4月25日の朝――
第5話 一人暮らしのインベーダー
そんなわけで自由である。独り立ちである。
上機嫌に鼻歌を歌いながら冷蔵庫を開け放てば、早朝にもかかわらずフライパンを手に取り、目玉焼きを作るわたしのテンションは高かった。
2LDKのクローゼットつき電化製品完備の最強プラン。
それは生まれて初めてわたしが手にした独立の旗印だった。
独り立ちを決行したばかりの小娘にしては少々豪華すぎる間取り。
キッチンは新品同然に磨き上げられ、その他電化製品も契約書の謳い文句も通り冷暖房完備という贅沢仕様だ。築年数もそこまでいっておらず、個室となる部屋の間取りはダイニング、洋室ともに広く、持ってきた荷物を詰め込んでもまだ余裕があるように感じられた。
まぁそれもこれも――、
「じじいとの約束だからしょうがないんだよねぇ~~~~(笑)」
勝利の美酒はなんと甘美なことか。
ルンルン気分で作り上げた簡単な朝食を口に運び、自分で自分を納得させる。
ぶっちゃけワンルームまるまる漫画や推しなどの専用スペースを作りたかったからじじいサマサマである。まぁ、そのおかげで住所を抑えられちゃった感は否めないが、その辺は良しとしよう。
それに――
「いくらあのくじじいが実の孫娘を手放したくなかったからって、年頃の娘の部屋に盗聴機とか監視カメラと言ったえげつないもんは設置しないでしょ」
その辺はさすがにクソじじいもプロである。プライベートといった踏み越えちゃならないルールはちゃんと守ってくれるはずだ。えっ、…………ないよね?
「(あれ、なんだろ? 考えたら急に不安になってきたんだけど)」
しかし今更いない人間のことを考えたって仕方がない。
何せ記念すべき一人暮らしはもう始まっているのだ。
薄い胸によぎった一抹の不安を誤魔化すように日用品の整理を終えれば、最後に異世界でもお世話になった『聖典』の数々を本棚に収納していく。
(いけないいけない。こんなことで挫けていては希望のオタライフなど夢のまた夢。目を覚ますのです鬼頭神無。あなたはもう自由の身なのだから)
そうだ。あんな血生臭い業カルマを背負ったやつらのことは忘れて、新しい生活を楽しもうじゃないか。
せっかく自由を手にしたのだ。
今日この日くらいはやりたいようにやっても罰は当たるまい。
そんなわけで昨日買ったアニメのDVDを地デジ対応のブルーレイに突っ込み大音量でOPを垂れ流す。暖房も遠慮なく入れて、終いにはキンキンに冷えたシソジュースと大福をセッティング。
うん、完璧な布陣だ。
「ふっふっふー、やはり新刊が即日で本屋に並べられる都会はええのー」
新たに補充した聖典の数々をホクホク顔で眺めては念願の記念特典版ポスターとカレンダーを壁にぶっさす。
コンビニもスーパーもアパートを出てすぐの所にあるし、駅は近いし、アニメイトは電車を使えばあっという間。
なんて最適な環境なのだッ!!
いままでは町の本屋によっても新刊は入荷せず、二か月待ちを喰らってSNSでネタバレを誤爆されるなど日常茶飯事だったが、そんな悪夢とはもうさよなら。
こうして文明の利器に触れるといままで隣町まで自転車を爆走させた日々はなんだったのかと泣きたくなってくる。
でもそんな某ラノベ主人公みたいな立ち位置からはこれで卒業。ようやくその負のスパイラルから脱出する時が来たのだッッ!!
