5-2)あからさまな招待状。
「あったか?」
棚の後ろは、当然埃が積もっている。虫の死骸すらあるのでいっそ箒をかけたいほどだが、今はそういう訳にもいかないだろう。日比野の言葉に立ち上がると、日比野はやや複雑そうな表情で小さなメモ帳を持っていた。
中を見たのだろう。けれども俺の問いに、肯定も否定も返らない。
差し出されたメモ帳を受け取る。綴じノートのサイズは手に馴染むから、おそらく文庫本と同じA6サイズだろう。薄紫が基調となっており綴じ部分が濃い紫で、よくある無難なノートだ。表紙には特に書き込みなし。綺麗な表紙に汚れはない。けれども表紙に手をおくと奇妙な空白が左手の親指あたりに感じられた。表紙、というよりも、背の部分と言うべきだろうか。少しひしゃげるその感覚に、眉をひそめる。
開かなくとも、わかる。空白の原因は紙が破られているからだ。開いた結果もその事実を補強するもので、おそらくノートの前半部分が破りとられたのだろう。背の内側部分はノリと一緒にはぎ取られた紙の繊維らしきもので毛羽立っている。数枚だけ、破りとられた紙の切れ端が似たような形で残っており、切り取られた紙の断末魔をこちらに伝えてくる。
俺も日比野も、ノートは使う方だ。授業と言うだけでない。適当に書き殴った物を使い回すこともそれなりにある。
だからこそ、日比野の表情の意味がわかった。
「『第二校舎屋上に、男の影がある』か」
毛羽だった継ぎはぎ部分を見ている時ですら目に入った文字を読み上げる。一行の幅が少し狭い罫線。上下にかぶるように、でも二行使うほどでもない大きさの文字はシンプルだ。
書くのに使ったのは、おそらく油性ボールペン。インクだまりが少しと、二カ所ほど紙に穴が開いてしまっているのがわかる。
書かれているのは七不思議には満たない言葉。『第二校舎屋上に、男の影がある。真実を暴くなら月夜が丁度いい。ただし気をつけないといけない。見られたら、呪われる。七つ目の七不思議を知ることは、大きな災いを呼ぶことだ』――七不思議の王道だ。七つ以上七不思議がある学校もあれば、六つまでの学校もある。そしてこの「七つ目」こそのが七不思議のように言われるというのはよくある話だ。
内容としては、これまでの女子生徒と違い男が対象となっていること。そして演劇部の女子生徒と同じように、ほかの七不思議と違って危険を示唆するものであることが特徴と言えるだろう。
紙をめくる。後ろのページは白い。
「……どうする?」
案じるように、日比野が問う。含まれた問いかけごと、俺は頷いた。
「行くしかないだろうな。……吹奏楽部のスケジュールは今空いている。タイミングを決めよう」
これは招待状だ。吐き出した息は重く、苦しかった。
* * *
日比野が入っている部活の映画研究部は、週に一度上映会をする。視聴覚室を借りて映画を一本。参加は強制ではないし、週に一度といっても開催されないこともある。
けれどもあえて選んだのは、映画を見る日だ。部員でなくても希望すれば潜り込めるゆるさ故に便利で、そのまま準備室にむかって着替えることもできた。相変わらず海野先生はいなくて、鍵の開いた準備室。もう閉まって使えない可能性もあったが、うまくいったようで一つだけほっとする。
けれどもそれはひとつだけにしかなりえない。
どこまでを選んで、どこまでを求めるのか。これは良くないことなのだろうという自覚がありながら、それでも、を選んだのは俺たちだ。
「来たのはいいけど、鍵がないとどうしようもないよな……」
第二校舎屋上に続く踊り場でやや大仰にため息をつく。もしもの可能性に備えて日比野は声を出さないようにしているので、俺の声だけがやけに響いた。
「職員室にとりにいくか……? いやでもとれるのか?」
この声は、流石に屋上までは届かないだろう。あたりを見渡す。扉を試しに開けるのは先に延ばしたかった。
もし向こうにあるなら、こちら側にひきこまなければならない。希望としては、こちらであってほしいのが正直な気持ちだ。
「……先生がいないのを祈って、職員室行ってみるか」
耳を澄ませても、俺の声が響くだけだ。やはり、だめだろうか――階段を下りるポーズを取ってちらりと屋上の扉に振り返る。
こつり、と、露骨な足音が下から響いた。
「なにやってるんだ月山」
きた、という内心を拳の中で握りつぶす。屋上に出る前で良かったという気持ちと、なんで、という気持ちが肺を狭める。
高橋先生はおだやかに笑っていた。しょうがないやつだな、という様子の声と表情は、気のいい先生で、いつもと変わらないように見える。なにもかも日常の延長で、それは当たり前だ。俺たちは物語の人間じゃないから、日常と非日常の区切りなんて持つわけない。
なんで、というのはある意味では身勝手だろう。なにか手にはいるかもしれないという淡い期待は、俺たちが立てた失礼きわまりない妄想の種で出来ていたのだから。
けれども、最悪とは限らない。手がかりとの縁を繋ぐもの。人の言葉を引き出す力をもつ、魔法。演劇部の先輩が暴きたかったものがなんだったのか。死んでしまった女子生徒に対する想いなのか、贖罪なのか、それとも――
「また七不思議か。一人でよくやるなぁ」
