4-3)持つべきモノは友というのは本当だよな。

 続いた言葉に肩を竦める。好奇心というか愉快犯というか、なんて続けられると、とりあえず曖昧に返すしかない。俺も日比野も、他人に迷惑をかけない範囲の好奇心は大事にしたいタイプの人間だからだ――というより、今、確実に好奇心で面倒な羽目になっているのが日比野だよなと思うと洒落にならなくてうまく答えられない、というのが正しい。


 ぽん、と、微妙な心地を電子音が揺らした。今度は俺も日比野も落ち着いたもので、悪い、と水島が確認するのを眺める。


「あー……真なる弟からだ。つっても終わったわけじゃないから、まだ図書館から出ないとは思う。だからなんかあったらまあふつーに声かけでも端末こっちで連絡でも、気軽にしていいよ」

「おう、ありがと。いってらっしゃい」

「いってらっしゃーい、偽なる弟たちはおかげさまだって言いながらわちゃわちゃしておくよ」


 仲良くわちゃってな、などと最後まで淡泊にふざけた物言いで立ち去る水島を見送って、あらためて新聞を見る。まだ全部を確認できていないが、先ほどの記事を探す心地にはならなかった。


 一次ソース二次ソース云々ではなく、その生々しいことがもし記事になっていたらと思うとうまく受け止められる自信がない。物語ではそういうことがいくらかあったが、不愉快に思ってもこんな苦しさを与えるほどのことはなかった。

 近く感じてしまったものを文字で知ってしまうとしたら、それはどんな温度になってまとわりつくのだろう。想像したくも、実感したくもないと言うのは身勝手な逃避だ。それでも、正直な気持ちだ。

 正面では、日比野が丁度ため息を吐いたところだった。そうして吐ききったところで、目が合う。


「だいぶしんどそうだったけど、大丈夫か?」


 大丈夫ではないだろう、と思うが、どう聞けばいいかわからず結局そのまま尋ねるしかできなかった。落ち着いたとはいえ先ほどの様子を思い返すとどうにも放っておけない。俺もだいぶ滅入ったが、それにしても日比野は強く動揺しているようだった。


「ううん、先輩から聞いていたせいかな。なんか栞の主について、ちょっと思い入れしてたみたい」


 自覚無かったけど、と続いた言葉に頷く。どう聞いたかわからないが、近く感じれば感じるほど思うところはあるだろう。


「でもまあ、大丈夫。終わったことを僕が思ったところでどうしようもないし、でも感じたことをないがしろにしようとは思わない。今の段階ではそれで十分でしょ」

「そうだな」


 出来ることなんてなにもないのだ。その事実は多少の苦しさと、同時に出来ないことへの言い訳にもなった。


「……とりあえず、片づける?」

「だな」


 なんとも言い難い奇妙な苦みを口に入れたまま頷いて立ち上がる。秘密は守るよ、というあの栞の言葉が、ぐるり、と内側を巡った。


 * * *


 休みの間調べたというか手に入れた情報は、結局水島から教わったものと自殺した先輩に関係した記事だけだ。先輩についても『事実を隠したままにはさせない』という言葉が日記にあったというすでに知っていることについてと、『部室で発見された日記は、他のページが破かれていたりしていた』ということからいじめとされたことを新規で知ったくらいだ。


 『図書室の女子生徒』の話題にしがたい情報と先輩のことを抱えたものの、どう動けばいいかわからない現状。なにを調べていけば良いのかという大事な情報がないままとりあえず、という体で向かったのは体育館だ。けれども正直、この場所は難易度が高い。

 『体育倉庫の話し声』の舞台は、体育館のステージ横にある倉庫を示している。放課後の部活動があまり遅くまでならないようになっているとは言え、こうして見に来る時間帯はそりゃ当然運動部が活発に活動しているので体育館自体が普通に入りづらい。文芸部と映画研究部がなにしにきたっていう感じだ。制服姿で入ることの浮きっぷりは想像に難くない。別に部員以外が入ってはいけないってわけではないとは思うものの、用事がないということは後ろめたさを作る。

 それでも一応体育館の裏手に回ってステージ横に入りやすくはしようと足掻いてはみたものの、シューズの音と活発な声が見えないバリケードを作っているように感じてしまう。


 こればっかりは、どうしようもない。入らないわけにもいかずお互い目を合わせてタイミングを見計らっていると、ふと近くの扉が開いた。胴着を着た長身の男子生徒が、細く開けた扉からするりと身を動かす。面は外しているが、頭に布は巻いたままなのでこちらに向いた顔が見える。


木戸きど


 見えた顔は見知ったで、名前を呼ぶ。外に出てきた木戸は少し驚いたように目を見開いた。タイミングが良いと言うべきか悪いと言うべきか。物静かな木戸はすぐに表情を元に戻し、そのままこちらに近づいてきた。


「お疲れ。休憩か?」


 日比野が隠れる場所があるわけではない。一応俺の後ろに控えているとは言え確実に見えているだろうが今なにかできるわけもなく、とりあえず世間話という体で木戸に尋ねる。

 木戸は日比野をちらりと見たが、すぐ俺に視線を戻して問いに頷いた。物静かな奴だから、疑問はあれども特に日比野に声をかけることもないだろうということは話す前からわかっていた。それでも実際話しかけないどころか問いかけもしないことに少し安心して、そうか、と頷く。


「剣道部はこっち使うのか」


 するすると水道に向かうのを見て尋ねてみると、木戸が律儀に頷く。軽く会釈をしてから水道を使うあたり、木戸はどこでも丁寧な奴だ。


「悪い、邪魔したな」


 休憩と言っても、今この場所には木戸しかいない。おそらく合間に来てすぐ戻るだろうと思い、水道を使う横で謝罪する。木戸はすぐには答えなかったが、水道の蛇口をひねり止めると改めてというようにこちらを見、首を横に振った。


