第43話 『富岡しのぶ』、常識人に出会う?
そうして美鈴さんに連れられたのはどこにでもあるような普通のカフェだった。
どこかに萌えがある訳でもなければ、一般女児が夢中になるような要素もないどこにでもあるような普通のカフェ。
巷でよくあるような雰囲気のいい店に案内されたあたしは、戸惑いを隠せず見っともないくらいの醜態をさらしていた。
「えっと、あの美鈴さん。ここは――?」
「へへー、最近見つけた隠れ名店なんだー。寡黙なマスターさんが経営してるお店でね。すっごくおいしいんだよ」
いやそうじゃなく――ほんとにお茶するためだけにあたしの後ろをつけてたんですか?
『あの人』の友人というくらいだからとんでもない個性の持ち主だと警戒したのになんだか馬鹿らしくなるほどの常識人ぶりである。
誰だって初対面の人間をアニメ喫茶に連れ出す馬鹿は『あの人』くらいなものだろうけど、だからってまさかこんな普通なお茶会が待ってるなんて。
「それでしのぶちゃんはなににする? 私のおすすめはこの店長特製のサンドイッチの盛り合わせなんだけど……」
「あ、いえご飯は学校で食べてきたんで、これで――」
そう言って遠慮気味にカフェラテを注文すれば、すぐさまカウンターに注文が飛び、柔らかい色合いのカフェラテが目の前に置かれた。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、一口すすればホッとする温もりがあたしの胸の中にあった緊張をウソのようにほぐしていく。
「ふふっ、それじゃあ改めて自己紹介から始めようっか」
気づけば小さな世間話からはじまった会話は、あの野蛮人に対する不満で溢れ返っていた。
美鈴さんの雰囲気がそうさせるのか。
いつもなら話さなくていいことまで話しているのに口が止まらない。
現に――
「――それであの人、あたしになんて言ったと思います? 死にたがりですよ死にたがり!! 赤の他人とはいえ病人相手に信じられます!?」
「あー、神無ちゃんそういう自分さえよければいいみたいな自己中なところあるからねぇー。大変だったね」
「ほんっとですよ。結局最後までベット譲ってくれないし、朝になったら掃除手伝えって、依頼を遂行する気があるのかないのか、やってることめちゃくちゃです!!」
ありったけの不満をぶちまけ、テーブルを叩けば、うんうんと深く共感してくれる美鈴さん。
さすがに付き合っている年季が違うからなのか、その頷きはとても重々しい。
正直なんでこの人があたしの担当じゃなかったのかと運命を呪いたくなるくらい、美鈴さんは聞き上手だった。
今ならあの野蛮人どころか、凛子さんと仲がいいというのもあながちウソとは思えない。でも――
(それってただ単に、あの人の強引さに巻き込まれてるだけなんじゃ――)
すると今まで胸の内に秘めていた疑問がむくむくと膨れ上がり、気付けばあたしの唇は己の欲望を満たさんとばかりに動き出していた。
「あの、失礼なことかもしれないんですけど聞いていいですか?」
「うん? なんでもきいて」
「そのですね、あんなのとお友達なんて疲れません?」
一瞬だけ、呆気にとられたような表情をしてみせる美鈴さん。
けれどその表情は本当に一瞬で、
「ふふっ、そうだね。――うん。すっっっごく疲れる」
あまりにも清々しく断言されるものだから、あたしの方がフリーズしてしまった。
もっと文句とか愚痴とかいっぱい飛んでくると思ったのに。
「あの、だったらなんで一緒にいるんですか? 疲れるなら、その、距離を置いたっていいはずなのに」
「うーん。そうだねぇ。たぶん……わたしが一緒に居たいからかな」
一緒に、いたいですか?
