第6話 成瀬美鈴という人
◇◇◇
結果――真っ白に崩れ落ちていた変態の姿が全てを物語っていた。
「……終わった」
どこか絶望めいた乾いた笑みを溢せば、屍の瞳から一筋の淡い雫が零れ落ちる。
いまにも闇落ちしそうな勢いで崩れ落ちているわたしだが、そのどす黒い闇を浄化せんとばかりに眩く照り付ける太陽のなんと憎々しいことか。
そんな放心状態の変態の足元には、どこか見覚えのある菓子折りが。
「これは――確かお隣さんの」
あんな変態的な姿を見せてしまったのに引っ越し祝いを忘れないとは、ほんとよくできたお隣さんである。
その心遣いたるや昭和のおばあちゃんを思わせるが、まさかそのお近づきの印が絶縁状に早変わりすることになろうとはお隣さん本人も予想していなかっただろう。
『たた、大したものではございませんがこれ引っ越し祝いですって――なんでそんな恰好なんでしゅかっっ!!!?』
と顔を真っ赤にして雷神の如き速さで逃げ帰ってしまった。
その変態のご尊顔を拝見したお隣さんの驚きと見事な逃げっぷりたるや。いま思い出すだけでも泣けてくる。
すごく若々しい奥様だっただけに本当に悪いことをしてしまった。
「はは、さっそくご近所さんとの異文化交流に失敗するとか……死にたい」
ははっ、と黒いネズミのマスコットもビックリな乾いた笑みが零れ出た。
きっと今頃その持ち前のコミュニティを駆使して、電話線を通してわたしの醜態が拡散されている頃だろう。
せめて最初の一発目くらいは普通のお隣さんで通したかったのに、どうやらそれも無理そうだ。正直、…………鬱だ。
「はぁああああああっ、これで変態やろうの称号は確実というわけですか」
重たいため息がドッと口から漏れる。
これで近隣で何か変態騒ぎがあれば間違いなく制帽被ったおまわりさんが真っ先にわたしの部屋を訪ねるだろう。やったね!!(やけくそ)
「……なんか、謂われもない冤罪で逮捕確定するまでそう時間が掛からないような気がするのはなぜだろう。なんだか引っ越早々、この部屋から引っ越したくなってきたんだけど……」
そんな今更感満載の後悔と共に玄関の扉が開けっ放しなことに気がついた。
そうだ。なにもこれ以上恥を晒し続ける必要はないのだ。
そうして幽鬼のようにのっそりと力なく立ち上がり玄関の扉を閉めようとした時――
「あ、神無ちゃんだぁ!!」
廊下の奥から太陽を砕いたような聞きなれた明るい挨拶が鼓膜を叩いた。
なんだ、この世界の神はまだわたしを辱めようというのか。
背後から立ち昇る後光の如き柔らかな朝日に思わず目を細めれば、その視線の先に既視感の残る人影が見えた。
どこか菩薩めいた、特徴的なゆるふわシルエット。
徐々に視力が戻り、その輪郭がはっきりと人の像を結んだとき、そこにはわたしの唯一無二の親友である――
◇◇◇
「……みーちゃん?」
「へっへーサプラーイズ。ヤッホー久しぶりだね、神無ちゃん。元気にしてた?」
思わず呆けたように親友の名前を呟けば、イタズラが成功した子供のような可愛らしい声が上がり、続いて朝日にも負けない柔らかな笑みがわたしの心を射抜いた。
「――っ、みーちゃん!!」
「おっとっと、うん、久しぶり神無ちゃん。その様子だとようやく夢をかなえられたって感じだね」
込み上げる感情に従って抱き着けば、じじい以上に華奢な身体がわたしのタックルを抱きとめた。
太陽を溶かし込んだようなゆるふわの淡いブロンドヘアーが鼻先をくすぐり、干したての太陽の匂いが鼻腔をくすぐる。
いきなり抱き着いたにもかかわらず、怒らないこの懐の広さ。しょうがないなぁーとばかりにわたしの背中を撫でてくれるこの優しさ。間違いない。わたしの知っている成瀬美鈴だ。
「え、でもなんで――ていうか今日は平日の金曜日だよ、仕事は大丈夫なの!?」
「へへー、神無ちゃんを迎えに行くって言って和真さんに無理言って午前休もぎ取ってきちゃった☆」
どうやらわたしを迎えに来てくれるためだけに休みを取ってくれたらしい。
え、でも――
「みーちゃんを驚かそうと思って、住所はまだ教えてなかったはずなんだけど――」
「ふふっ。実は昨日の夜におじいちゃんから連絡があってね。ウチの孫娘が一人暮らしで浮かれてバカやってないかちょっと見てくれないかーって頼まれちゃって」
「まぁ結果は見た通りみたいだけど」と苦笑され、その視線を追って自分の無様さに目を落とせば、カッと内側から猛烈な羞恥心が襲いかかってきた。
「あ、いや。そのこれは――」
「ふふっ、私と神無ちゃんの仲なんだから今更隠さなくたって平気だよー。おおかた朝やってきたご近所さんをおじいちゃんの部下さんと勘違いして飛び出しちゃった口でしょ?」
まさかの大正解!?
