1-3)見た目に似合わずが褒め言葉と思うなよ。
「日比野はなにがありそうだと思う?」
「ううん、モモでしょ? さっき月くんが話題に出した『ファウスト』の『時よ止まれ、汝は美しい』は有名な一説ってだけだし、時間泥棒と時を繋げて関連書籍として薦めるにもあれかなって思うんだよね。ファウストはがっつり舞台脚本だし、読みやすさ的にも癖が強いとしかいいようがないし。なにか流行とか話題とかのイレギュラーでもないかぎり、普通はやりとりが続くように読みやすい話とか相手が好きそうなの選ぶだろうしなぁ。……『銀河鉄道の夜』とか?」
するすると日比野が歩いて、文庫本を手にする。モモは時間泥棒を題材にしながらの旅行物語にも近い。そうすると、夜空を旅する銀河鉄道は確かに悪くない選択だ。しかし、そうすると問題も生じる。
「もし銀河鉄道だったら、栞が残ってない可能性もあるな」
「ああ、そうか。下手したらモモも危ないところあるよね。有名すぎると他の人が読んじゃうし」
「まああまり特徴がない栞なら、残しておく可能性も高いけれどな」
当時ならお互いどれくらいしたら本が置かれる、と分かった上で見ていたから二人のやりとりになったかもしれないが、卒業したならそれなりに経っている。それと、劣化が激しい本は入れ替えがあるという問題もあって中々難しい。
俺だったら、栞だけなら本についているのかなと思って挟んで置くと思う。けれど、もしかすると、やりとりのきっかけと同じように忘れ物と判断した人が先生に渡している可能性もある。他人が別の本に差し込む、というのは中々ないだろうが、親切で先生に、は結構な確率だ。
「……卒業の時期で、気にしていた、ってことは、本だけじゃないのかな」
ぽそり、と日比野が呟く。問うように首を傾げれば、ロマンスだしねぇと続けて言葉を落とされる。
「栞は相手のものだったんだし、栞を回収したいっていうのとはちょっと違うと思うんだよね。栞探しだけどさ、相手の人が自分の手元に戻したと考えたんじゃなくて残っているとその人は考えている。依頼主の思いこみだったらまた別になるけど、素直に当事者が「あるはず」と考えたんだったら、モモに挟んだときになにか残していたのかな、って思って」
「ああ、そうか」
元々忘れ物と思って付箋を貼った、から始まった物語だ。卒業間近だったら同じように付箋を貼って、なんらかの連絡をとろうとしていた可能性もある。相手が薦めてくれた本を知りたいだとか、相手の栞を返せなかったことの後悔ではなく、相手の返事、を探しているとしたら。
そこまで考えて、図書室を眺める。連絡を取り合うなら、単純に『モモ』を選んだときにメールアドレスでも差し込めばいい。知り合いが探すくらいならそこまで昔じゃないだろうし、可能なはずだ。でも、返事が欲しかった。
メールでは出来なかった、気持ちを運ぶ本の形。顔の見えない相手に送る手紙。
「モモ、になにか残って……いや流石に無いか」
「見るだけ見てみる? 本確認してないし」
このままでは手詰まり、ではある。最下段だったから眺めるだけだったものなので、確かに見てみる価値はある。モモに挟まっていれば知り合いが既に見つけているだろうが――しゃがんだ日比野がそのまま本をぱらぱらとめくり、立ち上がった。
「……栞、あったんだけど」
なんとも言い難い表情で日比野が呟く。こちらに言う言葉でありながら自分の中に転がってしまうような音は、なんでという内心をそのまま示すようでもあった。
「知り合いが見逃したのか?」
「うううん、これでいい、のかな?」
突然肩すかしに合ったような気分になるが、確かに日比野が手にしているのは栞だ。薄くくすんだ緑色の栞は、本に備え付けられたものではない。子猫のシールが貼られたそれは、誰か個人の物だとわかる。
「あの人、モモって知っていた、し。ううん」
「モモに挟まったまま、とは言わなかったんだろ?」
「言わなかった。言わなかったから余計謎過ぎる。……自分は確認できなかった、って可能性もあるけれど――いや、それだったらああいう言い方はしないしな」
