20.儀武一寸/誰もいない部屋
「何それ、ドン引きなんですけど……」と夜空は言っていた。
Web講評会に参加し、儀武の前に現れた七尾ユウが本来の七尾ユウではなく、彼に狂気じみた愛情を抱く別の誰かである可能性。
言葉を信じるなら、ともすれば近親者。
そして七尾ユウは、ツイートや作品から連想される通りの、Web小説に偏屈なこだわりを持ち対人コミュニケーションに難があり、四六時中PCからツイッターに張りついていながら小説は雑な、いい歳をしたオタク男性であると思われること。
本来なら、ツイッターもLINEもブロックして関わりを断つのがいい。だが、実際に古田侑に対面した儀武は、どうしてもボタンをタップすることができなかった。
仮に、ブロックしたとして、古田がどんな行動に出るか想像もつかないのだ。
意味不明な悪評をばら撒くかもしれないし、Web講評会の時のWebカメラ画像を悪用されるかもしれない。仕事の方でDXだ、経費削減だでWebミーティングに慣れていたことが災いした。
あくまで腫れ物に触るように、刺激しないように遠巻きにして、それとなく関係を薄くしていって、区切りのいいタイミング、たとえばナクヨムコン6が終わったタイミングなどでブロックする。そう夜空には言い含めた。
彼女の方も、執筆は順調そうだった。「桜見町あやかし探偵」は進捗七割ほどで、コンテスト開始から連続投稿できそう。期間中の完結も見えている状態とのことだった。
秋葉原で会った日、彼女は恥ずかしそうに、相互クラスタのことを語った。
「読者選考を一番手っ取り早く抜ける手段だってことはわかります。別に、違反行為というわけじゃないですし……読まれたいと誰もが思っているから、反発される。それだけですよ」
「そうですよね。読まれたいって思うのは、普通のことですもんね」
「ええ。それに通過後の選考は編集部がやるわけですから、結果は同じでしょう。確かあのクラスタのボスみたいな……」
「篠塚ヨヨ」
「そう。その人。毎回読者選考は抜けても、編集部選考で落選してるんでしょう? むしろ、正当に評価されると考えてもいい。僕は、駄目とは思いません」
「ですよね」と応じて、俯いていた夜空は目線だけを上げた。「やっぱり、儀武さんに相談してよかったです。ありがとうございます」
悩んでいることに答えが欲しいわけではなく、自分の中では定まっている結論に共感してほしい。彼女が何を考えているのかはわかっていた。それでも、上目遣いで感謝を述べられるとむず痒い気分になった。どう考えても互いに下着姿でホテルのベッドの上で話すことではないとしても。
よし、と周りに聞こえないくらいの声で呟き、社有のPCを閉じた。業界紙に投稿する記事の執筆が終わり、上司のチェックを待つばかりになったのだ。
場所は例によって乗換駅からほど近い喫茶店で、ここ最近通い詰めているためか店員には顔を覚えられていた。長く居座ると嫌な顔をすることもわかっていたので、三杯目のコーヒーを注文する。そして、バックパックから私用のPCを取り出す。
コンテスト用の作品は、ようやくタイトルが決まった。「ブライダル二〇四〇」だ。たぶん、二〇年も経てば、この世界観は実現する。そしてこの作品は、二〇年後に顧みられることはないだろう。小説投稿サイトに無数に並ぶ作品のうちのひとつなんて、未来の人間がわざわざ掘り返すわけがない。
そういう作品も面白いかもしれないな、と思い立つ。遠い未来、人類がほとんど滅んだ世界。過去の図書館を探索する主人公は、正規の記録にない小説が大量にアーカイブされたサーバーを発見する。探っていくとやけに未完が多い。そのうちある長大な未完作品に主人公はのめり込む。やがて彼はそれがかつてのUGC型小説サイトであることを知り、新しい物語がとてつもない速度で生み出されていた時代を思う。
作品はもう大詰めだった。シーンにしてあとふたつ。腕時計を確認する。たぶん、今日中にいける。意気込んだ時、ウエイトレスの女の子がコーヒーを持ってきた。
「ごゆっくりどうぞ。……小説、頑張ってくださいね」
「えっ?」
ウエイトレスはそれ以上何も言わず、伝票だけ置いて一礼し、バックヤードへと戻っていく。
確かに、私用の方のPCには覗き見防止フィルタの類も装着していなかった。縦書きの、明らかにビジネスパーソンが作る資料とは異なる、異様に文字が詰まったテキストが並んでいることは、一目瞭然だった。
急に毎晩同じ喫茶店にやってきてPCで何か作業している男。縦書きの、小説のようなものを書いている。印象に残るに決まっている。
名前も知らない誰かとはいえ、頑張ってください、と言葉をかけてくれるのは励みになる。
書くことは楽しい。だが同じことを延々と続けていると、ふと、肉体的なものではない疲れに襲われることがある。こんなところで、ひとりで、一銭にもならないしネットにアップロードしたところで一〇〇人も読まない作品を書き続けることに、一体なんの意味があるのかと。
不思議なもので、そんな時に限って、誰かが言葉をかけてくれる。それは顔どころかSNSすら見えないナクヨムのいち読者であり、ツイッターで相互フォローしている趣味が似通ったSFマニアだったり、あるいはどういう経路なのかたまたま読んでくれた、フォローも何も関係ない、ネット小説を楽しむひとりの読者だったりする。あるいは、喫茶店の店員。自分は幸運に恵まれている、と思う。
