11.碧月夜空・七尾ユウ・儀武一寸/講評会の後で

「それじゃ落ちまーす。今日、ホントありがとうございました!」

 部屋から退出。Web通話アプリを終了させ、インカムを外した碧月夜空は、大きく息をついてふらりと立ち上がり、ベッドに身を投げ出した。

 着ているのはおろしたての今年の新作。美容院は午後に行ったばかり。Webカメラ用にメイクにメリハリもつけた。

 儀武の服装はオックスフォードシャツに薄手のカーディガンだった。イメージ通りの清潔感のある三〇歳の男性だった。シャツにはアイロンがかかっていた。しわくちゃのシャツを気にせず着ている男が夜空は嫌いだった。そのアイロンをかけているのが誰なのか、想像したくなかった。

 頑張るかどうかは、直前まで迷った。儀武に見せるのならいい。七尾ユウに見せるために頑張るように受け取られるのは嫌だった。しかし、蓋を開けてみればそれも杞憂だった。

「七尾さん、女の人でよかった……」

 頭の良さそうな、そして皮肉屋っぽくて口がキツく、男性に混じって丁々発止で働いているうちに女が枯れていきそうな女性。作風からもツイートからも、絶対に男性だと思いこんでいた。そもそも異世界転生チートハーレムなんてジャンルを読む女子が想像できないし、書く方はもっと想像の外だった。

 そして、儀武と年齢も近く話も合いそうだった。

「……よくない!」

 身体を起こしてスマホを取る。繋がっていた充電器がコンセントから外れる。

 話が合っていた。通ってきて知っている文化も似ているようだった。今日の講評会で一番息が合っていたのは、夜空のプロットを前に評価を交わす儀武と七尾ユウだった。それに、儀武が用意した三章のプロットは、七尾ユウの指摘から生まれていた。

 ツイッターアプリを立ち上げ、DMの画面を開く。こういう時に迷いは要らないと夜空は知っていた。デートの後は帰る電車の中でその日のお礼をLINEするのが基本。意中の人を振り向かせるには、そういうマメさを積み重ねること。男性は連絡を面倒くさがりがちだから、マメに連絡してくる女性に好感を抱きやすい。できれば、次の予定も決めてしまえればベストだ。

 文章を打ち込む。今日はありがとうございました。本当に参考になりました。直接話せて嬉しかったです。話していると、どんどんアイデアが湧いてくるみたいです。通話の儀武さんはメッセージのイメージ通りの素敵な人で嬉しくなっちゃいました。何言ってんだろ、すみません。

 もしよかったら、またプロットとか原稿とか見てもらいたいです。区切りのいいところ、一章まで出来上がったときとか。ツイート見させていただく限り、お仕事は都内ですよね。私も近場ですし、お休みの日に今度どこかでふたりで会えませんか。

 送信ボタンを押そうとする手が震えた。面倒がられたらどうしよう。鬱陶しいと思われたら嫌だ。奥さんのいる人にこんな誘いをしたら迷惑に違いない。きっと断られる。断られて気まずくなる。そうしたらもうプロットも見てくれないかもしれない。ツイッターのフォローも切られるかも。

 でも、チャンスは今しかない。今送らないと、通話で済ます方が普通になってしまう。文面を直して、やっぱり顔を見てお話ししたほうがニュアンスとか伝わりやすくてよかったです、と足す。今しかない。

 送信ボタンを押して、スマホを放り出した。

 深呼吸して、またベッドに仰向けに倒れる。自分の胸に手を当てる。心臓が飛び出しそうなほど跳ねている。眩しくて目に染みる電灯をじっと見つめる。

「あれ、これ、私……」

 もしかして、これが。

 続く言葉を直視する寸前に、送り忘れていたことを思い出してスマホを取り上げた。

 儀武へのDMをもう一通――よかったら、LINEとか交換してもらえませんか?


 電灯を消した部屋でひとり、七尾ユウはスマホゲームに熱中する。ガチャの引きを費やした時間で逆転できるデザインのゲームが好きだった。無課金でも上位ランカーになれるからだ。以前は親のカードで新規のガチャが実装されるたびに回していたが、父親が激怒してからはそれも不可能になった。引きこもってやって人目に触れないようにしてやってる代金としては安いくらいだろうに、あの男にはそういうことがわからない。

 立ち上げたままのPCで、ツイッターのタイムラインが流れていく。デュアルディスプレイのもう一方には、ナクヨムのダッシュボードを表示している。一〇分以上F5を押さないのはスマホゲームをやっているときだけだ。おかげで、アクセス解析ツールがなくても読者の動きが把握できてしまう。

 部屋の扉がノックされる。んー、と応じると、部屋着の姉が姿を見せる。

「終わったよ」

「どうだった?」

「ふたりとも驚いてたよ。男性だと思ってましたって」言い、メモを差し出してくる。「変更のアイデアはいいんじゃないかって。でもテンプレ感云々の話は、ふたりとも転生もの読んだことなさそうだし、あんまりあてにならないかな」

