1-4)ジャンル表記は正確にお願いします!
響いた声に体がこわばった。日比野も肩を跳ねさせたが、声を出さないように口元に手をやって固まっている。
今日はやけに人に声をかけられる日だ。それは遅くに残っているから、と考えると仕方ないかも知れないが、なんとも言い難い気持ちで振り返り頭を下げる。
「すみません」
素直に謝罪すると微苦笑が返る。声をかけたのは司書の
「月山くんがこの時間まで、って珍しいわね。そういえば、さっき高橋先生こっちにきていたけど……大丈夫だった?」
「え、ああ、はい。帰る時間気をつけるように言われたくらいなので」
そんなつもりはなかったけれど、大丈夫と聞かれるということは苦手そうに見えたのだろうか。ごまかすように答えれば、本堂先生が少し眉を潜めた。
「本当にそれだけ?」
「……見た目に似合わないとは言われましたが、まあ、それだけです」
案じるような問いかけに、どうってことないというように返すと本堂先生は息を吐いた。仕方ないわね、という苦笑が優しい。
「気にしないで、って言っても気にしちゃうわよね。見た目なんて関係ないって言っても、そういうこと言う人がいるんだし」
「実際まあ、仕方ないかなと」
腹は立つがそう言ってくださる本堂先生に言っても意味はない。むしろ気遣いがあたたかい、と思う。司書として勤めて長いらしい本堂先生は、いつも物腰が穏やかなので心がちょっと和む。
「言われちゃうことは変えられないけど……先生が見てきた中でも、いろんな子がいるからね。本は誰にでも開かれているし――そうそう、学校で一番背が大きいんじゃないかって子がよく図書室にきていたこともあったわ。穏やかな子でね」
そこの席に座ってたのよ、と本堂先生がにこにこと言う。へえ、と名前も知らない先輩に少し親近感が湧いた。俺は背も低くないが、どちらかというと高さよりも体格諸々でああいうことを言われるタイプだ。だから学校一大きいっていうのとはまた違っているとは思うけれど、それだけ背丈が多い人で読書家ならもしかすると似たような苦労もあるかもしれない。
だからどう、という訳ではないが、一人じゃないと言うことは少し気持ちを軽くする。
「懐かしいわね」
ふと零れたため息は、秋の色に似ていた。どこか寂しげな音が向いたのは、その先輩が座っていた席、というわけではない。もっと手前、けれど遠く。いまこの場所では、どことわからないような距離。
不思議に思い本堂先生をみると、本堂先生は
「いやね、つい。ええと、その栞は本の付属品だから、借りるならそのままにしておいてくれるかしら」
本堂先生の笑い皺は優しさの形のようで結構好きなのだが、今の笑い方にはどこか疲労も見えた。そうして一緒に吐き出された付属品という言葉に、頷きかけた返事を呑み込む。
本堂先生の眼鏡の奥で柔和な瞳は、やはりどこか、少し遠い。
「付属品なんですか? 紙じゃない栞が挟まっているのって珍しいと思ったんですけれど」
モモに挟まっていた栞、そしてアンネの日記に挟まっている栞。探しているという人と、けれどもモモに挟まっていることは言われなかった、ということ。ぐるりとした疑問をほどく端を探すように問いかけると、本堂先生は静かに頷いた。
「そうね、珍しいわね」
穏やかな肯定。そうしてから、するりと本堂先生がこちらに近づく。「いいかしら?」と続けて尋ねてられ、つい日比野を見る。日比野は浅く頷いた。
俺自身、先生に聞かれたら渡さない理由もない。それでも普段と違いなんだか緊張した心地で本を差し出すと、本堂先生は大事そうに本を受け取った。両手で持った本を片手で支えるように持ち、空いた片手が表紙をなでる。それから小口を梳くように開いた指は、栞が挟まっていたページを開き直した。
開いたページの上で、ただ待つように栞はそこにある。
本堂先生の指先が、木工細工で出来た薄い栞に触れる。鳥が木に止まる絵を形作っている栞はどこか暖かく、そのくせ白いページに浮いて寂しくも見えた。
ゆるり、とそのまま指先が、木工細工の余白にあたる広いスペースに寄り添う。そこにあるのは、不器用に彫られた文字。
『秘密は守ります。貴方の側に、私もあり続けます。だから、お話ししましょう。』
「この栞は、昔の生徒が挟んだ物なの。本を通じて栞でやりとりをしていたのは知っていたから、そのままにさせて貰っているわ」
「卒業した後も?」
