第26話 依頼達成までの条件――

◇◇◇


 そうしてほぼ無言の気まずい朝食会という名の地獄を乗り越えることしばらく。

 大きなため息を吐き出す順太郎を玄関先まで見送ってやれば、重たい空気を一身に背負う企業戦士の姿があった。


 この役目は本来、彼の愛娘の仕事のはずなのだがあいにくと玄関に立っているのはわたし一人だけだ。


 この落ち込みようから察するにいつものことなのだろう。

 

「それじゃあ…………、行ってくるよ」


 と言って哀愁漂う背中のなんと憐れなことか。

 あれだけしのぶの機嫌に気を遣っておきながら、肝心の愛娘から朝の挨拶一つないとかあまりにも憐れすぎる。というより――


「相当嫌われてるんだなおっさん」

「ははっ、僕もなんでそうなったのかてんでわからないんですけどね」


 長年の社畜生活が染みついているのだろう。

 空元気を振り絞って無理に笑ってみせる順太郎。その姿は身の丈に合わない上等なカシュミオのスーツと相まってずっと情けなく見えた。


「それじゃあ、神無さん。娘のことをよろしくお願いします」


「おう任せとけよおっさん。今日明日中にはちゃんと立ち直らせといてやるから」


 そう言ってドンと薄い胸を鳴らしてみせれば、刃物で胸を突き刺したような鋭い痛みが駆け抜ける。

 なにごとかと身構える順太郎だが、これは襲撃とか不意打ちといった物騒なものではない。


(そうだ。そういえば、わたしこんなんでも十分重傷者だったッ!!)


 ビリビリと痛む胸を押さえつつ、何度か小さくせき込めば、口の中に錆び臭い香りが広がった。

 うん。傷は思ったより深いらしい。


「いっつぅ~~。い、痛みを散らしてたから忘れてたけど、わたしも怪我人だっての忘れてた」


「え、えっと――、その、大丈夫ですか?」


「あーだいじょうぶだいじょうぶ。たぶん肋骨の一本か二本ヒビ入ってる程度だから」


「いやいやそれ全然大丈夫じゃないような。その、うちの娘がやらかした事とはいえ、親の僕がこんなことを言うのも差し出がましいんですが、病院行った方がいいんじゃ――」


 あーいや。その忠告は素直にありがたいし、わたしも医者に掛かりたいのは山々なんだけど……


「生憎とわたしの財布にそんな余剰資金はなくてね。明日もまともに暮らせるかわからないレベルで困窮してんの」


 そもそもそんな金があるんだったら推しに突っ込みたい!! というのが本音だ。


 そう言ってきっぱりと金なし宣言をすれば、黒縁の眼鏡の位置を調整しハンカチで額を拭う順太郎が恐縮そうに頷いてみせる。


「は、はぁ貴女がそれでいいのならいいですけど。その――桐生院さんが大丈夫だとおっしゃっていたから信用しますけど、あんまり無茶な真似だけはやめてくださいね。大切な娘なんで」


「わーったわーった。そこらへんは凛子の馬鹿にも口酸っぱくして言われてるし、みーちゃんにも釘さされちゃったからね。ま、死なない程度に何とかするさ――」


「あなたほんとわかってます!?」


 黒縁の眼鏡を押し上げ、咳き込むように声を荒げてみせる順太郎。

 

 まぁ彼の親として娘の身を案じる気もわからないではない反応だ。


 なにせ、専門家がいない状況で医者が告げた不確かに設定した期限だ。

 暫定的とはいえ、富岡しのぶに残された時間はあまりにも短い。


「はぁ、これが桐生院さんだったらどれだけ心強いか」


「おいおい、今更いもしねぇ奴のこと言ったって何も変わらねぇだろうが。つか、わたしの何が不満だこら。舐めた真似言ってるとぶっ飛ばすぞ」


「ひぃいいい、すみませんごめんなさいぶたないでくださいなんでもしますぅ!!」


 そうしてあからさまに拳を握りしめてやれば、ペコペコと高速で頭を上げ下げして見せる順太郎の姿が。


 この情けない依頼者が言う通り、いまこの富岡邸に居るのは持ち主である富岡家を除いてわたしだけだ。


 先の失態により、信用が地の底まで落ちたわたしだったが、どうしてこの場に彼女らがこの現場にいないかといえば、


「ったく。まさかあの凛子から気を遣われる日が来ようなんて思わなかったよ、ほんとに」

 

