30.碧月夜空/せりなずな、ごぎょうはこべら

「なんなの……」と画面を見ながら呟くことしかできなかった。

 星爆の次は転載だった。

 別の小説投稿サイトに、夜空の「桜見町あやかし探偵」と「私の嫌いなおじさん」が無断転載され、あたかも自作であるかのように宣伝するなりすましツイッターアカウントまで作られていたのだ。

 そしてそのなりすましアカウントは、あろうことか夜空の方を転載だと主張するツイートを繰り返していた。


《@Nanakusa_kayu 連ツイ失礼します。私の作品が転載被害に遭いました。あろうことか、その転載者は、私の作品でナクヨムのコンテストに参加しています。拡散お願いします。》


 画像が添付されている。開くと、あたかも@Nanakusa_kayuの方が夜空より先に投稿しており、後から投稿した夜空がコピペ転載し、相互評価クラスタに接近し、他人の作品と内輪の評価で今にも選考を通過し栄光を掴もうとしているかのような内容が綴られていた。全部嘘だ。

 だが、そこそこの数リツイートされている。今はまだナクヨムのクラスタには飛び火していないようだったが、放置しておくことはできなかった。

 今はそれどころではないのに。

 七尾ユウ、または古田侑から、もう一度、今度は儀武を交えて会おうという連絡が届いていた。

 手元には、古田侑が残した儀武一寸の調査報告書がある。間違いなく独身。結婚歴も離婚歴もなし。ネットで作っている人格はすべてが嘘ということになる。発行元の探偵事務所もおかしなところではない。

 本当かどうかは、儀武本人に訊いてみなければわからない。だが、報告書に目を通しているときの腑に落ちるような感覚を、抱かれた時、言葉を交わした時、LINEが返ってきた時の嬉しさが否定する。嘘だと思えば、心底嘘だと信じられない自分が許せない。本当だと思えば、やはり騙されていた自分が許せない。怒ればいいのか。泣けばいいのか。どちらにも振り切れないもやもやだけが広がって、何も手につかない。どちらにも転べないから、儀武に問い質したいのだ。

 なのに今度は転載まで。

 知らせてくれたのは、例によって綾乃だった。


《@ayano_19990628 ごめんなさい。気づいてなかったですよね。私が知らせなければ、ご心痛を増やすこともなかったのに。でも許せなくて……》


《@Yozora_Bluemoon 知らせてくれたこと、嬉しいです。放ってはおけないですもんね。何してくれとんじゃー!って感じです。対処考えますね》


 DMを返信して、深々とため息をついてしまう。

 相談したい。話を聞いてくれる誰かが欲しい。儀武にLINEしようと、スマホに手が伸びそうになる。

 儀武からの連絡は、匿名ダイアリーが回ってきた時のもの以来途絶えていた。

 気にかかることが多すぎる。

 儀武一寸は本当に独身なのか。古田侑に渡された報告書は本物なのか。あの時隣の席にいたのは本物の七尾ユウなのか。あの匿名ダイアリーを書いたのは誰なのか。儀武一寸のツイートはどうしてあの増田以来激減しているのか。星爆と、今度の転載の犯人は誰なのか。

 もう一度ため息をついて、夜空はPCを閉じて居間へ向かった。

 台所でお湯を沸かして、買い置きのティーバッグで紅茶を淹れる。物音に気づいたのか、妹が降りてくる。母は買い物で外出中だった。

 まだ午後になったばかりなのに、西日が部屋の奥まで差し込んでいる。

「あんたも飲む?」

「私はいい」と茉由花は応じた。

 そして、何をするでもなく椅子に座ってスマホをいじっている。

 茉由花に背を向け、抽出を待ちながら夜空もスマホでツイッターを見る。

 引っかかるものがあったのだ。

 綾乃が知らせてくれた、@Nanakusa_kayuというアカウントには見覚えも何もない。フォローもフォロワーも多くない。アイコンはそのへんの草花の素材写真。嘘の転載被害を訴えていること以外、何の変哲もないどこにでもあるアカウントだ。

 だが、このアカウントは、なぜか碧月夜空という個人に並々ならぬ悪意を持っている。そして、小説投稿サイトのスクリーンショットを加工して投稿日を書き換えたり、被害を訴える文章をすっきりした見やすいフォントで画像にするような、ネットとPCと、デザインのリテラシーを持っている。

 もっと踏み込むなら、同人活動のノウハウだ。

 ならこれは、同人時代に何か一方的に恨みを買ってしまった誰かからの嫌がらせなのか。それとも、これも古田侑の仕業なのか。

「七草粥」と夜空は呟く。「せりなずな、ごぎょうはこべらほとけのざ、すずな……」

 そこまで唱えて、はたと気づいた。

 

 別ペンネームでの男性向けアイドルアニメの百合二次創作界隈にいた時に、トラブルになった男のペンネームだ。

 トラブル、というより、ただの逆恨みだ。同人イベントの打ち上げの二次会後にホテルに誘われ、断ったら彼を慕う女から匿名感想箱に嫌がらせのメッセージを送りつけられた。その後、当時は朝日ハレというペンネームを使っていた夜空は同人活動から足を洗い、朝日ハレ名義のアカウントは削除した。

