第42話 『富岡しのぶ』、ストーカーと出会う

◇◇◇


 その後、体育の先生に保護されたあたしはというと、予備の制服を貸してもらい、通学路を走っていた。


 行き交う人たちが何事かとあたしを見るが関係ない。


 あらん限りの感情を叫ぶようにして横断歩道を走り去ると、家とは真逆の人気のない場所に誘導していた。


 結局、授業を受ける気にもなれず早退してしまった。

 もう会う必要のない人たちだけど、最後に会えて本当によかったと思う。

 でも――


「なんで、今日に限ってついてくるのよ、もう!!」


 少しくらい感傷に浸らせてくれたっていいじゃない。

 清女学園から歩き出してしばらく。

 しつこいくらいに背後から突き刺さる視線に晒され、我慢できずにを受け走り出したはいいが、あたしの体力が先に限界を迎えていた。


 人気のない道の真ん中で激しく息を切らし背後を忙しく振り返るけど、誰もいない。

 でも、後ろから漂う敵意とは違う妙な気配を確かに感じ、あたしを困惑させる。


 なにも超能力に目覚めたのでなければ、元から備わった特技でもない。

 これは、ひと昔のあたしでは決して感じ取ることのできなかった独自の感覚だ。

 死が近づくと感覚が鋭くなる、という話を聞いたことがあるがきっとその類の副作用だろう。


 鬱陶しいほど幻死症の力には悩まされてきたが、こういう時にはありがたかった。


 初めて気づいたのはお母さんが植物人間になった時だ。

 はじめはただの気のせいかなとも思ったが、あたしがどこかへ行くたび必ずと言っていいほど背後から誰かしらの気配を感じるようになっていた。


(まただ。ここ最近ずっとつけられてる気がする)


 まるで付かず離れずといった微妙な距離感を保っての尾行。

 パパに相談しても気の所為で片付けられたが、今回は間違いない。


 いつもよりはっきりと人の気配を強く感じる。


 別に怖くはない。怖くはないけど、


(……不気味なのは確かなのよね)


 わざわざパパに連絡が行って迎えに来てもらうのも嫌だし、なにより――あの野蛮人に迎え来てもらうとか、死んでも御免だ。


 あんな奴に助けてもらうくらいだったら自分で何とかした方が百倍マシだ。


 しかし、そうなると残るは凛子さんかパパに頼らざる負えないわけで――


 なにごとも隠し事せず、僕に打ち明けていいんだよというパパは絶対に信用ならない。

 だって――


「自分はもっとあたしより隠し事が多いくせに。なにが愛してるよ」


 そうだ。助けてくれるなんてみんな嘘っぱちだ。

 あの野蛮人も、パパもあの凛子さんでさえ――結局は自分の保身しか考えていない。だからあたしはあたしの力で何とかしなくちゃいけないんだ。


 毒づきながら顎に滴る汗をぬぐい、覚悟を決める。

 

 あたしの人生も明日を迎えれば終わりだけど、いい加減一言文句を言いたくなったのも事実だ。


 どうせ明日死ぬんだ。なら後悔はない方がいい。


 ならあたしがすべきことはただ一つ。

 意を決して走り出せば、十字路の道を右に曲がり、急ブレーキをかける。

 そうして間隔の短く鳴る足音をジッと待ち伏せすれば――


「きゃっ――!?」


 例の便利屋さん。成瀬、美鈴さん? の驚いた姿がそこにあった。

 ドラマでよく見るようなトレンチコートに鳥のようなくちばしのハンチング帽という探偵スタイル。

 依然見た時とは明らかに違う恰好だ。

 本人はそれで変装しているつもりなのか。あからさますぎるサングラスは似合ってすらいなかった。


「いったいなんですか。あたしの後をつけたりなんかして」


「あーえーっと、そのね。これは違うの。私はただ散歩の途中でしのぶちゃんが見えたから後を追いかけただけで、なにも初めから尾行しようなんて思ってなくてね?」


「その言い訳、本気で通用すると思ってます?」


 あの二人ならまだしも、あたしは絶対にほだされない。


 気まずい沈黙が下り、あたしの方から口火を切れば、あからさまに美鈴さんの視線が宙に彷徨いだした。

 あんな杜撰な尾行で気付かれないと本気で思っていたのだろうか。

 するとあたしのジトっとした視線に耐え兼ねたのか、意外と素直な謝罪が返ってきた。


「ごめんなさいしのぶちゃん。紛らわしことしちゃって。怖かったよね?」


「別にそんなこと……ありませんけど」


「そのね。しのぶちゃんの様子が気になったのは本当だけど。神無ちゃんどうしてるかなーって。……そういえば神無ちゃんはどこ行ったの?」


「あの人ならアニメ見てぐーたらしてますよ」


 正直にありのままを報告してやれば、ポカンとした表情が返ってきた。

 当然だ。信じて送り出した従業員が職務を放棄し、あろうことか役立たずの状態だなんて知ったら誰だってこういう反応になる。


「お節介を承知で言いますけど、本当にあんな無責任な人雇ってていいんですか。あたし部外者ですけど、さっさとクビにした方がいいような気がするんですけど」


「うん? それはどういう意味かな?」


「だって、雇われの癖に遠慮なく人んちの冷蔵庫漁るわ、人の部屋に勝手に入ってアニメ見るはやること為すことみんな無茶苦茶なんですよ。仕事を理由に無断でアキバに連れ出すし……あんなの絶対雇わない方がいいですって」


「ふふっ、神無ちゃんらしいね」


 すると予想外にも、どこか温かい笑みを浮かべてみせる美鈴さん。

 彼女は諦めたように下手糞な変装を説くと小さく唇を持ち上げ、


「ね、この後時間あるかな。もしよかったら私とお茶しない?」


 と言って言葉を区切ると同性のあたしですらドキッとするような可憐な笑みを浮かべ、休戦を提案してくるのであった。

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