26.儀武一寸/嫁のおかげですかね

 小説を再び書き始めたのは、佐和と別れて、就職して、二年後のことだった。

 就職活動に難儀していた儀武がどうにか今の職を得たのは、ひとえに所属していたゼミの教授のコネだった。同じゼミからの推薦で内定していた学生が、急に家族の介護のために地元に帰ることになり、辞退して枠が空いた。そこに、通常の選考フローとは異なるが、後釜として儀武が滑り込んだ。その教授も学生時代には小説家を目指したことがあったとかで、儀武のことを気に入ってくれていた。

 学生時代を過ごしたアパートを出て、選んだ住居が今の家だ。佐和と、もしもふたりとも関東に就職できたらこの辺りがいいね、と話していた土地だった。最近開通した私鉄で都内へのアクセスもよく、佐和が志望していた企業の研究所も沿線の郊外にあった。

 若い家族連れが多かった。そして、沿線の開発は進み住宅街が広がっているものの、まだまだ車社会だった。やっと仕事に慣れてきた頃、車を買った。地味な国産の、特に走りの楽しさをアピールもしていない、街で山ほど見かけるコンパクトカーだった。週末、買い物に行くたびに、隣に佐和がいないことを意識させられた。理不尽だ、とすら思った。一番理不尽なのは自分自身だったのに。

 そうしてある日、ショッピングモールの書店で、久しぶりに新刊のSF雑誌を手に取った。ファストフード店の席でぱらぱらとページを捲り、知らない作家が何人もデビューしていることに気づいた。目まぐるしく変わる生活についていくのが精一杯で、学生時代は馬鹿みたいに読み漁っていた小説をほとんど読まなくなっていた。

 載っていた短編は面白かった。連載は、好きだった作家の久々の新作シリーズで、途中だけ読んでしまったことを後悔した。書評欄には、自分のアンテナに全く引っかかっていなかった面白そうな作品が紹介されていた。かつて、自分の「無間船団行軍録/インフィニティ・クルセイド」の書評をこの雑誌のこの欄で見つけ、嬉しかったことを思い出した。どんな評を書かれていたかは思い出せなかった。

 そしてめくったページに、新人賞の募集の広告があった。

 書かない理由にわたしを使わないで、という佐和の言葉が、ずっと脳裏にこびりついていた。通勤電車に揺られている時も、夜中に録画した映画を観ている時も、仕事で失敗して頭を下げている時も、同僚に飲みに連れ出されている時も、ずっと肩越しに振り返った佐和のことを思い出していた。

 佐和のことを引きずっているから、書かない。

 そんな自分に決別しろと、新人賞の原稿募集の広告が言っている気がした。

 ノートPCを購入して、縦書きの執筆環境を整えた。悪戦苦闘し、かつての自分が書いたものを思い出しながら、一ヶ月以上かけて短編を一本書き上げた。印刷して、紐で綴じて封筒に入れて送った。ペンネームには儀武一寸を使った。

 作品は、我ながら酷い出来だった。アイデアは科学的にも思弁的にも浅いし、その中で独自性を出そうと必死になったことで単に支離滅裂でダサい駄作に成り下がっていた。絶対に落ちるだろうと思ったし、果たして一次選考も通過せずに落ちた。

 次に長編を書いた。これもどうにか完結したが、うまくいかなかった。鎌倉を舞台に、家庭環境に問題を抱える少年少女四人が、夏祭りの夜に突然空から落ちてきた謎の少女と彼女が乗っていた戦闘機械を操って海から現れる怪物と戦う物語だった。これはライトノベルの新人賞に送ったが落ちた。少女の正体にまつわる物語のギミックに凝りすぎて本筋が普通につまらなかったのと、四人の四角関係を上手く物語に絡ませることができなかった。

 しかし、手応えはあった。少しずつ、自分の中から遊離していた自分が戻ってくるような感覚があった。

 そして次の題材に、戦争を選んだ。第二次大戦末期のベルリンを舞台に繰り広げられる、連合軍超能力者部隊の戦いの物語だ。実験部隊である彼らは、己の自由と有用性の証明のため、ベルリンへ送り込まれる。任務はひとつ。総統アドルフ・ヒトラーの暗殺だ。それも、多大な犠牲を出すことが予想されたノルマンディー上陸作戦の実行より早く。敵の頭を落とし、戦争を早期終結させることこそが、彼らが投入された最大の目的だったのだ。

 当初は人智を超えた力のために首尾よくベルリンへの潜入を果たし、秘密警察を翻弄する一行。主人公は、ヒトラーに念動力で自分の頭へ向け銃の引き金を引かせてやる、と意気込む。だがナチスの超能力部隊との接触により、戦況は一変する。Dデイが近づく中、四人の部隊のうちひとりは殺され、ひとりは捕らえられて拷問の末に壮絶な死を遂げ、そしてひとりは裏切り、主人公だけが残る。任務の失敗を悟った彼は現地の協力者の女と共にベルリンからの脱出を目論むが、ただの念動力者でしかない彼は、精神支配や高速移動の能力を持つ仲間の支援なしには逃げ切れない。裏切ったかつての仲間とナチスの精鋭超能力者部隊との戦いの中で、女は命を落とす。そしてノルマンディー上陸作戦が実行される。本国とどうにか連絡を取るも、救援は送らないことを告げられる。彼は再びベルリンに戻り鬼気迫る奮戦を見せるが、パリ陥落の報を聞きながら銃弾に倒れる。超能力者たちの存在は、歴史の闇へと葬られる。