「大丈夫だ」


 ぽつり、と落とされた音は木戸の佇まいと同じく静かな音。動作だけでなく音で答えるのは木戸の優しさだ。有り難うと答えれば、小さな首肯を返される。

 そうしてからまた日比野に向かった視線と、俺に戻った視線。口がやや開いたものの閉じられ、ああ、と俺が声を出す事になる。


「こっちは気にしないで大丈夫だ。少し用事があってさ」


 おそらく問うことを躊躇っただろう部分を適当に濁し伝えると、木戸はもう一度日比野を見、俺を見る。用事ということを疑うような木戸ではない、と思うが、その静かな表情に宿るのは新たな疑問だ。


「……ここに?」


 今度の疑問は形になった。木戸の疑問は正しい。今人気ひとけがないように、体育館の奥にあたるこちらにわざわざくる奴はあまりいない。

 水道は備え付けられている。けれども正面に小さなトイレが隣接されているのと体育館の影になっているのが重なって、あまり明るさがないのだ。

 トイレについても、体育館の中にあるものの方が圧倒的に綺麗だ。しかも階段を下りた場所――外履きで利用するような場所なので、使う奴がいたらよっぽど緊急くらいだろう。

 剣道部は体育館の奥だから、正面に出て行くよりは楽だということで水道を使うのは納得だが、それ以外でわざわざここの水道に来る奴も、トイレに来る奴もそういない。


「ここというか、……あー、体育倉庫で少し確認したいことがあってさ。正面からだと入りづらかったからこっちにきてみたんだけれど、結局どこからでも入りづらいことには変わりないな」


 ちらりと日比野を見てから、苦笑を含めた息を吐く。木戸は俺の視線に釣られるように日比野を見ると、また俺に視線を戻し、それから今度は体育館を見て、二度、三度と静かに瞬いた。

 そうしてもう一度、木戸の視線が俺に戻る。薄く開いた唇が数度揺れるのを見て言葉を待つと、木戸は改めて体育館に軽く視線をやった。


「……行くか?」

「あ、いいのか!?」


 静かに端的な言葉だが、そこにあるだろう「一緒に」という言葉が読みとれて声を上げる。いや悪かったら木戸は言わないと思うのだが、ありがたい気持ちと邪魔にならないのかという疑問で声が出てしまった。


 木戸はこくりと頷くと、こちらに背を向けて扉に向かった。開ける前にはこちらを見るあたり、やっぱり律儀だ。問うような視線に頷くと、扉が開き熱気が直接響く。

 木戸は中に入ると俺たちに会釈だけしてするすると戻っていった。頑張れ、と声には出さず動作だけで見送って、すぐに体育倉庫に向かう。遠回りしながらこそこそ行くよりも、堂々とそこに用があるというように向かった方がいいだろう。多分。


 体育倉庫、といってもステージ横はモップといった掃除道具や長机などが多い。運動に使うマットとかはもう片方の倉庫の方となっている。こっち側はステージに関係する放送室のスペースもあってどうにも雑然としやすい場所だ。


「運が良かったね」


 日比野が声を潜めて呟く。一応見た限り人気ひとけがないとはいえ、影で見えないこともあるからだろう。木戸に感謝だな、と返して入り口近くで分かれる。

 体育倉庫の話し声、は、話し声というだけあって探す場所が明確ではない。『ステージ上手側の倉庫に入ると、話し声がする。電気が消えた部屋の中、潜めた声で女子がなにか訴えているようだ、とそれだけがわかることだ。どうしたのだろうかと耳を澄ませると突然明かりが付き、声は聞こえなくなる。気になって倉庫の中を探しても誰もいない』、というのが七不思議の内容だ。


「そこまで行くと見えなくはなるな」


 日比野が上手側に昇る階段近くに行くのを見て、声をかける。返事はこの距離だと無いのはわかっているのでそのままにして耳を澄ませるが、変化はない。部活中だからか時間帯か、理由はわからないがまあ女子生徒の声が聞こえてこないので今七不思議に遭遇していないということは決定事項だろう。

 体育館側の声は当然聞こえてくる。けれども、それがこの倉庫の中と勘違いすることは流石にない。再現しようも検証しようもないのが現実だ。


 聞こえないものはしかたないので入り口から見渡してみる。それなりに物があるから、死角の多い場所と言えるだろう。だからもし話し声がしても、ステージ脇から出て行くことは出来るかも知れない。普段聞いたらそういう理屈で、怪談とするにはあり得ないだろうと一蹴してやっただろう自分が想像つく。

 けれども今はその怪談に繋がる要素がないか探しているわけだから、中々奇妙なものだ。否定はしたいが情報は欲しい。ややこしい感情を優先事項で押さえて、入り口側でなにか見つからないかと屈み探る。


 なにか、と言ってもなにを見つければいいのやら、だが。自殺した先輩の暴きたかった真実。自殺ではないという証明。けれども同時に、先日聞いた十年前の女子生徒の話がぐるりと回る。

 体育倉庫ではあるが、ステージ横にあるからかなにやら看板やらなんやらもある。文化祭の時に使うものがここに保管されているのだろうか。作り直すものは流石に無いが、おそらく使い回しらしき看板や見覚えのある立て板が隅に置かれている。こういうものは生徒会とかで管理しているのかと思ったが、しかし考えてみたらステージでしか使わないのだから場所としては適切でもあるのだろう。


 ガラリ、と扉が開く音で屈んでいた体をあわてて持ち上げる。


「なんだ、捜し物か?」

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