第39話 嫌よ嫌よもスキのうち――


 よっこらしょと胡坐をかいて向き直れば、僅かに生まれた動揺が明確な形になって表れる。

 歪む異空間。

 それは先ほどまで統率され切っていた威圧感を消し去るほど脆く形のない殺気が霧散しだし、続いて紡がれるわたしの声から耳を塞ぐようにガラガラと音をたてはじめる。


「別にそう難しい推理じゃないさ。いまのご時世。飛び降りなんかしたって誰かに迷惑をかけるだけだし、通行人を巻き込みかねないからな。そう考えたお前は静かに入水しようとしたんじゃないのかって、昼間のお前の反応を見てそう思っただけさ」


 他人を巻き込まずひっそり死ぬなんて言葉はまさにその典型だろう。


 まぁもう一つの根拠としては、靴やスカートの端が濡れているというところなのだが、そこを指摘するのは野暮だろうから、あえて口にはしない。

 ただ――


「そんな今にも潰れっちまいそうな顔して帰ってこられて『なにもありませんでした』なんて本気で通用するとでも思ったのか?」


 少なくともこっちは毎日が生きるか死ぬかの裏世界に身を置いていたのだ。

 たかだか十七も生きていない子供に欺かれるほど、わたしの眼力は衰えていない。


「それにそういう虚勢はその手の震えを隠せるようになってから言うもんだよ」


「――ッッ!?」


 そう言って指摘してやれば、ハッとなって自分の手を慌てて後ろに隠そうとするしのぶ。

 本人はそれで誤魔化したようなつもりみたいだが、その一つで仕草でわたしの推理がいくつか的中していると言外に伝えているようなものだった。


「……アニメの見過ぎなんじゃないの。なんでそんな風に考えつくわけ? もうすぐ死ぬあたしがなんでわざわざ自分から死ななきゃならないのよ。ばっかじゃない」


「まだ隠すか。まぁ別に答え合わせしたい訳じゃないからいいんだけどさ。……んじゃあ一つ聞くが、そもそもお前の『幻想』にはなんで扉なんてもんがついてんだよ」


「えっ――」


 今度こそ。今度こそ、しのぶの顔から仮面が剥がれ落ちる。

 その顔はわたしがなにを言っているのか理解できないような顔で――


「お前の『トラウマ』はそれこそ幻想で異界をまるまる一つ作っちまうほど異能力だからな。本来あんなわかりやすい出入口は必要ないんだよ。なんせ暴走状態とはいえ、ここの管理者は基本的にお前だ。本当に死にたいなら『幻想』を引っ込めればいい話だろ」


 ピタリと収まった異空間の奥。

 その玉座のように佇む扉の方を指さし、わたしは構わず口を動かした。


 なにせ幻死症が現実に干渉する『幻想』の全ては、基本的にその幻想を生み出した幻死症罹患者に委ねられるのだ。

 じゃあなんで扉なんてものがあるか――その答えは簡単だ。


「それができねぇってことは要するに『死にたくねぇ』って心のどこかで思っちまってる証拠だろ。いやこの場合死なせたくねぇってのが本音か」


「――あんたなに言ってるの?」


「なにって、お前が抱える問題を乗り越えられないもう一つ理由だ――っと」


 すると突如、グラグラと世界が揺れ始める。

 しのぶの動揺を察してか、それとも別の理由があってか。

 とにかく――これで確定したようなものだ。


 まったくこの娘あれば、この親アリだな。

 さっきからなんでなんでと理屈っぽいったらりゃしねぇ。


「ああはいはい、降参だよ。いまのわたしじゃどう頑張ったってここでは無力だし、大人しく黙りますよーっと」


 そう言ってベットに横になれば、呆気にとられたしのぶが噛みつくようにわたしの身体を前後に揺すり始めた。


「ちょっと最後まで話しなさいよ。なに自分で納得してるの!! というより、そこあたしのベット!? なに我が物顔で使おうとしてるのよ!!」


「死にたがりには贅沢すぎる。お前はそこのブランケットでも使って寝な」


 そう言って隣のブランケットの敷かれた一角を指させば、地団太を踏みつつどうにかわたしをどかそうと奮闘するしのぶをスルーし、大胆にも鼻提灯を浮かばせながら爆睡するのであった。