ありえるけど、いやでも、と言葉を繰り返し、うーんうーんと頭を抱える日比野から本を受け取る。栞が挟まっていたページは読み終わりを示すラスト。そこに意味はないだろう。
「捜し物?」
突然かけられた声に、体が強ばる。振り向けばそれなりに大きい影ができていた。
逆光で顔は見えない。体格と声音で浮かんだのは体育教師。目が馴染んでいくことでようやく見えた顔で、それが間違いではないことを理解する。
「
「月山はよく本読んでるよな。こんな時間まで本探ししてるのか?」
からりと笑う顔はいわゆる爽やか、と言われるものだろう。大人にこういうのもなんだが、人なつっこさを感じさせる表情をする先生だ。
とはいえ、俺にとって話しやすいかは別だけれども。
「……今日は部活がないから、つい。本棚って時間泥棒ですよね。本屋でも図書室でもそう思います」
高橋先生は新任ではないもののまだ若い方、の先生だと思う。三十五、だったか。朗らかで冗談もそれなりにこなせて、生徒からの人気はそれなりに高い。ただ、たまに学年主任とかからは注意されたりしているのをちらっと見かけたこともある。
俺はと言うと、距離感が掴みづらくて少し苦手だ。厳しくて嫌われがちな学年主任のほうがいいというか、単純に
「それ、借りるのか」
「え、っと」
借りるとも借りないとも今の段階では答えづらく、言葉に詰まる。高橋先生はにこにこと笑って、意外だな、と言葉を続けた。
「月山なら読んだことあるかと思った。見た目に似合わず多読だもんな」
「……ども」
余計なお世話だ畜生。吐き出しそうになった不満を呑み込んで、短く返す。
高橋先生には悪気はない。それはわかる。悪気がないどころか褒め言葉の可能性すらある。でもまあだからといって喜んでやる器用さは一切無いけれど。
「まあ、読んだことはありますけど。読まない理由にはならないんで」
深呼吸の後、出来るだけ感情を無駄に混ぜずに答える。内心はやっぱりこの先生苦手だ、という気持ちで増しているが。まあ、確かに文芸部と伝えれば伝えた相手が三回くらい聞き直すから似合わないんだろう。自覚はある。
自覚はあるけれどだからって平気とは違うんですよねえ本大好きですよ悪いか畜生!
「高橋先生、は、何の用ですか? 図書室って、あまり先生方の利用はない印象なんですけど」
「たまに見回りにきたりするぞぉ。司書の先生がいるとはいえ、放課後は目が届きにくいしな。本も好きだし」
「へえ、そうなんですね」
意外だ。と思ってしまったので反省する。見た目で言われたくないのに、知りもしない人が読むのを意外と思ってしまっては同じようなものだろう。
高橋先生は相変わらず朗らかに笑っていて、俺の考えには気づいていないようだった。とは言っても、俺も高橋先生の考えなんてわからないけど。でもまあ、本が好きならそこまで苦手に思わなくても良いかもしれない。本好きに悪い人はいないなんて大げさな考え方はさすがにしないけれど、話すハードルは下がる。
ただまああんまり長話する気はないんだけれど。いつもだったら話に入ってくれる日比野が黙ったままで、息を潜めているのがちょっと哀れだ。あと頼りの綱が無くて俺も少し寂しい。
「その本、俺も読んだよ。栞が入ってるだろ、確か」
「あ、はい。便利ですよね」
じっと見下ろす先生に頷く。高橋先生、結構大きいんだよな。俺みたいにどっしりしたタイプじゃない長身なので、余計女子に人気なのかもしれない。いや見た目だけじゃなく性格が大きいと思うけれど。
もぞもぞと落ち着かない気持ちと、いやでもモモ読んだ人だしな、とよくわからない気持ちで先生を見上げていると、うんうんとよくわからない頷きをされた。
「栞、便利だよな。俺はついそういうの使わないで適当にしちゃうんだよ。他にも栞入っている本あったら教えてほしいくらいだ」
「あー、だったらスピン付きはどうですか? 新潮文庫はたいてい付いてます」
「スピン?」