本堂先生の空気から問うことを躊躇ったが、それでも尋ねた。なんだか不思議な寂しさに落ち着かないが、当然の問いだとも思う。やりとりをしていた、というだけなら、いつまでも残す理由はない。卒業した後は当人が取りに来てもいいだろう。
けれどもその当然の問いに、本堂先生は眉を下げ、なんとも言いづらそうな表情で頷いた。
「受け取る子が、もう、いないから」
静かな声は、やけに胸をざわつかせた。日が落ちて冷えてきたから、ではない。しっとりと落ちた空気は、ひとつの意味を持つ。
「いない、んですか」
普段ならこういう相づちは日比野の方が向いていると思うが、今は声を出さないので俺が代わりに聞くしかない。復唱することで続きを問うと、本堂先生はもう一度頷く。
「ええ。やりとりをしていた相手の子が、亡くなってしまったの」
ひゅ、と空気が喉の奥で鳴る。自分たちと同じくらいだろう歳の学生が、死んだ。それは自分にとっては日常に馴染まないもので、ざわり、ざわりと胸のざわつきが皮膚にのぼる。
それ以上にガンガンと警鐘のように心臓がうるさい。卒業、死。単語が回って、意味を成す。可能性が、騒いでいる。ひきつった音が零れそうになるのを飲み込んで、本堂先生を見る。本堂先生は、悲しそうに目を伏せた。
「その栞を挟んだ子に亡くなったことは伝えられなかったわ。やりとりをしていたのが誰か、というのを、私が勝手に教えていいのかもわからなかったし。ただ、本を確認しに来ているのを何度も見てしまって。いつもよりも気にしているようだったから、ただ本のやりとりをしただけじゃないのかなと思って、聞いたら……ちょうど、相手から手紙のようなものを貰って、返事をしたんだけれどまだ読んでないみたいだからってその子が言って。……だから、伝えたの。『相手の子は急な事情で転校してしまった』って」
転校。栞に彫られた、貴方の側にあり続けるという言葉が重なる。本堂先生は、小さくため息をついた。
「その栞は、私がその子に渡したの。意味がないと言って、手紙を捨てようとしたから……手紙は他の人が見てしまうけれど、木の栞を変わりにはさんだらどうかって。木なら紙よりも残るし、学校に戻ってくるなんてないとは思うけれど、もし届けたい言葉があったら、手紙よりも短いものになるだろうけれど挟んでみたらどうかしら、って。栞が誰かに持って行かれてしまうこともあるかもしれないけれど、本に挟まり続ける限りは私はずっと貴方の選んだ本に入れておくと伝えてね。本で繋がったやりとりだったから、せめて、なんて私の勝手すぎる願いだったとも思うけれど」
本堂先生にとっても、複雑なものなのだろう。よく見かけた生徒が亡くなったというのは生徒を思う気持ちも自身の感情も重なって、そうして声をかけたんじゃないのかと思う。勝手と言うには優しく、しかし、確かに本堂先生個人の感情も強く含まれた提案。
「その子は「もし相手の子が大人になってから見に来たときに、なにが元だったのか覚えていられるように」ってもう一枚紙の栞を他の本に挟んでいったわ。約束したかったのに間に合わなかったって苦しそうにしていて、ずっと残っているのよね……」
今でもその子とは年賀状をやりとりするのよ、と悲しそうに笑む本堂先生にどう答えればいいかわからず、こちらも頷くしかできない。嘘を吐き続けていることになるだろうこと。それでも繋がっていること。伝えられないこと。先生が本当を言えないことを悪いことと言うには、あまりに寂しい約束だとすら思った。
届かないとわかった手紙が、そこに残ったまま、今日まで来ている。
「ごめんなさい、しんみりしちゃったわね。こんな話、これまでしたことなかったんだけど。……当時の生徒だって、知っているのはいつもその席にいた男の子だけなのに、なんでかしらね。つい」
しっとりとした空気を変えるように、本堂先生が明るく声を上げる。いえ、と短く答えると、ふと本堂先生が日比野を見た。ぱち、ぱち、と、眼鏡の奥で睫が何度か揺れる。そして眉間にはささやかに皺も寄った。
まるで思い出そうとするような表情に、ぎくりと息が詰まる。
「そういえば貴方、どこのクラスの子かしら? ごめんなさい、見覚えがある気がするんだけれど名前が……」
「先生、閉館時間なのに申し訳ありませんが、この本お借りしてもいいでしょうか。栞はきちんとそのままにしておきます。傷つけません、落としません」
咄嗟に声を上げたので露骨になってしまった。けれども内心の俺の反省を知ってか知らずか、本堂先生は穏やかに笑った。
