富岡しのぶの一日――
第40話 『富岡しのぶ』は目を覚ます――
◇◇◇
朝から嗅ぎなれない匂いに目を覚ましてあたし――富岡しのぶは困惑していた。
枕元でけたたましく鳴り響くアラームもそうだが、あの鬱陶しかった鬼頭神無の姿がない。
昨日からあれだけ口やかましくあたしに説教していたくせに。
(結局、見捨てるんじゃない。バカ)
そうだ。初めからわかっていたことじゃない。
幻死症なんてそれこそ他人がどうこうできるような問題じゃないのだ。
結局は誰彼こうなることなんてわかりきっていた。
パパや、野木崎先生。凛子さんだってそうだ。
所詮はビジネスライク。結果が怖くなって逃げ出したって不思議じゃない。
不思議じゃないはずなのに……
(どうして、こんな気持ちになるの? 一人ぼっちはあたしが望んだことなのに)
襲い来る孤独感に無意識に背筋が震える。何もかもこれでいいはずなのに。なんでこんな思いしなくちゃいけないんだ。
これも全て、あのお節介な野蛮人の所為だ。アイツさえいなければこんな思いをせずに済んだのに。
すると『なぜか』中途半端に開いた扉から食欲を掻きたてるいい匂いがお腹をキューっと鳴らす。
そう言えば昨日の夜から何も食べてなかった気がする。
そうしてふと視線を横に滑らせれば、そこには『なぜか』綺麗にクリーニングされている学生服が。
無意識に幻想で意味出してしまったのだろうか。
とにかく汗でべたつく制服を脱ぎ捨て、新しい制服に袖を通せば――本当に久しぶりに『本物』の扉に行先を繋げてみせる。
食欲につられて部屋から出たなんて思われるのも癪だが、これ以上体に負担をかけて思わぬところで倒れるのも不本意だ。
そうして意を決して扉を開け放てば――、
「うそ、でしょ?」
あれだけ汚かったはずの廊下が見る影もなく綺麗になっていた。
階段から玄関までゴミ一つない我が家。
それは本当に久しぶりに見たおかあさんがいた頃と同じ風景で――、ありえないとわかっていても急かされるようにあたしの足が勝手に台所に向かう。
そして――そのまま感情の赴くまま台所の扉を乱暴に手を掛ければ、朝日に混じって漂う朝食の香りとそのどこか懐かしい後姿にあたしの本能が一瞬だけたじろいだ。
ひりつく喉が、そこにいないはずの『誰か』の名前を呼びかける。
「――おかあ、さん?」
「ん? おっ、ようやくお目覚めか。ずいぶんとぐっすりだったな、しのぶ」
そのどこか見覚えのある後ろ姿に反射的に手を伸ばし、目が慣れた頃。
そこには豪快にフライパンを握るエプロン姿の鬼頭神無の姿があった。
思わず言葉が途切れ、呆然と他人の台所を我が物顔で使う
「なに、してるの?」
「なにって――朝食作ってんだよ。見りゃわかるだろ」
そう言って、お淑やかさの欠片もない跳ねっかえりの黒い髪を背中で踊らせ、エプロン装備でフライパンを器用に振るう鬼頭神無。
意外なことに手慣れているのか。調理を進める手は迷いがないが、そんなことどうでもいい。あたしが聞きたいのは――
「帰ったんじゃなかったの?」
「帰る? なんでそんな面倒なことしなきゃなんねぇんだよ。昨日しばらく厄介になるっつったろ? 忘れたのか?」
「それは、覚えてるけど……なんでパパでもないアンタがそんなことを……」
「そのパパが帰ってこねぇからわたしがこんなことしてんだろうが。なんだあのクソオヤジ。娘が今日明日死ぬかもしれねぇって時に仕事で遅くなるだぁ!? バカも休み休み言えっつぅんだよな!!」
どうやらあたしが寝ている間にそう言った連絡が来ていたらしい。
ジャジャッと苛立ちげにフライパンを振るい、目玉焼きを空中でひっくり返す。
