第四話 過去から差すは、不穏な影!

冗談を言うのも憚られ出してきた。

4-1)読書好きだからって調べ物が得意とは限らないんだよ。

 図書館はそれなりに快適だ。この地域では大きい方らしいというのもあり、作業スペースもそれなりに広い。大きい窓のそばにある机なんかは、時期によっては日差しの暖かさと開けた空間でなかなか好ましいもの何じゃないかと思う。


 けれども今俺たちがいる場所は窓際からは反対側、人気ひとけのない隅の机。窓際の大きな何人も座る机と違い四人掛け程度の机が少しだけ並ぶスペースは、今の気分もあいまってか暗く淀んで感じられた。

 いやまあ完全に気分のせいだ。図書館のせいにしてはいけないだろう。


「……無理」


 ついに零れた声は、呻くような音でもあった。断末魔というよりも静かに潰れ消えてしまいそうな音と一緒に、日比野が突っ伏す。

 気持ちはわかる。立てた腕に頭を乗せたまま日比野の方を見ると、頭頂部がよく見えた。一応、雑誌はどかして突っ伏している当たりの理性は残っているとは言えるだろう。


 まあ理性が残っていたところで、気力が残っているわけではないから無意味なのだけれども。呆れというよりは同情に近い気持ちでため息を吐き出しても、頭頂部は動かない。


「そっちは見出しだけでそんな細かく見ないでも大丈夫だと思うぞ……とはいえキツいか。俺も、新聞全部確認できる気がしない」


 一気に借りるのはさすがに難しいので少しずつだが、それでも積み上げた物理的な高さに俺も気が遠くなる。検索ツールが欲しい、検索させてくれと言う投げやりな気持ちが正直なところだ。いやでもそもそも検索で見逃す可能性あるから紙媒体なんだよ、仕方ないだろ、なんて自分で自分を宥め賺しながらなんとか向き合っているようなところがある。

 それでも宥めきれているとは言えないし、日比野の気力を回復させる言葉も思いつかない。さてどうするか、と思いながらもそれは言葉だけのものだ。結局のところ、正直どうするつもりもどうにかできるつもりもないまま時間が過ぎていく。途方に暮れるよりは緩慢な惰性の中、ううう、と呻く声が日比野から漏れ出た。


「むーりー……先輩の自殺の件はなんとかなっても、栞の人は流石に難しすぎる……。先輩のはネットでも情報出たけど、名前もわからない人がどうなったのかってちょっとこれは無理……。先輩の記事に絞った方がいいのかなぁ」


 ぐだぐだとくだを巻きながら日比野が情けない声を漏らす。ため息にすらなり損なったやるきのない音はぐだりとそのまま机の上に転がるようだった。どうしようもないなあ、と、何度目かわからない実感がしみ入り、苦笑もできない。

 調べだしたのは俺たちの勝手だし誰に文句を言えるわけでもないのが余計しんどい心地だ。実際問題日比野の言葉は尤もで、俺たちが途方に暮れている原因はどうしようもないと言える。


 日比野が言うように、自殺という大きな事件は時期さえわかっていればなんとかなった。けれども事故という場合、調べようとするとぜんぜん違う事故とか事件が出てきて俺たちではうまく検索できなかったため、絞り込めずに手当たり次第なところが余計疲労を強くする。慰めてやりたいが、慰めようがない。


「本当に限界ならそっちに移ってもいいぞ。ネットで調べても複数人が死ぬようなでかい事故や事件はなかった、って現状だけでもまあ目的としては十分だしな。俺はこの新聞終えたら次の新聞借りてくる」


 少し投げやりかもしれないが、こればかりはどうしようもないものだ。気力がないのを無理に奮い立たせることなど出来ない。たとえ無理矢理がんばったところでも、見落としが増えてしまえば意味のない時間を過ごすだけになる。

 俺に出来ることはどういう形であれ日比野が気にしないようにそっけなく言うことだけだ。なにかすごい話術も能力もないので仕方ないが、なんとなく申し訳ない気持ちになる。惰性のまま眺めていると、日比野の頭頂部と投げ出されていた両腕がもぞもぞと動いた。