「ああ、いいわよ。月山君なら大丈夫だと思ってるけど、ふふ、大事にしてね」
俺が話を聞いて緊張していると思ったのだろうか。少し軽い調子で宥めるように言った先生はもう寂しさを見せることなく、俺は息を吐いた。少しの安堵とこれ以上はいられないという焦りをごちゃまぜにしたままカウンターに移動し、借用処理をしてもらう。
ありがとうございますという俺の礼にあわせて頭を下げた日比野を見て、本堂先生は目を細めた。
「ああ、だからかしら」
漏れた声は淡い実感。夕暮れ色のような穏やかな声に首を捻ると、本堂先生は日比野の胸元を目で示した。
その目に浮かぶのは、淡さ。どこか優しい愛情のような、それでいて憂うような不思議な瞳に、懐かしむような色がある。何故だろうかと思うのと、本堂先生が口を開くのはほぼ同時だった。
「その制服、マイナーチェンジしてるのよ。昔のものだと校章のラインの数で学年がわかるようになっているのよね。……お下がりの制服かしら? 綺麗に使ってくれているのね」
お下がり。ふと脳裏によぎったイヤな想像に日比野を見ると、目をそらされた。いや、まさか。可能性を否定して、本を握る。
「……そうなんですね。いつ頃からですか?」
声は裏返っていない、はずだ。本堂先生も特に訝しがる様子を見せないから、大丈夫だ。大丈夫。そう繰り返す言葉の意味を、考えたくない。
「昔って言っても、そんなに前じゃないわ。七年前よ。さっきの話が十年前だから――最初気づかなかったけれど、懐かしい制服で思い出してしまったかもしれないわ」
内緒よ、と唇の前に指を立てた本堂先生に頷く。自分の想像力を殺したい、と思ったのは随分久し振りだ。日比野の背中に見えないように拳を入れる。
「あの、変なことを聞くんですけれど」
聞くんじゃない、と言う警告が内側から響く。そのくせ聞いておかねば、というようなやけに切迫した義務感がそこにある。
ぱちくりと瞬いた本堂先生をみて、喉がせばまる。息が苦しい。日比野の手が、やはり本堂先生から見えない位置で俺のブレザーを掴んだ。
「その亡くなった方のお知り合いとか、学校にいるとかわかりますか? 探している子がいた、とか」
ぱち、と不思議そうに本堂先生が瞬きをもう一回。そうしてから眉をひそめて、零したのは嘆息だ。
「少し、事情があってね。実は亡くなったその子のご家族、実際引っ越ししているのよ。学校にいるとしても私は図書室で会うだけだから気づけないし、そうねぇ担任だと違うかもしれないけれど」
静かに冷えた心地が、上から下、すとんと落ちる。わかってた、というような奇妙な言葉を飲み込んで、そうですか、だとか、お借りします、だとか、何か適当な言葉を発して本堂先生にさようならをいった、と思う。冷えが段々と、ぐらぐらと煮詰まるような心地。それでもなんとか図書室を出て、そして。
「……日比野」
出た音はうめき声に近い。気まずそうに目をそらしていた日比野は、苦笑いを口の端に上らせた。
「言い訳してもいい?」
「……どうぞ」
本を持っていない方の手で、手のひらを上に見せる形で続きを促す。演劇のような所作は日比野が喜ぶものだが、今はそれすら苦みになるとでもいうように日比野は奇妙な笑みを浮かべている。
「本を探すだけで、それ以上は月くんには言わない、巻き込まないつもりだった」
「それ、俺に言えないようなモンが原因だったってことだろ!?」
思わず叫んだ俺に、日比野がまた目を逸らす。魔法少女、は別にいい。女性の格好なんてそんなのどうだっていい。そんなことより。そんなことより、だ。
「……もう大体確信していたけど、やっぱり、栞の子が死んでいて思い残しだろうから知り合いがお前に依頼したってわけじゃないってことだよな」
「栞の子は生きている方にワンチャン掛けてました」
栞の子は、の言葉に一瞬目の前が暗くなった。本当にそういうことがあるんだな、なんて暢気なことを考えている余裕はない。あってたまるか。こんな、そう、こんななんで。
喉が圧迫される感覚。なにもかもが詰まったような息苦しさをそのままぶちまけるように、息を吐き出す。
「魔法少女じゃなくてオカルトホラーだろこれ!!」
ジャンル詐欺は万死だ、と叫んだ俺に、魔法少女だよぉと日比野は情けない声で答えたのだった。
(第一話 了)
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