16.七尾ユウ/俺のせいじゃない
食事が豪華になった。こんなことなら、たまには包丁を持ち出すのも悪くないかもしれない。
家族全員を巻き込んだ口論の後、引き出し屋という商売について調べてみた。概ね、姉の言った通りだった。引きこもる子供を案じる親の心につけ込み、子供を無理矢理連れ出して監禁し、自立支援という名目で生活保護費や障害年金を掠め取るビジネス。親はよかれと思ってしたことが子供を傷つけたことに苦しみ、見抜けなかったことやそもそも引きこもらせてしまった自分の無力さを後悔する。向こう三軒両隣には、あそこの家は引きこもりの子供を金で引き出そうとした人でなし、という悪評が広まる。だから子供が引きこもるんだ、という嘲笑とともに。
だったら、いっそ引き出された方がよかったかもしれない、とも思う。世間が誤解する両親の、正しい評価を広めることができるのだから。
父は開業医であり、地元の人々によく人となりを知られている。地元の総合病院での勤務医時代の知り合いも多い。普通の勤め人より遥かに地域との繋がりが深く、悪評のダメージも大きい。今ユウにできる最も効率のいい両親への復讐かもしれなかった。
最近、完全に昼夜逆転生活だった。夜、原稿を書く。昼間に寝て、途中で目が覚めてツイッターを眺める。すると目が冴えてしまうが、パソコンに向かうと頭がもやもやして書けない。ナクヨムのダッシュボードを更新する。PVも何も増えていない。そんなことを繰り返しているうちにまた日が暮れ、夜中になると筆が乗り始め、空が白み始めた頃に寝る。その繰り返しだ。
自分がますます人に見せられない暮らしをしているせいだろうか。以前にも増して、ツイッターのタイムラインで和気藹々と交流する連中や、ツイッター外の充実した生活をアピールしてくるやつに腹が立つ。
碧月夜空。篠塚クラスタに繋がっていざ相互評価と威勢がいい。もちろん、建前上は、ナクヨムコンというお祭りをみんなで楽しみましょう、たくさん書いて、みんなの面白そうな作品も読んで、作者としても読者としても主体的にお祭りに参加しましょうという当たり障りのないものだ。だが、みんなの作品を読んで主体的に楽しむとは相互に評価を入れることの強制を意味する。お祭りという言葉でクラスタ内の利益を全体の利益にすり替え、主体的に楽しんで作品を選択しているというポーズで相互フォロワーへの評価が義務づけられていないことにする。こういう連中だけは無理だ。
もちろん、彼女のようなやり方がナクヨムにおいては正義であることはわかっている。最初の一週間で評価を獲得し、ランキングが実装された時に上位にいることが読者選考を制する唯一最高の手段と言っていい。文句があるなら、ちっぽけなプライドなんか捨ててしまえばいいのだ。ただでさえ、読み手の多さを見込んだ打算で異世界転生を書いているのだから。
何が邪魔をしているのかはわかっている。三次落ちの体験だ。
だが、それからは目を背けたい。碧月夜空のツイートを目にして、何が自分の中に湧き上がる反感の源泉なのかを突き止めて、向き合っているうちに、時間だけが消費されていく。
原稿の進捗はプロット比で二割くらいだった。講評会で指摘された通り、シチュエーション先行で何もかも定めたために、場面場面をどう繋ぐか毎回悪戦苦闘する。コンテストの開始は一週間後に迫っていた。
コンテストが近づき、5chも盛り上がっている。篠塚クラスタの相互評価について運営に通報し続けたり、BANされたアカウントを並べたり。BANされた後に「これは同じ部屋にいた友達にスマホを渡し、彼のアカウントでログインして評価したもので、決して自分の二重アカウントではない」という苦しい言い訳を近況ノートで並べているものをコピペしてきて、そのアカウントの転生がこれだというレスが今は熱いトピックのようだった。
思い出すのは姉の笑みだった。
苦手なアカウントとわざと繋がって、得られるものがあればよし。きっと姉は、それが引きこもり続けるユウの社会復帰への後押しになると思っている。
しかし一方では、彼らを陥れるための準備もしている。姉はもう一〇以上のナクヨムアカウントを取得し、不自然な不正評価をいつでもできる状態を整えている。先日のWeb講評会の際に手に入れた彼らの顔もある。LINEで繋がって、それとなく本人の特定に繋がる個人情報も集めているという。
儀武一寸がまたツイートしている。原稿が書き上がったが、それはナクヨムではなく本名の執筆なのだという。
本名の執筆。
書いているのが小説でないのなら、執筆だなんて、職業作家みたいな言葉を使うなよ、とリプライしたくなる。気に入らない。とにかく気に入らない。嫁との日常生活を逐一ツイートする根性も、小綺麗な食事や、観ている映画の頭が良さそうな感想ツイートも、何もかも気に入らない。人生の成功者が片手間に小説を書いているだけ、小説しかない必死な人たちをツイッターという社会の窓からちょっと覗き見ているだけというスタンスに怖気が走る。
頭が熱かった。エアコンの温度を一度下げる。そうして気分を変えて、一向に進まない原稿に取り組もうとした時だった。