「あ、やっぱり信じられない?」
「……はい。無理やり強制されてるからって言われた方がまだ納得できました」
失礼だと頭でわかっていても思わず馬鹿正直に答えてしまった。
だって、あの人と自分から一緒に居たいなんてそれこそありえない。
プライベートな空間に土足で踏み込んでくるは、人の触れてほしくない場所を遠慮なく荒らすわ。
いくら幼馴染でもあんなのにずっとつき合わされたらイライラしてしょうがないはずなのに。
「私はね、小さい頃両親は航空機の事故で亡くしてるんだ」
そうして喉元まで出かかった言葉が美鈴さんの言葉でせき止められる。
どこか遠くを見るように窓辺に視線を滑らせる美鈴さん。
その視線はどこか鏡の奥で見えた『弱虫』にそっくりで――
「それは、その――」
「あ、ごめんね。さすがにこれはちょっと無神経だったよね」
「いえ、大丈夫です。慣れてますから」
違う。無神経なのはあたしの方だ。
こんなことを言いたいんじゃない。美鈴さんは悪くないのに。
「ははっやっぱり私ダメだなぁ。こういうことはてんで向いてなくて。……ただ、そのね。うまく言えないけど……しのぶちゃんの気持ちは痛いほどよくわかるって言いたかっただけなのに」
「でも、あたし――乗り越えられなくて」
「ううん。そんなの普通だよ」
ハッとなって顔を上げれば、そこには先ほどまでの花のような笑みではない、どこか感情を隠すような曖昧な笑みを浮かべている美鈴さんの姿があった。
これは無理解からくる共感の言葉じゃない。
きっと彼女もそうなのだ。
どうしようもないくらいの彼女の中でもがき苦しんで、答えを得たのだ。
「本当はね。無理して乗り越える必要なんてないってわたしは思ってるんだ。乗り越えられない過去があるのは当然だし、傷ついてまで向き合うことなんてない。ごめんね。無神経だとは思うけど、私は最後までしのぶちゃんに苦しい思いしてほしくないんだ」
すると正面に座る美鈴さんのほっそりとした腕がにゅっと伸び、あたしの頭をそっと撫でる。その慈愛の色を浮かばせた瞳には若干、涙の幕が溜まっていて、
「きっと私なんかよりずっと辛い思いをしたんだよね。一人で頑張ったね」
一瞬だけ、よくわからない感情が渦巻いた。
でもその感情の名前をあたしは知らない。
まるで煙を掴むようにするりと指先から零れ落ち、最後には見えなくなる。
「でもねそういう時は訳もなく当たり散らしていいんだよ。だってわたしもそうしたから」
「美鈴さんも……?」
「うん。いっぱいいろんな人に迷惑かけちゃった」
そう言ってさっぱりした笑みを浮かべてみせる。
こういうとき、どうすればいいんだろう。
こんな感情初めてで、どうしたらいいのかわからない。
『頑張ったね』なんて初めていわれたことで……
ボーンボーンと間延びした鐘の音が店内に鳴り響いた。
「あ、そろそろいい時間だよね。ごめんね、私の長話につき合わせちゃって」
「――え? あ、もうこんな時間なんだ」
そうして壁に立てかけてあった時計を見れば短針が午後四時を指していた。
こんなに、長話してたなんて。
美鈴さんにだって予定があっただろうに、すごく申し訳ない気分になる。
「ごめんなさい。美鈴さんの期待に応えられなくて」
「……ううん。私の方こそ無理につき合わせちゃってごめんね」
そうして立ち上がる美鈴さんに釣られ、あたしもあわてて身支度を整えれば、窓際に置かれた伝票が、ほっそりとした指先に取られてしまった。
「え、あの――困ります。お金ならお父さんに持たされてるので」
「ふふっ、大丈夫。こういうのは年上に任せてもらえると、私はちょっと嬉しいかな」
わたしだって自分の食べたものくらい払えるのに「こういうのは大人の役割だから」と言って可愛らしく伝票を取られてしまった。
こういう仕草から大人の余裕が垣間見える。あの人とはえらい違いだ。
そうしてオシャレなカフェを出れば、春先の風があたしの頬をくすぐるように撫でる。
結局さっきまでの心のざわめきの正体はわからずじまいだ。
「ああ、そうだしのぶちゃん。私と会ったことは秘密だよ」
「なんでですか?」
「ここだけの話だけど、実はさ。神無ちゃん、まだうちの正式な社員じゃないんだよね」
そう言って唇に人差し指を当て、可愛らしくウインクをしてみせる美鈴さん。
その天使すら撃ち落さんばかりの、純粋な仕草に引き込まれそうになったのも事実だが、
「……え、あの人。従業員でもないのにあんなに堂々としてたんですか?」
「ふふっ、ほんと昔から自信だけは一人前なんだよね」
そう言って呆れた声を上げれば、どこか抜けたような仕草で笑われてしまった。
あたしとしてはあの人のことを馬鹿にしたつもりだったのにこの反応。
この人の底知れぬ天然具合もあの野蛮人と同類なのかと思うと、ちょっとだけ呆れ――胸の奥がツキツキ痛むのであった。
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