 この作品で、開設されたばかりだったナクヨムを使った。Web小説という文化に馴染みはなかったが、別に公募に出す必要はないし、自分以外の誰かが見ることのできる場であればどこでもよかった。そして、自信作だった。久しぶりに、自分で読んで面白いと思える作品を書くことができた。

 書けたのは、佐和のおかげだった。

 当初、現地協力者の女は存在しなかったし、ヒトラーが自死を遂げる引き金は、執念で生き延びた主人公が念動力で引かせたものだった。だが、佐和なら悲恋を盛り込もうと言うだろう、全部無為になる方が面白いと言ってくれるだろう、とプロットを組んでいる時にふと、思った。佐和は、儀武が考える救いのない話を好きだと言ってくれていた。

 最終話を投稿した夜、更新告知と読者の感想を探すために使っていたツイッターに、ほんの出来心でこう書き込んだ。


《@gib_son_WF 書き上げることができたのは……嫁のおかげですかね》


 結婚して、人生を共に歩んでいたかもしれない人のおかげ。でもそう書き込むのはあまりにも感傷的すぎるから、冗談めかして嫁ということにした。

 だが、たまたま投稿開始からずっと更新を追いかけ、ツイッターもフォローしてくれていた読者からリプライが飛んでいた。結婚されてたんですね、羨ましい、と言われた。

 いいねだけつけて返信せず、否定しなかった。

 そうあるべきだからだ。


 夜、儀武は自宅のPCの画面を睨み、ツイッターのタイムラインに流れてきたその匿名ダイアリーを読み返した。

 書かれている内容は、明らかに儀武のことだった。Gさんという頭文字。ウエディングプランナーの物語である最新作。大皿のない食事の写真も、レンジで目玉焼きが作れる便利グッズのことも、台所に立つ女性の存在が感じられない写真も、変わった缶コーヒーの写真に映り込む結婚指輪のない左手も、心当たりがあった。儀武を長くフォローしている誰かが書いていることは明らかだった。

 だが、後半の交流会云々は、この増田の創作だろう。儀武はそんな会に参加したことはない。もしかすると、フィクションという体にするために付け足したのかもしれない。

 だが、儀武は独身であると、この増田は確信している。探偵社に依頼したというのも、あながち嘘ではないのかもしれない。

 そして、わざわざそのような悪意を持ち、行動に移すような人間の心当たりが、ひとりある。

 古田侑だ。

 先日は碧月夜空のコンテスト参加作品に大量の自演騙りアカウントでレビューを大量付与した。今度は儀武ということだ。

 とりあえず、タイムライン上ではスルーを決め込むことにした。仮にこの増田が面白おかしいものとしてバズっていたとしても、わざわざ関係を表明する必要はないし、バズったものに反応する義務は誰にもない。

 そして夜空にLINEで連絡を取った。


『ツイッターで出回ってる匿名ダイアリー、見ましたか?』

『たぶんあれ、古田が書いたものです。僕に向かってまくし立ててたことと、内容がそっくりなんですよ』

『碧月さんの次は僕に火の粉が飛んできたみたいです。参りました』


 しばらく待つと、既読になる。

 だが、返信はない。いつもなら一分もかからず何かしら返ってくるのに。

 人間ならそういうこともある、と納得して、スマホを放り出してPCに向き合い、自作の反応を調べてみる。数日に一度、熱心に読んでくれている読者がその時の最新話にコメントをつけてくれている。だが、その人のフォロワーから読者が拡大している様子はない。いつも通りの光景。ナクヨムのコンテストランキングも、順調に下位へと沈んでいた。これでは新規読者の獲得も難しいだろう。これもいつも通りだった。

 次は何を書こうか、と考える。またSFの短編でもいいし、最近にわかに流行りだしているサイバーパンクものの長編でもいい。書ききれないアイデアがいつも頭の中にある状態が、一番楽しい。

 家事を済ませ、少し早いがもう寝てしまおう、と思った時、スマホのランプが明滅していることに気づいた。

 夜空からの返信だと思いスマホを取り上げ、表示されていた名前に、目眩を覚えた。

 坂下佐和だった。

 見間違いではなかった。

 震える手でロックを解除する。

 引っ越しの日から止まっていた佐和とのトークが動き出す。


『木村くん。久しぶり。お元気ですか』

『8年ぶりかな』

『ツイッター見ました。結婚したんだね』

『今度久しぶりに東京に行くことになってね。個人的に報告したいこともあるから、どこかで会わない?』


 心臓が早鐘を打った。何度も誤字しながら、返信の文面をやっと打ち込んだ。


『久しぶり。また連絡くれるなんて思ってなかった』

『報告したいことって何?』


 テレビを睨み、無理矢理スマホから目を逸らす。一生返信がなければいいのにと願う。今日のトップニュース。どこかの街の殺人事件。注目の新技術が用いられた新車。国を相手取った裁判で敗訴し不当判決と憤る人々。世論調査。街の声。政権に期待することは?

 無情に通知が灯る。ロックを解除し、文面を読み、儀武は瞬きを忘れた。


『小説の新人賞を獲ったの。その授賞式で久しぶりに上京するから、会えないかなって思って』

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