扉の向こうから声がした。
「ユウちゃん? お母さんだけど……」
無視した。今は、城に居着いた姫騎士アシェーナが、訪れたエルフの姫ネヴィアと一線交え、主人公がふたりを秒で縛り上げる大事なシーンだ。ここで、強い主人公にチョロく惚れる好戦的なエルフというネヴィアのキャラクターと、早くもヤンデレの気を見せ始めるアシェーナを可愛く書く。もっとも、主人公は快適な自分の城で静かに引きこもりたいだけだ。
「聞こえてる? あのね、この間のことなんだけど……」
この間、が包丁騒ぎのことであることは言われずともわかった。あれ以来、母とは一言も話していない。ユウからはもちろんのこと、母親がこうして扉越しに何か言ってくるのも始めてだった。
「お姉ちゃんに言われて、お母さんも目が覚めたの。お母さんね、ユウちゃんにあれをしなさい、それは駄目とばかり言ってきた。ユウちゃんが何をしたいか、一度も訊いたことなかった。そうよね?」
ネヴィアもアシェーナもそこそこ強い。温厚なエルフの一族で禁術とされた攻撃魔法を好奇心から学んだネヴィアは他の魔術師を知らないが、絶対的な能力は非常に高い。自分に自信もある。だから調子に乗る。しかしアシェーナも対魔法剣術ならば国で一二を争う遣い手である。そして何より、おはようからおやすみまで主人公を管理するのは自分の役目だと思っているから、急に出てきたネヴィアが許せない。
そしてアシェーナの剣がネヴィアの服の胸元を飛ばし、ネヴィアの魔術波動がアシェーナのスカートを引き裂き、次の一撃というところで、突然生えた大木がふたりを拘束する。主人公の登場だ。セリフは――。
「うるさいなあ……静かにしろよ」
アシェーナは主人公が勝手に魔法を使ったことにキレる。そしてネヴィアに興味を示していることにもキレる。一方のネヴィアは、自分の力など到底及ばない圧倒的な魔術を見せつけられ、呆然としているところに頭を撫でられて真っ赤になる。主人公は宥めて追い返すつもりだが、ネヴィアは城へ来た目的も忘れて主人公に弟子にしてくださいと頼む。そこで主人公はふたりのあられもない姿を見てにやける。アシェーナは美脚でネヴィアは巨乳だ。場面終了。
「ごめんね。すぐ終わるからね」扉の向こうの母が続ける。「ユウちゃん、中学受験なんかしたくなかったでしょう? お父さんはね、あなたを医学部に入れたくて、進学実績のいい一貫校に進学させろって言ったわ。お母さんもね、ユウちゃんが今の環境から離れられるならいいと思った。……いじめられてたのよね。あのちょっと太った女の子……米村さんだったかしら。あの子が教えてくれたの。優しい子だったわね。ユウちゃんも、あの子と一緒だと楽しそうだった。でもお母さん、あの時は米村さんが言ってることが信じられなくて……ユウちゃんがいじめられてるってことが受け入れられなかったの。だから、米村さんに、うちの子と仲良くしないで、迷惑だって言ったの」
手が止まった。
思い出すのは、小学校の卒業式のことだった。
目一杯の勇気を振り絞ってメールアドレスを訊いた。卒業しても、小学校で、ともすれば人生でただひとりのいい思い出をくれた人物である彼女とは、ずっと友達でいたかった。だが彼女にははぐらかされた。以来、彼女との関係は完全に絶たれたままだった。
それが、母の手回しのせいだったとしたら?
案じてくれていた、本当の味方だった米村さんを、母が遠ざけていたのだとしたら?
「もしも、ユウちゃんが普通に公立の中学に進学して、米村さんとも仲良しのままで。受験のための勉強で、競争競争でついていけなくなることもなくて、学校で辛いことがあっても相談に乗ってくれる人がいたら……って、お母さんね、考えちゃうの」
「戻せよ」とユウは言った。
「え? ユウちゃん……」
「戻せよ! 全部わかってんなら戻せよ!」キーボードを拳で叩く。滅茶苦茶な文字が原稿に入力される。外れかけたキーが引っかかり、無限に同じ文字が入力さる。「お前のせいだろ! 責任取れよ! 親だろ!?」
「ごめんなさい。全部お母さんが悪いよね。ごめんなさい、ユウちゃん」
「うるせえんだよ。マジなんなんだよ」
母はごめんなさい、ごめんなさいと繰り返している。原稿には支離滅裂な文字が無限に並ぶ。っっっっsっdっっっっsっっdっsdsヵっっっっっっsっっdsdsdっっっっっsっっdsっklksdlsっdっっsっdっsdsdっっs。
その時、「お母さん、どいて」という冷たい声がして、扉が開いた。
姉だった。目を真っ赤にした母の顔が見えて、すぐに扉が閉じて見えなくなった。
「姉ちゃん」とユウは言った。「……出かけるの?」
姉は、時々出勤する時に着ている暗めのベージュのコートを着ていた。
「うん。そう思ったんだけど……大丈夫?」
「別に、いつも通りにクソってだけ」
すると、腰を落とした姉に両手で抱かれた。滑らかな感触が頬に心地よかった。
「ユウちゃんは大丈夫だからね」と姉は言った。「ユウちゃんは何も悪くないからね」
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