第10話 敵は本能寺にありぃぃぃぃいいい!!
なんだろうこの長い沈黙は。
するとそこまでの顛末を聞いたみーちゃんが、何かを思い至ったように手のひらを打ってみせた。
「ああ、なるほどー。それで昨日おじいちゃんがわたしに連絡してきたわけかー」
「うん? どうしたのそんな兎みたいに唸って。何か思い当たることでもあったの?」
「ああいや、大丈夫。こっちの話」
そう言って何でもないように手を振ってみせるが、途中『ううん? でもそうなると肝心の神無ちゃんの方にメリットがないような……』と呟き始めるみーちゃん。
というかそれ絶対、わたし関係あるよね?
そうしてうんうん唸る幼馴染を微笑ましい想いで見つめていると、どこか居心地悪そうにあたりを見渡すみーちゃんの姿があった。
なんだ、さっきまであんなに楽しそうだったのに。そのそわそわ感は。
「どうしたのさっきからキョロキョロして。……まさか。下着探しの時に盗聴器でも見つけたとか?」
「うん? ああいや、その――なんでもないよ?」
「なんだよそれー、気になるじゃん。それともやっぱりなんか変なものでもあったの?」
「いや、本当にそんなんじゃないの。ただそのね――思ってたよりずいぶん広いお部屋だなーって思って」
そうしてしきりに時計を確認する親友の姿に眉を寄せれば、困ったように笑みを浮かべたみーちゃんが唐突に下手糞な話題転換に舵を切り出した。
「たしか2LDKだっけ? 見たところ壁や床に傷や染みなんか見られないしずいぶんと綺麗マンションだけど……夜中とか大丈夫だった?」
ううん? そりゃどういう意味?
「えっ!? だってそのここ――でしょ?」
そう言い淀んでチラチラと忙しく視線を飛ばす彼女を見て、この怖がりな幼馴染がなにを言わんとしているかなんとなくわかってしまった。
「ああ、そういえばみーちゃんって心霊系苦手だっけ」
「べ、別に幽霊が怖いとかそんなんじゃないよ。ただ目に見えない存在が不気味なだけで――」
うん、それを世間一般では、怖いと呼ぶんだよ?
「それで、どうなの? やっぱり出たりするの?」
「あーいや、ないない。そういう事故物件とかじゃないよここは、至ってクリーンなとこだから」
「ええっ!? わたしはてっきり初めての一人暮らしで見栄を張ろうとして張り切れなかった神無ちゃんが、泣く泣く悪い業者に騙されていわくつきのアパートに押し込まれたとばかり思ってたんだけど」
「ずいぶんな勝手な言いようだなオイ。わたしゃ煙かなにかか」
「ええーっ、せっかくこうして近場のアパートリストをマッピングして持ってきたのにぃ」
そう言って鞄から取り出したるはおそらくここ近辺の賃借住居をプリントしたと思われる雑誌の記事が。見出しにデカデカと『猿でもわかる』と書いてあるところから完全に煽っているようにも見えるが、
(みーちゃんの場合はこれが素だから怒りたくても怒れないんだよねぇ)
ピクピクと震えるこめかみを必死に宥めて、深呼吸を一つ打つ。
ま、まぁ? みーちゃんの言いたいこともわからんではない。
なにせ東京のそれも一等地と呼ばれるような場所だ。わたしより一足早く社会に出ている彼女からしてみれば、その心配も当然と言えば当然だろう。
そう、家賃的な問題で。でも――
「ここはそんな怪しい場所じゃないから大丈夫だよ。いまのとこそういう怪しい気配も感じないし、不本意なことにセキュリティも万全だから」
「神無ちゃんがそこまで言うのなら大丈夫なんだろうけどー、……それじゃあやっぱりそれなりにお高いんじゃないのここ。お金の方は本当に大丈夫?」
あー、いや。それはですねぇ。
「引っ越し祝いに来てくれたみーちゃんには悪いけど、はっきり言って一年間バイトし続けても補填できないくらい高いね、ここ。だからほんとなら大丈夫じゃないんだよね」
「やっぱり!! じゃあどうやって神無ちゃんはこの先家賃を払っていくつもりだったの――って、んん? 本当なら? それってどういう意味?」
そう言い淀みかけた瞬間、何を思い至ったのか可愛らしい目元がカッ!!!? と見開かれ、さきほどとは別の意味でワナワナ震えだす親友の姿があった。
「ま、まさか。私がいないことをいいことに、その才能を使っておじいちゃんに内緒で人身売買の斡旋事業に手を出してたんじゃ――。人攫いは犯罪だよ神無ちゃん!!」
「だああああっ、なんでそうなるのみーちゃん!! わたしがそんな極悪非道の畜生に見えるの!?」
「いやだって神無ちゃんの家、極道でしょ」
いや確かに、極道=犯罪者は鉄板だけれども。
それくらい普通じゃないの? と首傾げられるとすごく虚しくなるんですけど。
「てかウチはいまどき珍しい任侠一家だからそういう下衆な真似はしません。そこんとこみーちゃんも知ってるでしょウチの家風!!」
「ええっとたしか、己の誇りを曲げるべからず――だっけ? いまどき珍しいよね。そういえばうちのおじーちゃんもよく自慢してたなぁアイツは男のなかの男だって」
いやあんな孫娘の門出を邪魔するようなクソ野郎、自慢する価値ないから。
確かにその生き様だけなら共感してあげられなくもないけど、それでもヤクザもんだから。社会の敵だから。
「で、何やったの神無ちゃん。私相手に言い逃れできると本当に思ってるの? いまならまだ遅くないよ白状しちゃいなさい」
「まるでわたしが犯人みたいな言い方だけど、みーちゃんのなかではわたしがやらかしたの前提なのね」