 そう。あの傲慢で負けず嫌いで高飛車な女が、事もあろうに依頼を『貸し』という形で譲ったのである。

 

 わたしの仕事っぷりを評価して、感極まって依頼を譲られるのならまだよかったが、現実というのは虚しいものである。

 開口一番。凛子の口から飛び出した言葉は、


『先ほどの順太郎さんが言ったように、貴女にしのぶさんを預けるのは反対です』


 とのことだった。


 まぁ目の前であれだけ盛大にやらかしたのだ。そう言った失望の烙印を押されるのも無理はない。

 わたしとしてもあれだけの失態はかなり珍しい部類だ。


 呆れられても仕方がないし、ここが極道の世界なら指の一本や二本詰められても文句は言えない。


 本来ならここでお役目ゴメン。依頼失敗でわたしは強制送還。

 という運びになるはずだったのだが、その正論の後ろに『ただ――』という言葉が続くのは予想外だった。

 そんな凛子の言葉の長ったらしい説教をまとめると――


『わたくしはこれでもあの子とそれなりの信頼関係を築いてきた自負があります。

 そんなわたくしでさえ、あの子があそこまで他者に感情的になったのをはじめてみましたわ。

 なので鬼頭神無。貴女には三日間だけ時間の猶予を与えますわ。その短期間でこの停滞した状況を何とかしてみなさい。もしこれ以上進展がないようであれば、問答無用でわたくし達がこの件を処理します。いいですわね』


 とのご慈悲を頂いた。

 それもこれもあの『強襲、お掃除大作戦』が失敗したがゆえの裁量なのだろうが――


「まぁ我ながら無茶な要求を呑まされた感はあるけど、あそこまで言われたらそれこそやらなきゃ嘘だよな。どっちにしても今更引く気はないし、わたしのやることは変わらないからいいんだけど」


「あーもう。ホントあなたに任せて大丈夫なのかなー」


「いまさら依頼人のアンタがそんなこと言ってもしょうがねぇだろ。あのじゃじゃ馬小娘の心配性はおっさん似かよ」


 そう言って「ほらほら会社に遅れるよ」と頼りない背中をせっつけば、「もう遅刻確定なんですがねぇ」という情けない声が返ってきた。


 そして最後まで煮え切らない父親の後ろ姿が見えなくなるまで見送る。

 そうして厄介な依頼人が消えたのを見届け、左右に振った右腕を静かに下せば、


「~~~~~~~~ッッ!!」


 ミシリと軋みを上げる腕に、堪らず声にならないうめき声が零れ出た。


 思春期の少女とはいえ『幻想』持ちの少女だ。


 生身で相手していい状況でなかったとはいえ、少し無茶をし過ぎたらしい。

 服の裾なんかで見えないように隠してはいるが、わたしの身体は現在、ミイラ男も真っ青なほどボロボロだった。


 まぁ今のところ、魔力を回して痛みを散らして騙し騙しやっている状態だが――


「こりゃ手加減なんてまどろっこしいことしてたら死んじまうかもしれないね」


 痛む腕を柔らかく擦り一息つく。

 とにかくわたしに与えられた時間は、今日を含めて残り三日しかないのだ。


 目的は決まったとはいえ一分一秒と無駄にはできない状況。

 わたしにできることと言えば、愚直に、それこそわたしらしく問題に向き合うしかこの依頼を達成できる方法はない。


 そのためにはわたし一人がこの問題に向き合うのではなく。

 当事者たる富岡しのぶの協力が必要不可欠になってくる。

 ということで――


(とりあえず当座の目的はあのじゃじゃ馬小娘との関係修復か)


 自分で望んだこととはいえ。誰かのやらかしの尻拭いとか、こっちの世界に転生してもやることは変わらないみたいだ。


 まったくオタ道を極めるのも楽じゃない。


 晴天晴れ渡る青いキャンバスを眺め、自分の頬に平手を打つ。

 そうして己の夢をかなえるため、改めて気合を入れ直したところで――


「さてと、それじゃあとりあえず――アキバにでも繰り出しますか」


 と窓際から寂しく除く不恰好なぬいぐるみを一瞬だけ見上げると、ご近所さんにも聞こえる大きな声で独り言を呟くのであった。

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