「~~~~ッ!! これでわたしは自由だああああああああああああああ!!」
早朝にもかかわらず遂に喜びに堪え切れず、感情を爆発させれば、部屋で一人謎の喜びを踊りだす。効果はない。
『条件付き』の一人暮らしだが、夢にまで見た都会ライフ。
今までできなかった暮らしがやっと叶うと思うと抑えきれなかった。
これからは自分のオタ道に従って人生を自由に謳歌しようと心に決める。
そして今日は待ちに待った出勤日でもある。
引っ越し早々慌ただしい日程だが、今後のことを思えば頑張れる。
それに今日は入社する会社の顔合わせだけのはずだし、今朝ようやく連絡を寄こしたであろうじじいが指定した約束の時間までまだ余裕がある。
ならば社会人としての第一歩を踏み出す前にここは一つ。社会という過酷な荒波を乗り越えるために英気でも養うのがふさわしいだろう。
そんなわけで――
「音楽よーし。シソジュースよーし。大福よーし。号泣用のテッシュボックスは――後で買いに行くか」
今後のオタ道を満喫する意味でもこの第一歩は誰にも邪魔されてはならない。
そうしてすかさず愛しの少女漫画の続きを読もうとしたところで、
――ピンポーン。
と運命という化物が牙を剥いてきた。
この時間、この計ったようなタイミング。まさか――
「………………組のもんか?」
魔力を伴ったドスの利いた声を吐き出せば、ご近所さんに群がっていたカラスや小動物が一斉に飛び立った。
立ち上がった拍子に魔力の波動がテーブルを軋ませ、空気が震えあがる。
常識はずれな訪問客。
こんな朝っぱらからくる来客などあいつ等しか存在しねぇ。もしや、じじいがわたしの一人暮らしを心配して一人見張りを置いていた可能性だってある。
幽鬼の如く椅子から立ち上がり、魔王すらちびらせる眼光をもって玄関を睨みつけると、全身から立ち昇る覇気を惜しみなく放出して椅子から立ち上がる。
「(組の奴らだったらぶっっとばす……)」
ゆったりと玄関へ続く廊下を直進すれば、並々ならない殺気を身体に纏いオートロックの扉に手を掛ける。
そしてそのまま玄関先にいる相手を吹っ飛ばす勢いで扉を開け放とうとしたところで――わたしはいま何時であるかを思い出した。
そう、正確に言えば朝の八時である。
一人暮らし三日目でハイテンションになり過ぎて失念していたが、世間一般で言えば主婦のおかあさんが息子を学校に送り出してようやく自由を手にする時間でもある。
さてここで問題です。デデンッ!!
Q――そんな忙しい主婦のお隣に誰かが引っ越してきました。さて、貴方だったらどうしますか?
A――引っ越しのあいさつに行きます(笑)
(どおおおおぉああああああああああっっ、しまったぁああああああッッ!!!?)
その可能性を完全に失念していたッッッ!!!?
わたしの神憑り的な演算速度がはじき出した結果に脳内にけたたましいアラートが鳴り響く。
そう――何を隠そう、いまの神無は完全無欠の寝間着姿なのだ。
黒いブラトップスにハーフパンツという完全装備。
なにせ昨日は引っ越し業者から荷物を受け取ったおり、秋葉探索を優先するあまりにお隣さんの存在をすっかり忘れていたのである。
『引っ越し作業で時間を取られるのも面倒くさいし、夜に行くのも迷惑だよなー』というズボラな考えが完全に裏目に出た形だ。
この姿で一歩でも外に出ようものなら一発で思春期の男の子の性癖を歪ませてしまう自信がある。
確かにこの世界の界隈には真夏なのにロングコート一枚で外を出歩く猛者も存在するようだが、それは世間一般でいうところの変態という名の上級職に他ならない。
これが地元の田舎なら「もー神無ちゃんったらだらしがないんだからぁー」で済むのだが、ここは都会である。そして一応、二月十日に二十歳の誕生日を迎えたれっきとした成人女性なのである。
もしこれが本当にご近所さんによるご挨拶だった場合――
(わたしの一人暮らしが、終わる……)
しかもご近所さんの情報網を舐めてはいけない。一度不穏な噂をキャッチしようものならその情報はネット回線の如く瞬く間に拡散され、共有されるのだ。
そうなった瞬間、わたしのオタ道生活は一人暮らしだけでなく女としても終わってしまう。
(――だ、だめだ。日頃自分のことに無頓着なわたしだけどそれだけは、女としてそれだけは許容できないッッ!!)
ここまででコンマ九秒の世界。昔のわたしなら全身から立ち昇る魔力が超常的シナプスの波動を介して無意識に運命力を操作し、早まった右手を圧殺する勢いで留めることもできただろうが、ここは魔力のない現代日本である。
何度、嘆こうが失った力は戻らない。
そんなわけで――わたしの刹那の願いも虚しく、開け放たれたドアノブは無常にもわたしの指から華麗に滑り落ちるのであった。
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