がっくりと肩を落とせば、同意するように曇りない眼がわたしを射抜く。
いやたしかに、高校時代はヤンチャやらかして色々信用ないのもわかるけど。
「あーあー、わかった。わかりましたよ。……まったく、これはわたしのプライド的にあんまり言いたくなかったんだけど、この様子だと納得してくれないかー」
「さぁ告白するなら今だよ。どんな面白エピソードを話してくれるの」
「いやだからそんなんじゃないって。――はぁ、親のすね齧ってるみたいで情けないからあんまり言いたくなかったけどなぁ」
誰にも言わないでよ? と前置きを一つ置いてから覚悟を決める。
「……このマンションさ、実はじじいの持ち物らしいんだよね」
「ゴメン、声が小さくてよく聞こえなかった。なんだって?」
「だから、このマンション、じじいの持ち物らしいんだよね」
「へ? いまなんて……」
ああもう、だーかーらー。
「このマンションの持ち主、ウチのじじいなの!!」
「え、えええええええーーーーっ!!!?」
一拍間が開いて、その後に身体をのけぞらせるような形で驚きが返ってくる。
そうなるよねぇ普通。だから言いたくなかったんだけど。
まぁ腐っても日本の歴史上はじめて極道組織の全国統一なんて前代未聞をやらかした経歴のある傑物だ。その総資産だって当然、馬鹿にはできたものではない。
昔からこういった先見の明があったらしく、ここの他にも東京の一等地にいくつも土地や建物を押さえているらしい。
「まぁそう言う訳で実質タダみたいな家賃で借りれることになってんのよ、これが」
「えっ、じゃあこの設備全部おじいちゃんが用意してくれたの!?」
「みーちゃんが驚くのも無理はないよ。わたしだってこれを聞かされた時は遂にボケたかと思ったもん」
本当ならもっと自分好みの部屋にする予定だったのに、わたしの想像を上回る最新設備を整えられては何も言えない。
「だからこうしてここ三日、好き勝手家賃の心配なく遊ばせてもらえたわけだけど。……うん? どうしたのみーちゃんそんな膨れた顔して」
「神無ちゃん独り立ちするって言って結局親にべったりじゃん。見損なったよ!!」
「――ああもう、そんな目で見ないでよ。わたしだって初めはちゃんと家賃半分でも払うって言ったんだよ? なのに頑なに譲ってくれないしさぁ、正直困ってんだよ」
それに『それが一人暮らしを許す条件だ!!』なんて言われたらこっちも頷くしかないじゃん。
「まぁ大方わたしの住所を押さえておきたいがための苦肉の策なんだろうけど、ほんっっっと、なに考えているのかわからないじじいだよね」
「うーん? でもさぁ『あの』おじいちゃんだよ。本当にそれだけの理由で神無ちゃんをこのアパートに縛り付けるかな。なんか不自然じゃない?」
「……みーちゃんもそう思う? やっぱ、いきなり一人暮らし始めた女の子が住むにはちょっと立地が良すぎるんだよね、ここ」
そう、ぶっちゃけ良すぎるのだここの立地は。
コンビニやスーパーも近場にあり、交通の便もいいと来た。リビングから覗く夜景は高層階だからそこそこよく、駅も歩いて十分の所にある。
これで水道ガス電気その他もろもろを省いて家賃タダだというのだから世の中舐め切っている。それこそサラリーマンのお父さん方に助走つけてぶん殴られても仕方がないレベルだ。それに――
「(わたしの方でもう一つ厄介な問題を抱えている訳でして――)」
「うん? 何か言った?」
「いいや、なんでも――それよりみーちゃん朝ごはん食べてきた?」
「えっ、まだだけど――どうして?」
「あ、いや――わたし、そろそろ職場の顔合わせの方に出向かなきゃいけなくてさ。もう出なきゃいけないんだよね」
そう言って時計を見上げれば時計の針は朝の十一時三十分を指そうとしていた。
このまま遅刻という訳にもいかず、さりとて幼馴染をこのままという訳にもいかない。なので、もしあの変態行動をしないんだったら好きに使っていいのだが――
「あ、それなら大丈夫。神無ちゃんのおかげでおじいちゃんがわたしをここに呼んだあらましがようやくわかったから」
「――?」
急に眩しいような目で見られ思わず首を傾げれば、クスクスと堪えるように笑ってみせるみーちゃん。
こういう時の笑い方に嫌な思い出しかないのはなぜだろう。
そう言えば――
「あれ、そういえば――みーちゃん。今日午前休貰ったって言ってたけど、どこか行く予定あったの? 休日のわりにはラフな格好だなーって思ってたんだけど……」
「うん。わたしもね神無ちゃんが珍しく『わたし達』に関わろうとするから変だなーと思ってたけど、これはそういうことだったんだね」
その含みのある言い方、嫌な予感がビンビンするんですけど!?
するとみーちゃんは床に置いた鞄から一通の見覚えのある封筒を一枚取り出し、それをツツーっとわたしの方に差し出してみせた。
なになに? 依頼書?
そうして、促されるままその茶封筒の口を破り、中にある達筆な文面に目を通していく。そして全ての内容を理解し終えた時――
「それでは改めまして。鬼頭神無さん。依頼人――、鬼頭清十郎さまのご依頼の元、『仁義屋』入社試験を始めさせていただきますね」
と背筋をピンと伸ばし、晴れやかな笑顔を浮かべてみせるみーちゃんを見て、二年ぶりに再会した親友が実はじじいの手先だったと確信し、わたしはそこで初めてじじいにしてやられたと気付くのであった。
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