人の家のものを我が物顔で勝手に漁る彼女の存在も許せないが、何より許せないのがあんな野蛮人とおかあさんを混同してしまったあたしの馬鹿さ加減だ。
おかあさんは死んだのだ。あたしの目の前で。
なのにこの野蛮人を自分の母親と間違えてしまうなんて、糞すぎる。
さっさと座れ、遅刻するぞ。と言われまた面倒ごとに巻き込まれるのも嫌なので大人しく席につけば、どこか乱雑にハムエッグとこんがり焼けたトーストが目の前に置かれ、あたしの対面にアイツが腰かけた。
「ほれ、神無ちゃん特製モーニングセット冷めないうちに喰っちまいな」
そう言ってそのまま遠慮なしに自分の作った朝食を口に運ぶ鬼頭神無。
相変わらず品のないことこの上ないがお腹が空いているのは確かだし、残したらまた変なからかいが飛んでくるの羽目に見えている。
だからとりあえずは言うことを聞いておこう。
「……いただきます」
「おう、感謝して食べろよ。なにせ今日は忙しくなるからな」
そう言って、新聞を広げトーストをかじる鬼頭神無。
忙しくなるって言ったて――
「……いったいなにするつもりよ。また昨日みたいにどこかへ連れまわすつもり?」
「いんや。わたしはそれでもいいんだけど、お前はあんまり人の多いところ好きじゃないみたいだからな。どうせ明日までの付き合いだし、お前、学校いってねぇんだろ? だったらわたしの仕事を手伝ってもらおうかと思ってな」
「……どうせ明日死ぬんだし、そんなことしたって意味ないんじゃ」
「んなもんテメェが決めるな!!」
バンとテーブルが叩かれ、突然のことに驚き、肩をすくませるあたし。
感情の起伏が激しいこの人だが、なんでそんなことで怒る必要があるの?
だいたい――
「な、なによ。なにおかしいこと言ってないでしょ!! だいたい掃除はアンタの仕事なんだからあたし関係ないじゃん!!」
「関係大ありだ馬鹿野郎!! かの有名な魔法少女もこういってるだろうが『飛ぶ鳥さんは死にざままで綺麗だね☆』ってな」
「……それを言うなら『立つ鳥跡を濁さず』でしょうが」
「ふっ――そうともいう!!」
「いや、そうともいうって――そうとしか言わないでしょ普通。……てか可愛らしく言っても全然かわいくないんでけど」
「だがなぁしのぶ。どうせ死ぬつもりなら今まで世話になった家の掃除くらい黙ってすんのが筋じゃねぇの? ここまで世話になっといてお前には血の涙もねぇのかよ!?」
あーもう、うっさい!! 耳元で叫ぶな!! ご近所さんに迷惑でしょうが!! あと……
「なに熱くなってんのよアンタ。だいたいなんであたしが自分の死んだ後のことまで心配しなきゃなんないのよ。――意味わかんないんだけど」
「そんなのわたしの仕事が増えるからに決まってんだろ!!」
なによ本音は結局それじゃない。身構えて損した……
「おいおいなんだよその顔は。言っとくがなお前、下働きを舐めんなよ。朝から晩まで上司の顔色うかがいながら毎日、生きてるあいつらがどれだけ健気か。本場仕込みでわたしが教えてやろうか? ああん?」
「そんなの知るわけないでしょ馬鹿!! 余計なお世話よ!! あたしはもう死ぬって決めてるの!! ほんっっと朝からウザイわね」
アンタと頭おかしくなる。一緒にいるくらいなら大人しく学校行くわよ!!
そう言ってあたしは「ごちそうさま!!」と言って食器を流し台に片づけると、なぜか都合よく立てかけてあったスクールバックを引っ掴み、久しぶりに玄関から外へ飛び出すのであった。
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