。万事全てが上手くいけばわたくしはそれで構いませんので」


 その忠告にあたしの両足が硬直したように止まった。

 その言葉はあたしを見捨てると言ったも同然の言葉で――


「凛子さんもやっぱりパパと同じなんですね。自分の利益しか考えてないんだ」


「ええ、それがわたくしと貴女との『契約』だったではありませんか。お忘れですの?」


 そう、全て凛子さんの言う通りだ。

 これは『富岡しのぶ』が死ぬことで成立する、一つの『契約』だ。

 これまでの援助を思えば、あたしがこの人を恨むのは筋違いも甚だしい。

 むしろいくら感謝の言葉を述べても足りないくらいだ。けど……


「……凛子さんは本当にあの人がこの状況をなんとかできると思っているんですか?」


「ふっ――、貴女はどう思いで?」


「あたしは、あたしは……あんな奴に助けられる気なんてさらさら――」


「それは結構。ですが、そう思うのなら、なおさら気をつけることですわね。あれは天性の人たらし。老いも若きも魅了する化生だと思った方がいいですわよ」


 化生って、たしかに化物じみた身体能力だけど、


「そこまで、警戒するほどのことなんですか?」


「それは貴女自身が一番よく理解しているんではなくて?」


 そう言って肩をすくめてみせる凛子さん。

 その言葉にはどこか確信めいた力の響きがあり、耳元にそっと告げられた言葉がまるであたしの逃げ道を塞ぐように轟き、心臓を鷲掴みされたような心地になった。


 違う!! あたしは、あの人と同じなんかじゃ――


「ええ、わかっております。だからこそ詰めを誤るわけにはいかないんですの。それは貴女もよく理解してますでしょう?」


 この契約が失敗すればどうなるか、凛子さんから語られた言葉の数々が頭の中を蹂躙していく。

 ドクドクと自分のものじゃないと思えるほど激しく震える心臓。


 そうして一瞬だけすくむ身体を反射的に掻き抱けば「途中まで送ります」と言ってあたしの肩に置かれた凛子さんの手を強引に振り払う自分がいた。


 驚く凛子さんと一瞬だけ目が合う。けれどそれは本当に一瞬のことで彼女の目元がすぐに刀剣の如く鋭く尖り始める。

 そして――


「……明日、迎えに行きます。それまでにくれぐれもほだされないでください。わたくし、あの小鬼に負けるのだけは我慢できませんので」


 と最後まで子供の負け惜しみみたいな凛子さんらしくない台詞を背中に、気付けばあたしはその場から逃げ去るように走り出すのであった。


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