「ははーっ、やっぱりか。神無ちゃん昔からそういうとこあるからなー、神無ちゃん見た目もすごくきれいなんだから気をつけないとだめだよ?」
「はぃ――」
うう、こんなことならちゃんと服着ておけばよかった。
親友との感動的再会がまさかこんなことになるなんて。
すると顔を真っ赤にして自分の身体をどうにか隠そうとするわたしとは裏腹に、してやったりとしたり顔でVサインと決めてみせる親友の姿があった。
おそらく自分の組員を派遣してぶっ飛ばされるのが目に見えた末の決断だったのだろうが、あのクソじじい。よりにもよってみーちゃんを使いおって、何様のつもりだ。
確かにあんな背高のっぽの脳筋共が引っ越し先のお部屋にぞろぞろお邪魔しようものならそれこそご近所さんに噂されること間違いないので、問答無用でぶっ飛ばしていたところだが――
(さすがのわたしも親友の顔は殴らないだろうと見透かされていたことが腹立つぅううう。今頃ニヤニヤしてドヤ顔かましてんだろうなぁ、ああ腹立つっぅううう)
なによりあんな気遣いもできないようなクソじじいに最後まで世話を焼かせてしまったことへの羞恥心がやばい。
あんだけかっこよく啖呵切って家を飛び出したのに結局はこれか!!
「どうしたの神無ちゃん? 急に百面相なんかして」
「いや、自分の情けなさでちょっとね……」
つい先刻もやらかしてしまっただけに、ぐうの音も出ない。
ちくしょう。結局はじじいの言う通りになってしまった。
でも――
(わたしの数少ない親友を家に呼んでくれたことは素直に感謝しないでもないかな)
内心そんなツンデレめいた言葉を自覚しながら、じじいのしたり顔を振り払い、無遠慮に美鈴の手を取った。
「とにかく午前休とったってことはまだ出勤には時間あるんでしょ、どうせだったらうち見てく?」
「うん最初からそのつもり。それに神無ちゃんがまだ和真さんとの顔合わせ終わってないって聞いてるし、私もいた方が緊張しないかなぁーって」
なんだそれ。なんで一社員との顔合わせでそのカズマさんってのが緊張しなくちゃいけないのだ。
「……ねぇ、神無ちゃん。もしかして、怒ってる?」
うん? 怒ってると聞かれればもちろん――
「怒ってる。どうせ来てくれるんだったら、部屋ももっとちゃんとした状態でもてなしたかったし」
「ごめんね。おじいちゃんに絶対秘密にしろって言われてて」
「……おみやげ。お土産あるんだったら許してやらない事もない」
そうして唇を尖らせて明後日の方向を向けば、呆気にとられた親友の口角がニマニマと歪みはじめた。
「おやおや~、もしかして神無ちゃん照れてる~?」
「うっさい。ほらそんなところ居たら通行人の人に迷惑でしょ、四の五の言わずささっと入る」
そう言って美鈴を部屋に押し込めば、先ほどまでのからかい上手とは一転して「ただいまー」と我が家のように嬉々として部屋に入っていくみーちゃん。
その変わらない友人の後ろ姿を前に、わたしは先ほどまで犯したあられもない醜態も忘れて小さくため息をつくと、
「まったく、本当に勝手なんだから」
と一年ぶりの親友との思わぬ再開に苦笑気味に顔をほころばせるのであった。
そう。この時までは――。
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