「ふーん」メモを受け取る。「素材は?」

「静止画と動画で取った。これなら余裕余裕。特に碧月。いい素材になると思うよ。バカみたいに気合い入れてメイクしてたし」

「なんで?」

「さあ? アピールしたかったんじゃない。儀武さんとかに」

「うっわ。ネットだけの付き合いの既婚者だろ?」

「頭弱そうだしねー。ツイッターも作品も」

「言えてる。小説は読んだことないけど」

「書籍化作の設定の寄せ集めだから、ユウちゃんが読む必要ないよ。時間の無駄」

 姉はかけたままだった眼鏡を外して、ユウのベッドに腰を下ろす。疲れたようなため息。彼女はたった今まで、別人に――七尾ユウというナクヨム作家に――なりすましていたのだ。疲れるのも当然だった。

 膝の上にスマホを置いて器用に伸びをする姉を肩越しに伺い、ユウは言った。

「……別人だって、バレなかったかな」

「その時はその時っしょー。……あ、返信来た」

「誰?」

「碧月夜空。LINE交換しとこうと思って。向こうは女同士だと思ってるから、警戒も緩むし。まあお姉ちゃんが返事するから、本当に女同士なんだけどね」

 PCで開いているツイッターに灯ったDMの通知が、姉のスマホで既読になって消える。

 碧月夜空と儀武一寸が、それぞれに講評会の感想をツイートしている。楽しかったです。有意義でした。いい刺激になりました。当たり障りのない文言の中にも見え隠れするものがある。碧月夜空は刺激を受けて前向きに頑張る自分をアピールし、儀武一寸はそこまで刺激は受けていないがそれなりに楽しんでいる斜に構えた自分を演出している。それが可愛いか、カッコいいとでも思っているのだ。

 その時、ユウは別の通知が灯っていることに気づいた。

「姉ちゃん、儀武からDM来てる」

「え? 講評会のお礼?」

「うん。それと、LINE教えろって」

「オッケー。そっちもお姉ちゃんがやっとくから。あいつ、妙に私の話に乗ってきたしなー。事前のコメントは説教ばっかだったのに、いざ顔出したら『いいですね』ばっかだったし」スマホの画面を見下ろす姉の口角が上がる。「ユウちゃんは私の一部なの。ユウちゃんに嫌な思いをさせるやつは、私が許さないから」

 姉は、名を侑という。


 執筆ペースは、平均して一日あたり五〇〇〇字。もう少しプロットを煮詰めても、コンテストの日程には間に合う。七尾ユウから予期しない刺激を受けたことが幸いして、悩んでいた三編目の筋書きもまとまった。

 背中から石鹸の甘い匂いがした。

「終わった?」

「うん。受けた時はやめればよかったって思ったけど、結果的にはいい刺激になった。やっぱり、たまに他人とこういう話するの、いいね」

 風呂から上がったばかりの佐和が、髪を拭きながら応じた。「学生の時以来でしょ? ずっとひとりで考えて、ひとりで書いてたもんね」

「君がいたから」

「わたしは、基本的に聞いてるだけだし。自分が書かなくなったからかな。あんまり偉そうに言うのも違わない?」

「いや、結構いいこと言ってくれたよ。今回のプロットだって、ウエディングプランナーの話にしようと思ったのは、佐和がいたからだよ」

「もしかして、わたしたちの式のこと言ってる?」

「うん。ついついコスパとか意義とか考える僕に、君は『私の思い通りにさせなきゃ一生根に持つから』って言った。忘れた?」

「そんなこと言ったっけ?」

「言ったよ」

「……でもお父さんが言ってたなあ。夫は、結婚式に口出しするべからず。出産は絶対に立ち会え。どちらも、嫁に一生根に持たれる。娘に言ってもしょうがないのにね」

「確かに。僕に言えばよかったのに」

「お父さん、仕事でわたしの出産に立ち会えなかったんだよね。それでお母さん、お父さんは薄情者だって事あるごとに言ってた」

「それ立ち会ったら立ち会ったで『なんの役にも立たなかった』って言うよ、絶対」

「だね。言いそう」佐和は髪を拭く手を止めた。「あ、思い出した。わたしね、『嫁ってのはは一生根に持つんだ、ってお父さんが言ってた』って言った」

「ほら言ってた」

「えー、違うよ。ただの伝聞だって」

「それさ」儀武はキーボードから手を離して身体を佐和へ向けた。「お義父さんからの、佐和を通した、僕への助言かもしれない。ないしはそう言えって、佐和にアドバイスしたんだよ。娘の幸せを思ってさ」

 佐和は儀武のすぐ横に腰を下ろした。「式はわたしの好きなようにさせてくれたよね」

「根に持たれたくないし」

「出産には立ち会ってくれる?」

「辞表出してでも」

「それは困る」

「じゃあなんとしても有給取る」

「あのね、その話なんだけど……わたしの今関わってるプロジェクトも、そろそろ一段落するの。それで、わたしたち、そろそろ、いい時期なんじゃないかなって思うんだけど」佐和の目が珍しく泳いでいた。足の指を開いたり閉じたりしている。「今日、結構良さそうなんだけど」

 スマホにDMの通知が灯っている。プロットの再編集はまだ途中。

 儀武は椅子から立ち上がった。

「お風呂入ってきます」

 ふと思う。

 これでいいのか?

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