高橋先生が不思議そうに繰り返す。ああ、とつい声が出た。そうだ、これはあんまり一般的じゃないか。
「たまに文庫で挟まってる、えんじの紐見ませんか? 栞紐とかのほうが一般的かな。すみません、祖母がそういってたからついそっちで言っちゃうんですよね」
「へえ、そんな名前なのか。文庫以外でもあるといいんだけどな」
「一応栞紐付きはハードカバーの方が多いのかな……。コストの関係であったりなかったりするらしいんですよね。有ると便利だけど無くても栞使うから気にしていなかったなそう言えば。派ですか。だから咄嗟にどれってお薦めは出来ないんですよね……すみません。栞、今度あげましょうか」
「はは、流石に生徒から巻き上げないよ」
からりと笑って高橋先生は手をひらひらと動かした。まあ、そりゃそうか。自分で栞を持たないってことは、本が好きでも借りる程度なのだろう。
そこでちょうど話の区切りがついて、「そろそろちゃんと帰れよ」なんてごもっともな言葉と一緒に高橋先生が立ち去るのを見送る。そうしてからややあって、ようやく、というように息を吐く音が響いた。
「ごめんね任せきりにしちゃって」
「いや、こっちこそ長くなって悪い」
ふへえ、と日比野が疲れたように声を漏らす。珍しいな、と思うと、顔に出たのか日比野が苦笑した。
「この格好のせいかな。ちょっと息が詰まった」
「火野の時は平気そうだったけど、先生だとやっぱきついか」
「火野くんは火野くんだしねぇ」
火野はこざっぱりしているから日比野の言い分もよくわかる。加えて火野と日比野で出席番号は前後だし、まあなんとかなるみたいな感じも強いのかもしれない。
仕切り直しとでもいうように「どうしよっか」という日比野に肩をすくめる。
モモ、に、栞はあった。けれども日比野の依頼から考えると、それでも足りない。なんでモモに栞があったのか。他にも栞、と言う高橋先生の言葉が浮かぶ。
他にも栞、があるのなら。
「……キティ、か」
「え?」
「栞。子猫だから『キティ』。相手に返事を欲して場所を指定する意味で貼ったか、それとも相手が返事を伝えるために本を選ぶ理由の一つを栞からとったかの可能性があるなら、ってだけだけど。そもそも栞が残っているってことは、この栞にもう一個、新しい栞を使ったかもしれないだろ。猫の絵じゃなくて、シール。そうして相手が残した情報をここに置いて、自分がもう一つ栞を使ったら」
当てずっぽうな可能性だが、試さない理由にはならない。奥の棚に向かうと、日比野も付いてきた。
とりあえずの思いつきだが、なにか意図がないと探しづらいから適当なのも仕方ないだろう。さっきのモモの挟まり方を見ると、最初に考えた背表紙からは難しそうとわかるし、さすがに一冊ずつは本当に人海戦術だ。
「アンネの日記?」
手に取った本を見て、不思議そうに日比野が呟いた。頷いて、表紙をめくる。戦時中、迫害されるユダヤ人の少女が日記を付けたという体裁の重たい内容だが、故に本を媒体にやりとりする秘された二人には少し近づく。
キティ、というのはアンネが日記に付けた名前だ。元々キャラクターだけでなくそれなりに使われやすい愛称として存在しているし、猫が題材の物語は色々とある。けれども今回自分が思い浮かぶ範囲で考えると、アンネの日記が一番しっくりくるのだ。
アンネは日記に名前を付けると、友人のように扱った。どういった言葉と共にこの栞があったかはわからないが、有名な話であり相手が想像できる可能性は高い。背表紙から見ただけだと栞は顔を出していなかったが、手に取ると少しの厚みが小口からも確認できた。どきりとした心地のまま、一縷の望みとして本を開く。
「……あった」
隣で見ていた日比野が小さく声を漏らす。挟まっていたのは紙の栞ではなく、木で出来た上等なものだ。残っているのが意外なくらい、特別なものとわかる。頷いて、栞に手を伸ばし――
「もう閉める時間だけれど、いい?」
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