日比野がなにか言いたげにこちらをみたのを、小さく手で制す。本当に魔法なのだ。そしてその魔法が、他の人間と違うことの可能性が胸を騒がせる。ひとつの可能性が、事実として浮かんでしまった。
半分答えが出てしまっているようなものだ。けれどももう半分、なぜ、なにが、を俺たちは知り得ない。
「気になるとつい、ってやつですね。読み途中の本を放っておけないタイプなんですよ俺」
階段を真ん中から手すり側に移動する。降りた方がいいだろう。日比野には反対側を目で示す。
「なにかあるのか?」
「なにかあるっていうか、まあ、なにかあるかなって見に来たんで」
高橋先生の言葉に、肩を竦める。幸いと言うべきか、高橋先生は俺がこの手の話題を苦手だということを知らないようだから変に探られることはない。ふうん、と声を漏らした先生は、俺の正面に立っている。
まるで俺が降りるのを邪魔するみたいですね、という言葉を飲み込んで、笑う。
「先生もご用事ですか」
声は普通に出せている、と思う。高橋先生は笑っているので、その内心は読めない。俺の内心は、高橋先生にどう見えているだろうか。
高橋先生は笑いながらも、しょうがないなとでも言うような苦笑をため息と一緒に吐き出した。
「生徒が変なことしないように見に来ただけだよ。真面目君がたまに羽目を外すと危ないからな」
「真面目君を信頼してくださいよ、悪いことする度胸なんて無いですよ」
「いやぁ、こんな時間にこんなところにいる奴を信頼っていわれてもなあ」
揶揄を拾い上げて軽い調子で言って見せても、高橋先生は笑って首を横に振った。まあ、実際問題俺が真面目かというと、高橋先生が言うようにこの時間この場所にいるんだから信用できるわけ無いだろう。そもそも、別に信用されたいわけではない。
怒られるのは当然ごめんだし、家族にも迷惑かけたくないし、先生たちを心配させてしまうことは悪いことだと重々承知だ。承知の上で、実際悪いことを選んでいるのだ。信用もなにもないだろう。度胸はないが、やるかやらないかといったらまた別だ。
「それで、どこ行くんだ? ここに用があったんだろ」
「用はありましたが自分だけではどうしようもないものでして。ちょっと出直してきます」
手すりから手を離し、高橋先生の横を通り抜ける。――はず、だった。
「実は少し聞こえてたんだけど。鍵がいるのか?」
「いるんじゃないですかね、多分」
掴まれた手首を捻るが、ぎちり、と力が加えられただけだった。痛みに顔をしかめてみせても、高橋先生は笑ったままだ。声を上げそうになっている日比野を見る。
黙っていてくれよ。そういう内心が通じたのかはわからない。
「いらないんじゃないか? 試して見ろよ」
「ええー……学校の屋上ですよ? 鍵が必要なかったらいろいろと責任問題ですよ。しがない学生だってそれくらいわかります」
手は、離れない。あくまで当然といった調子で言ってみせるが、高橋先生はやはり納得しないようだった。
「ものは試しと言うだろ」
「まあ試しっていえば試しですけど……先生、あの、その前に手。あんまり掴まれると折れちゃいます」
痛いです痛い、と表情を意識して伝える。先生は一瞬掴む力を緩めたが、それでも手を離してくれなかった。むしろ確かめるように、手首を握り直す。
「折れるってお前な……この骨でか? 関節に肉は付きづらいというし、この太さは月山の骨格のよさだろうな。恵まれているもんだなぁ」
「お褒めにさずかり光栄ですけれど、俺は繊細なんですよ。痛いの好きじゃないんです」
「道場通っていたくせにか?」
ふ、と高橋先生が鼻で笑う。そうですよ、と俺は頷いた。
「道場っていっても小学校のときまでですし、痛いのイヤだからやめたんです。非暴力主義なんですよ俺」
「男のくせに情けない奴だな」
「それは今時ハラスメントですね」
手を離さないままなので、掴まれていない方の手で高橋先生の手を剥がす。直接手を使えば、流石に高橋先生は俺の手首を解放してくれた。
「男にハラスメントもなにもあるか」
「あるって授業で習いましたよ。体育の先生なんですから保健の授業知っているはずだと思いますが」
「はは、流石真面目君だな」
手首は解放されたが、階段を降りきることが出来ない。あくまでこの場所で話そうとするのだろう。日比野には降りるように目で示し、高橋先生に向き直る。
日比野は足音を控えるようにそうっと、壁伝いに一歩ずつ進んでくれた。
「……先生、もしかして七不思議知っているんですか?」
「ああ、学校の七不思議な。変な怪談だよなこの学校のものは」
「この学校の七不思議に、第二が関係あるのは音楽室だけだったと思いましたが」
口の中が乾く。声がひきつらなかったことは幸いだった。罪悪感と、警鐘。前者が正しければ謝るだけですむ。けれども違うだろうことは予想してしまっていた。後者がただの悪戯からもたらされるものならいい。けれども悪戯ですら無い場合、俺は――
「月山がここにいるんだ。月山は、別の七不思議を知っているんだろう? 物語を読むなら行けばいいじゃないか」
「なら高橋先生は、なにに怯えているんですか」
ああ、高橋先生は笑ったままだ。笑ったまま、怒りもしない。訝しがりもしない。それがひどく、苦しい。
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