「うう、もうちょっと頑張る……」


 昼を食べた後だから余計集中力が切れだしてきたのだろう。俺自身、同じような自覚はある。更に言えば、日比野は特にしんどさが俺よりもあるだろうから余計だ。

 それでも日比野がのろのろと顔を上げたので、がんばれ、とおざなりにはなってしまったが一応誠実な気持ちでエールを送る。まあ、エールを送るしかできないともいうが。日比野は顔を雑誌に向けながらも、その手をひらりと揺らしてなんとか応えてくれたのであとはそのなけなしの気力に頼るしかない。


 一応言っておくと、俺の方がまだましという自覚はある。だからこそ新聞を買って出たのは俺だ。けれども正直手応えのなさに目は死んでいく。

 別に日比野よりも調べ物が得意だとか、そういう訳ではない。俺の場合、文字ならなんでも良いといえるくらい文字を追うだけでも好きというだけだ。平時なら広告とか成分表記ですら、暇つぶしには丁度良いといってつい眺めてしまう癖がある程度の文字好き。

 しかし、それでも、という言葉が続く。それはあくまで暇つぶしなのだ。この文字量の中から見つかるかわからないというかどういう表記かもわからない情報を探し出すのとは訳が違い、正直骨が折れる。本屋の背表紙から目的の文字を拾い上げるのは慣れた方だと思うが、文字量も途方もなさもそれとは違いすぎる。

 昨日の日比野じゃないが、見もしない先輩に思いを馳せてしまうくらいだ。いや、その先輩だってこんなことしたくないだろうけれど。ただの現実逃避なのはわかっているけれど、つい遠い目をしてしまう。


「なにやってんの二人とも」


 半ば死に体の俺たちに向かって、声が響いた。うえ? と間抜けというか変な声を漏らした日比野が、顔を上げてそちらをみる。


「あれ、水島みずしまくん。こんにちはー」

「ん、こんにちは」


 驚いたようにしたあと、すぐに日比野が挨拶を発する。へらりと手を振って呼んだ名前はクラスメイトのもので、声でわかっていたものの俺もそちらを見れば水島が日比野に返すように手を挙げて立っていた。律儀に挨拶を返す水島に俺も遅れて挨拶をすると、水島はこちらに近づいてきた。


「偶然だな」


 だらしないとわかりながらも気力がない故手に預けっぱなしだった頭を持ち上げて見上げ言うと、だね、と水島は頷いた。絶対に会わないとは言わないが、図書館で示し合わせていないのに遭遇するのは中々珍しいことだろう。

 どうしたのだろうと見ていると、水島は俺たちのいる机をじっと眺めた。それから改めて、というように口を開く。


「で、どうしたの。休日に日進月歩が揃って」


 さらっとした問いかけはあっさりしたものだった。まあ水島はたいがいあっさりしているけれど、その物言いに先ほど離したばかりの手をまた頭に戻す。


「校外でその呼び名使うなよ」

「悪い。でも、大きい声じゃないしいいだろ」


 軽くパフォーマンスを含めて額を押さえたのだが、対する水島は特に気にした様子もなく言い切った。本気でいやなな訳じゃないが、ついため息がでる。

 確かに、図書館であることを考慮した上だしなおかつ俺たちが選んだ場所も人気ひとけがないのでさほど関係ないかも知れないが、それでもついつっこみは入れてしまう。学校ではなじんでいるが、事情を知らない人間が聞いたら「なんのコンビ名だ」と思われそうな呼び名過ぎて校外だとどうにも落ち着かない。


「漫才コンビっぽくて烏滸がましいんだよソレ」


 日比野あゆむと月山進次しんじ。二人合わせて日進月歩、という呼び名はなかなか無いだろう。妙にまとまってしまっていて嫌いじゃないが、漫才を期待されてもああいう技術を俺は持っていない。学校内ならわかっている連中だけだが、校外だと目立つ気がしてしまってつい周囲が気になってしまう。


 いや、他人なんてそんなこっちのこと気にしないとは思っているけれど、それはそれ、これはこれだ。


「烏滸がましいってあたりが月山だよな。走る時漫才も聞くんだっけ」


 特に笑うわけでもなく、淡泊だがしみじみとした様子で水島が尋ねる。確かに、先月聞かれたときにはそんなことを答えた覚えがある。水島は近くにいただけだったけれど、よく覚えているものだ。

