第41話 『富岡しのぶ』の自殺スポット――

◇◇◇


「はぁ、見事にアイツの口車に乗ってしまった」


 ズンと重たい空気が身体に纏わりついて離れない。

 よりにもよって、もう二度と来ることもないと思っていた学校に登校する羽目になるなんて。


 がやがやと騒めく喧騒。遠巻きから腫物のように晒されながら、あたしはいつぶりかの机に肘をつき外の景色を眺めていた。


 あの野蛮人に鼻で笑われたくなかったとはいえ、本当に学校に来るとか。あたしってこんなにチョロかったけ?


 ここは都立清女学園。――都内のお嬢様たちが通うミッション系の学校だ。


 ミッション系ということもあってここに通う生徒はだいたいどこかの名家や財閥のお嬢様なんかが多く、あたしと違って箱入りな娘が多い。


 凛子さんの勧めで進学した学校だけど、ここ半年登校していないあたしにとってはそこまで思い入れのない居場所だった。


 正直ここでの成績などどうでもよかったし、パパだっていくら成績が下がろうと説教の一つも言ってこなかった。

 あたしもあたしで正直不相応な学校だとは思うが、パパが半強制的にここに通わせたということは


 


 退屈な授業。退屈な時間。

 そのくせ、ここに通う生徒たちは好奇心ばかりは一流なのだから困ったものだ。


 現に、あたしを遠巻きから観察する彼女らは、あたしから休学事情を聞きたそうにうずうずしている。


『ねぇ、しのぶさんってなにか特別な病気でいままで休校してたって本当かな』

『えーわたしは男の人と付き合って、フラれたからって聞いてたんだけど』

『何かヤバいことに首突っ込んだんじゃないの? ほら私、しのぶさんとここの理事長のお孫さんが話してたの見たことあるし』


 授業中にもかかわらず聞こえてくるのはそんな会話ばかり。

 友人たちの好奇心溢れる視線を無視しながら、あたしはわざとらしく大きくため息を吐きだす。


 まったくこういう視線に晒されたくなかったからあえて休学してたってのに、あのお節介な野蛮人は。


 授業を取り仕切る先生まで興味津々というのはどうかと思う。


 件のグループに睨みを利かせてやれば、そそくさとあからさまに自分の教科書に視線を落とすクラスメートたち。


 もうすぐ消えるあたしのことなんか放っておいて授業に集中すればいいのに。

 なんで女ってのはこう根も葉もないうわさ話が大好きなのだろうか。

 みんなこうして当たり前の授業を受けているけど、それがどれだけ幸せなことか本当にわかってるの?


 そうして昼休みの鐘が鳴り。群がるクラスメートの視線を視線で黙らせ教室を飛び出したあたしは――知らず知らずのうちに屋上の鉄柵の外側に立っていた。


 あたしの『幻想』に扉の鍵なんて関係ない。

 最後まであたしの思い通りにならない力だったけど、こういう時は本当に便利だ。


 立ち入り禁止の屋上。鉄作を乗り越えて下界を見下ろせば、都合四階ぶんの高さに一瞬めまいのような吐き気に襲われる。でも――


「あたしだって、やってやるんだから――」


 独り言のような呟きが下から吹き荒れる風にかき消され、喉元にせり上がる何かをぐっと飲み込む。

 震える右手はあたしの意識とは関係なく小刻みに揺れるが、弱い心を握りつぶすようにギュッと握りしめた。


 心臓がドキドキするのがわかる。頭が痛いし、目の奥がガンガンなる。

 でも――


(あたしは、今日。ここで死ぬ)


 何度目かもわからない自殺。

 大きく息を吸い、意を決して一歩踏み出せば頼りなく踏み出した右足が空中を捉え、バランスを崩した身体が真っ逆さまに落ちていった。


「~~~~~~~っっ!!」


 内臓が一瞬だけ宙に浮き、ジタバタと藻掻くがもはや手遅れだ。

 風を切る音がうるさい。どんどん地面が近づいてくる。でもこれでいい。


 一瞬だけ、あの野蛮人の顔が思い浮かんだけど――


 衝撃に備えてギュッと目をつぶれば、想定していた結末とは違う衝撃があたしの身体を叩いた。


 ドボンと何か柔らかいものに身体が包まれたかと思えば、口いっぱいに生温かい何かが侵入してくる。

 堪らず目を見開いて、喘ぐようにして水面を目指せば――そこは見覚えのある学園の室内プールだった。


 纏わりつく制服と髪。

 どこか羊水に揺られるような安心感と不快感に顔を顰める。


 そうか。あたし、また……


 するとどこかで、誰かの驚いたような悲鳴が上がった。


『ひ、ひとが!! 人が突然、上から降って来たですって!?』


 おそらく先生か誰かなのだろう。もしくは部活動に勤しんでいた水泳部の誰かなのかもしれない。

 まぁ突然、いもしなかった人間が現れれば誰でもそういう反応になるけど……あたしにしてみればいつも通りの結果だ。


「また、死に損なちゃったな」


 いったい何度、こんな結果を繰り返せば気が済むのだろう。

 あたしはただ、一度でもいいからお母さんに会いたいだけなのに。

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