 グーグルから倉田すずなの同人作品を検索し、ツイッターアカウントに辿り着く。ざっと確認してみるが、関与を仄めかすものはない。だが、@Nanakusa_kayuのツイートをリツイートはしていた。更に掘り返すと、夜空への星爆の件にも言及していた。

 言及しているだけで、関与したとは言っていない。

 だが、記憶の中にある倉田すずなは、とにかく自己顕示欲が強い。とにかく自分の凄さを認めて欲しい気持ちが先走り、飲み会でも一方的に喋り続けることがコミュニケーションだと思っているような男だった。相槌を打っていたらなぜか心から尊敬し、信頼していると勘違いされてホテルに誘われたのだ。

 つまり、どこかで、誰かに、自分のしたことをアピールする手段を持っているに違いないのだ。

 抽出しすぎたティーバッグを三角コーナーに捨て、濃くなりすぎた紅茶に口をつけて、自分の以前のツイートを表示させる。星爆被害を訴えたときのものだ。

 被リツイート数と、リツイートしたアカウントに表示されているアカウントの数を比べてみると、被リツイート数の方が多い。

 非公開アカウント。

 もう一度倉田すずなのツイッターアカウントに戻り、フォローしているアカウントの一覧を表示させる。ひとつひとつ、些細な違和感も見逃さないようにスクロールさせ、果たして見つけた。

 「すずしろ」という非公開アカウントだった。ひらがな四文字のよくある表示名なので、気にしていなければ絶対にスルーしている。

 春の七草の、すずなの次だ。

 確かに、倉田すずなは、蕪のような顔に、大根のような腕をした男だった。

 さらに、「すずしろ」のIDでパブリックサーチをかけてみる。すると、公開アカウントによる「すずしろ」へのリプライが引っかかった。

 懐かしい名前だった。


《@terumin954__ それ普通に著作権の侵害ですし、遊びにしてもあまり面白いとは言えないと思います。やめたほうがいいのではないでしょうか》


 倉田すずなという男を慕う一ノ瀬ツカサという女が感想箱荒らしの犯人で、それをかつて伝えてくれたのが「てるみん」だった。そのてるみんが今、著作権の侵害行為について、倉田すずなを窘めている。

 LINEの友達一覧から、消していなかったてるみんの名を探し出す。


『お久しぶりです。朝日ハレです。覚えてくれてますでしょうか。倉田すずなさんについて教えて欲しいことがあります。転載、と聞いて心当たりがなければ、無視してください。急に連絡してすみませんでした』


 送信。しかし直後、朝日ハレと碧月夜空の関係を、彼らが知っていることの違和感に気づく。

 だが、もう後の祭り。既読になってしまっている。

 紅茶は少し冷めて飲み頃になっていた。

 深呼吸すると、ダイニングテーブルから茉由花が言った。

「お姉ちゃん、小説書いてるんだって?」

 落ち着いたはずの心臓が跳ねた。

「は? 何急に」

「久助さんのせいじゃないからね、一応」と茉由花。久助、が婚約者の工藤久助のことだと思い出すまで少し時間がかかった。「意味わかんない八つ当たりしちゃったから、謝ろうと思って。ごめん」

「え? ちょっと、何言ってんの?」

「この間お姉ちゃんの部屋に、縦書きされた紙みたいなのあったじゃん。前にも印刷所から荷物届いたことあったし。そのこと久助さんに話したら、教えてくれた。お姉ちゃんが小説書いてて、そのことをたまたま久助さんが知っちゃって、口止めされてたって。だから、ごめん」

 理解が追いつかない。

 なぜ今? 今、すごく頭の中が一杯なのに、なぜそんなことを?

 縦書きされた紙みたいなもの、が何を意味するのか理解するのにも、少し時間がかかった。

 儀武が赤を入れた校正原稿だ。確かに少し前、あれを机の上に出したままにしていた時に、茉由花が部屋に入ってきた。冷凍庫の中に入りっぱなしになっていた月見だいふくを食べてもいいかと訊いてきた時だ。

 原稿を見られた。工藤久助にまつわる誤解が解けたと同時に、小説を書いていると知られた。よりによって、一番知られたくない茉由花に。

「もしかして、読んだ?」

「ううん。久助さん、ネットに上げてるってことしか教えてくれなかったし。それに、お姉ちゃん嫌がりそうだし」

「嫌に決まってるでしょ。あんたにだけは読まれたくない」

「じゃあ、誰に読まれたいの?」

 応じる言葉に詰まった。

 マグカップを取り上げ、夜空は言い捨てた。

「私のことを知らない人」

 そしてきょとんとする茉由花を置いて自室に戻る。

 てるみんからLINEの返信があった。

 テーブルに置こうとしたカップを、夜空は取り落した。

「なんなの……」

 こう書かれていた。


『ハレさん、こちらこそお久しぶりです。その話は、折を見て伝えないといけないと思っていました。あともうひとつ、言わなければならないことがあります。綾乃は、私です。私が、碧月さんの作品に感想を伝えるために作ったアカウントです』

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