筆は進んだ。ラストシーンに辿り着くまで、一時間だった。コーヒーは半分ほど残っていて、とうに冷めていた。
思い切り振り切った結末にした。ゲイのカップルのありのままを描写し、逐一、「なんと美しいのか」と付け足す。登場人物は誰も、疑問を抱かない。だが、捉えようによっては異様に映るテキストが、読む者に違和感を与える。そして自分の中に生まれてしまった違和感を、否定しようとしてし切れないことで、自分がノーマルの側に立っていることに気づかされる。我ながらかなりいい出来ではないかと思う。しかしどうせ、こういうものは一晩寝かせると粗だらけに見えるのだ。
会計を済ませ、電車に乗る。幸い席を確保することができた。今日は星の巡りがいい。
ツイッターを開いて、進捗をツイートしておく。
《@gib_son_WF #ナクコン6 用新作、ひとまず一次脱稿。これから推敲、誤字脱字チェックに入ります。どうにか開始前に間に合ってよかった。内容はまた告知します》
こういう内容をツイートするたび、特に多くの読者を抱えているわけでもないのに、妙だなと思う。だが、周りがやっているのでつい同じようにツイートしてしまう。たぶん誰もが、人気のある自分を気取りたいのだ。フェースブックが幸せで世の問題に鋭い目を持っている自分を、インスタグラムが輝いていて愛されていておしゃれな自分を演出したい人の集まりであるように、ツイッターは人気のある自分を演出したい人々の集まりなのだ。
そして、実際とのギャップに病んでいく。
特に小説など書いていると、その病は指数関数的に深刻化する。
読まれないのはタイトルのせいだとか、交流が下手なせいだとか、知名度がないアカウントだからとか、自分を慰めるための言い訳ばかりをツイートするようになる。
しばしば交流があるSF界隈にも、似たような人々はいる。公募の結果が出なくてどんどん病んでいく人。伊藤計劃のようになりたいのか映画批評に手を出し、なぜか小説投稿サイトに投稿している人。小難しい本を読んで切り出しや感想をツイートするのはいいが、一向に作品を書かない人。いつの間にか、バズってくる小さな炎上へのコメントでホーム画面が埋まっている人。世界情勢や社会問題に関するツイートを連発するが起点は大体そのジャンルのアルファアカウントで、詳しい自分を演出したいだけなのが見え透いてしまっている人。
健康そうだった人がインターネットに取り込まれていくようなところもしばしば見てきた。かつては骨のある新奇性のないSFを懸命に書いていた人が、いつの間にか、最近のツイッター発信が盛んな作家の作品をくさすばかりになっている。自分の作品への一年や二年前の絶賛ツイートを何度もリツイートしている。
きっと、七尾ユウを騙っていた古田侑も、そういう人物なのだろう。
夜空からリプライが飛んできていた。
《@Yozora_Bluemoon お疲れさまでした! 更新楽しみです! 私も頑張らねば~》
そしてLINEを開く。
『ツイッターへのリプライじゃなくてもよいのでは?』
『いいじゃないですか』『ツイッターへのリプライですし』
『それはそうだけど』
『楽しみにしてます』
『碧月さんの作品も楽しみにしています』
短いやりとりの中でも絵文字やスタンプが多用された夜空のLINEには、毎回通ってきた文化の違いを感じさせられる。彼女とのコミュニケーションは楽しいが難しい。返信するたび、若い女に舞い上がるな、と自分に言い聞かせている。
『今度頑張るぞ会しませんか?』
『頑張るぞ会とは』
『ナクコンの』
『討ち入りみたいな?』
『それじゃ炎上じゃないですか(笑)』
『打ち上げの反対で、大きな仕事を始める時の飲み会を討ち入りって言いません?』
『言わないですよ』
『じゃあ僕の会社ローカルかもしれません……』
それからしばらく返信が途絶える。電車が最寄り駅に着く。
駅前のロータリーには、いつもの光景が広がっている。路線バスに並ぶ人。自家用車の外に立ち、スマホを確認しながら家族が降りてくるのを待つ人。
コートの襟を立てて家路を急ぐ。
夜空から返信がある。
『あんまりお誘いしちゃ、奥さんに悪いですか?』
既読だけつけて、スマホをコートのポケットに放り込む。
都心から少し離れた1DK。家賃は、給与に照らして無理がない程度。同僚の中には通勤時間を重視して都心に家を借りる者も多かったが、本を読むことが多い儀武にとって、通勤時間は苦にならなかった。むしろ、一日の中に強制的に読書する時間が作られるので都合がよかった。
自宅の前まで辿り着き、鍵を開ける。明かりは消えている。「ただいま」と声に出す。誰もいない部屋に、儀武の声だけが反響する。
当然だった。この家で、儀武一寸はひとり暮らしだった。
冷蔵庫を開ける。瓶の煮沸が甘かったのか、カビの生えたみかんジャムがある。取り出して、燃えないごみに放り込む。
何をやっているのだろう、と思う。
学生時代に別れた恋人と、今も一緒だったらどんな生活だったかを、今も空想し続けている。自分を主演にした小説を、ツイッターに投稿し続けている。いい歳して独身であることへのコンプレックスから、ツイッターで既婚者のロールプレイをしている。
ねえ、儀武さん。みかんジャムですよ。
古田侑の声が脳裏に蘇る。あの女は、何か感づいている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。