◇◇◇


「ばっかじゃないの……」


 そう言いながらも大人しくブランケットを羽織り、横になるしのぶ。

 昼間の騒動が相当、精神に来ていたのか。

 ブツブツ文句を言いながらもすぐいスース―と穏やかな寝息が聞こえ始め――


「寝たか……」


 むくりと起き上がり大きく伸びをすれば、そのやや離れた場所にあどけない寝顔をしたしのぶの姿があった。

 もっとぐずると思ったのだが、案外疲れがたまっていたのだろう。


 連日からくる慣れないストレスと環境の変化。

 まぁこんなゴミ部屋だ。いくら寝たって体調が戻らないの仕方がないだろうが――


「ったくガキはガキらしく大人に甘えてりゃいいのに、なんでその一言を素直に言えないかねぇ」


 ガジガジと髪を掻き揚げ、大きく息をつく。

 そしてその穏やかな寝顔を眺め、乱れた茶髪を指で整えてやれば鬱陶しそうに眉間に縦シワが寄る。


 まったくこうしていればただの女子高生でいられたものを。

 他人の人生まで変に気に掛けるからこういうことになるんだ。

 子供は子供らしく自分おやりたいことだけ突き詰めていけばいいというのに。


「まったくさ。お前はわたしのことを馬鹿だアホだなんて言うけど、わたしからしたらお前の方が馬鹿だよ、しのぶ」


 なんでそんなんなるまで溜め込んだか、問い詰めたくなる。

 やりたいこともできず、蹲って生きる人生のなんと惨めなことか

 こんなもん書いちまうくらい追い詰められて。――あの天才大好き女に目ェつけられて見つからないとでも思ってたわけ?


「はっ――!! そういう意味じゃやっぱりわたしとお前は似た者同士みたいだな」


 『遺書』と書かれたを茶封筒をビリビリに破り捨てる。


 それはわかりやすいSOSだ。

 ったく凛子の奴も、次から次へと難題を吹っかけてきやがる。

 気付いてたんなら自分で対処しろってんだ。


 あと残すはこの白い封筒だけだが、


(いい予感しないだよなぁ、これ)


 そうして封を雑に千切れば案の定、中から紹介状とは思えない一枚のSDカードと便箋が。


 とりあえず便箋の方から目を通していけば、そこには懇切丁寧に書かれた例の携帯端末の使い方が記されていた。


「あーなになに、この窪みにSDカードをぶっ刺して起動するだけ? あとは何もしなくても機会が勝手に読み取るから余計なことはするな――って馬鹿にしてんのかアイツ」


 凛子の奴、本格的にわたしを幼稚園児か何かと勘違いしてんじゃないだろうな


 そうして説明書の通りSDカードを差し込み、説明書に記載されたパスワードを入力すれば――新しい情報が出るわ出るわ。

 それはここ二年で凛子が集めたと思しきしのぶが通う大学付属病院の記録だった。


 中身もそれなりに閲覧権限があるらしく健康診断。カルテ、病院日誌なんてものまで事細かに記されている。

 

(さすがは、特務許可証。なんでもありだな)


 中には個人情報らしきものまであるらしく、なんだか犯罪の片棒を担がされている気になるがとりあえずそんな雑念を振り切り、端末の画面を操作していけば――スクロールしていた手がピタリとある項目で止まった。


「ううん? このカルテは……」


 そこには富岡しのぶに関する膨大な量のカルテが記入されているのだが、中には別の患者と思しきカルテも混ざっているようだ。


 一見すればただのカルテだが、なんだこの違和感は。


「なんだしのぶの奴。前から体が弱いとは思ってたが、こんな病気まで患ってたのか。えーなになに、担当者は――野木崎、芽衣子? はぁー、ずいぶんと長いこと世話になってたんだな」


 遡るだけで都合十数年分。それも欠かさず経過をつけられているところを見ると相当病弱だったのだろう。

 数十年後に育つのがあれじゃあ、担当女医の努力も浮かばれないだろう。

 だがカルテを遡って行けば行くほど不信感は募っていくばかりで――。


 そうしてを見つけた時。わたしは口元に傾きかけていた缶ジュースを取り落としそうになった。


「十六年前、だと? んじゃ――こいつはまさか……」


 過去の入院記録や通院記録を調べ上げ、頭の中で仮説を組み立てていく。


 交通事故。三、四年前から続く母親の体調不良。植物人間。


 そしてトドメにしのぶの幻死症の発現。


 共通点は確かに存在する。

 ということはつまり――


「なぁ、これはそういうことってでいいのか」


 虚空に向かって話しかけるが、返事は帰ってこない。

 だがこれが真実だとすると、全ての謎に筋が通り――


「ハァ……、本当に面倒事じゃねぇかくそじじい」


 遺書もSDカードも全部バラバラにしたのち魔法で火をつける。

 いくら魔法が制限が多い世界とはいえ、全く使えないという訳ではない。


 ライターの火くらいなら指先でチョチョイのチョイだ。あとは――


(残された時間はあと二日。となるとわたしがとるべき行動は――)


 そして扉に手を掛けると、白い鍵を使って扉を開け放つ。

 無条件につき従う扉はわたしの意志をどうくみ取ったのか。

 室内では絶対にありえない隙間風がわたしの黒髪を盛大に背中に散らし、


「まったく依頼が重複するとか、ほんと面倒なことこの上ないな――」


 そう言って僅かに唇の端を持ち上げると、わたしは意気揚々と夜の街に身を躍らせるのであった。

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