 とはいえ今は聞いていないので、いや、と頭を抱えていた手を横に振って答える。


「漫才は試したけど賑やかすぎた。走ってると集中して途中から聞こえなくなるし、内容知っている朗読に出戻って、その流れで今は落語聞いてる」


 途中から音が聞こえなくなるとは言え、いつも聞こえなくなるわけではない。無音よりも音を聞いていた方がお得感があっていろいろと試しているが、元々は自分の手持ちだとお婆様から借りた朗読関係が多い。ただ、すでに結構聞いてしまったので最近はもっぱらじーちゃんの持っている落語関係だ。


 朗読聞きながら走っていると教えたら何故かクラスメイトに面白がられてやけに音楽やらなんやら色々薦められるようになった時期もあったけれど、音が聞こえなくなる弊害は直らず結局いつもの場所に戻ってきた感じがある。

 まあ、飛び飛び程度には聞こえるわけだしお勧めはされる度今でも試しているけど。筋トレの時に聞ければいいのかもしれないが、あれはカウントが優先されるから中々ままならない。


「月山は色々見てるから余計笑いのハードル高いのかもな。日進月歩、中々似合っているしまとまっていていいと思うけど」

「僕はお気に入りだねぇ」

「知ってる」


 ぽんぽんと日比野と言葉を投げあいながら、水島が俺の隣の席に座った。それから、「で」と促すように短く声を出すと、俺たち二人を改めて見比べる。


「なにやってるの? 課外授業とかそういうわけでもないのになんか盛大だね」

「見ての通り調べ物だよー。ちょっとした仮説を証明できないかなって思って」


 ひらり、と日比野が手を振る。ふうん、と答える水島は淡泊だが、感情が表面にで出づらい方なので実際のところどう思っているかは不明だ。悪い奴ではないので、表情が読みとれなくてもあまり気にならないけれど。


「俺は弟の調べ物に付き添ってやったとても優しいおにーちゃんなだけなんだけど、優しいついでになんか手伝おうか?」

「わー、おにーちゃんやーさしー」


 日比野が間延びした声で答える。やさしいでしょ、と水島は神妙に頷いた。冗談の延長のようなやりとりだが、実際水島は無理して手伝わないが出来る範囲は手を貸す、というような、受け手が神妙に感じすぎない範囲で気のいいところがある。


「あ、ちなみに弟は友達と合流して一緒に調べ物中だから気にしなくて良いよ」

「そうか、おにーちゃんさすがだな」


 とはいえ俺たちと居て大丈夫なのかとついあたりを見回したのがバレたようで、指摘に俺も軽く答えた。まあ弟を放ってまずいようなことをするような奴ではないと思うが、一緒に来るというとそれなりにまだ小さいのかと気になってしまうのは仕方ない。

 確か小学生だったか、と考えている俺に「そ、さすがなの」とのんびり答えた水島は、そのまま日比野が積み重ねた雑誌に触れた。


「これ、見ても良い? 弟が合流するまで暇だし、真面目に付き合うよ? よく世話になってるし」


 目の前の新聞ではなく雑誌なのはそちらのほうが見易いと思った為だろうか。あくまで片手間、というような物言いは存外優しく、停滞していた空気に染み入る。


「お兄ちゃんホント優しさの塊かな……んー、でも見つかるかどうかわからないよ。七不思議のネタ元探しにきただけだし」


 日比野に否定されなかったのでそのまま雑誌を手に取った水島は、しかし雑誌を開こうとした手を止めた。それから俺に向けられた視線の意味を察しないわけではない。しかしなんと答えるかも自分からはしづらく、その視線から隠れるように肘を突いた手に再び頭を乗せ、新聞に視線を落とすことで目を逸らす。


「……なんか切迫してる理由でもあるのか? 月山がいるのに」


 声を潜めたのは図書館だからだけではなく、水島の優しさだろう。泳ぎそうになる視線を文字に意識して固定すると、うーん、と日比野が苦笑を含めた声を漏らした。


「一応、切迫ってほどじゃないよ。ただ知っちゃったことがあってさ。そうすると、半端な方がしんどいかなーってところあるじゃん」

「ああー」


 納得の声が返る。まあ、嘘ではない。少し言ってないところも多いし本当と言うには歪んでいるかも知れないが、思念がどうとか言うとまた憐憫めいた目が増えるだけだろう。俺は黙っているのが吉だ。

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