7.碧月夜空/はっきり言って趣味じゃない

 バイトの面接の帰り道。駅のホームで電車を待つ碧月夜空は、ツイッターのダイレクトメッセージを見てひとりごちた。

「儀武さんかあ……」

 フォロー関係は長いがあまり絡みがなかった人。家庭のことをよくツイートしながら淡々と小説も投稿する、Web作家には珍しいタイプだった。一度、彼の作品を読んだことがある。今ひとつ何が起こっているのかわからない物語だったが、それはつまらないとかプロットが整理されていないわけではなく、読むこちらがついていけていないだけ、とはわかった。ランキングや書籍化には遠く、抱える読者も少ないが、その少ない読者からは確実な支持を得る、在野の実力派。そして読んでみると面白い。たぶん、こういう人に編集者がつくと、人目に留まって読まれるようなキャッチーな要素が付け足されるが、それでは本来持っている良さが失われてしまう。こういう人も、ナクヨムには時々いる。

 読んだものの、どう反応していいのかわからず、結局星もつけずに読み逃げしてしまった。今、彼のナクヨムのホームを見てみると、いくつもの完結済み作品が並んでいる。キャッチコピーからして、夜空の趣味ではなかった。

『電脳都市の改造人間。彼を追う刑事。2つの正義の行き着く先――』

『時空猟兵、次元砲弾の戦場へ』

『ベルリン、1945年。連合軍超能力者部隊の暗躍と挫折』

 まあ、好きな人は好きだよね、こういうの。夜空は心中呟く。

 たぶん、好きな人は好きだよね、から脱却できる人だけが、ナクヨムの外へ出ていくのだ。

 するとミユちゃんからのLINEの通知が灯った。面接の成否を尋ねるものだった。

 夜空も、全く友人に恵まれなかったわけではない。ミユちゃんは過去のバイト先で知り合ったバイト暮らしのシングルマザーで、現在は秋葉原のガールズバー勤務。意気投合したきっかけは服の趣味で、今も時々、新作の販売開始情報を教え合ったりしている。そして今日の面接先は、彼女が勤めるガールズバーだった。新しいキャストを紹介すると手当がつく、とミユちゃんは言っていた。

 来週から来てくれって言われたよ、と返事しておく。

 ちょうど到着した電車に乗り込み、空いていた席に座ってスマホでプロットのファイルを開く。

 あまりにも雑なプロットと、とてつもなく詳細なわりに結末がないプロット。前者は七尾ユウで、後者は儀武一寸だった。

 七尾ユウも、フォロー関係は長いがあまり絡みがなかった人だ。ナクヨムにもツイッターにも、自己紹介欄に何かのエンタメ文芸の公募の落選歴が書かれている。落ちた履歴をわざわざ書いて何が嬉しいのかよくわからない。そして、日頃のツイートはほとんどが創作にまつわる卑屈な批判で、時々自分を虐めた昔の同級生や親、その他もろもろの自分に嫌な思いをさせた人への恨み言が書かれている。そして深夜アニメへの無意味に詳細で中身のない感想。この他人への神経質さと自己肯定感の低さは、間違いなく、オタクで童貞の男だと夜空は考えていた。ちょうど、つい先程面接のために歩いた秋葉原で、ガールズバーのキャッチに引っかかってしまうような。

 彼からのプロット相互講評の話を受けたのは、なまじ「私もやりたい!」とツイートした直後だったからだ。もう少し時間が空いていれば、別の人とやることになったんです、と逃げられたし、その後あたかもプロット講評会のおかげで原稿がブラッシュアップできたかのようなツイートをすればいい。だが七尾の動きは早かった。普段のツイートからは、他の作家アカウントとの交流に積極的な方には見えなかったのに。

 キモオタ童貞にはいい思い出がない。専門にいたころ、なぜか特に関わりがない同期のそういう男から「僕と付き合ってください!」と言われたことがあった。いくらなんでも告白って高校生まででしょ、と鼻で笑いそうになるのを堪えて、「ごめんなさい、無理です」と応じた。今日も、街を歩いているだけで、頻りに口や鼻を触るタイプの男の粘っこい目線に何度も追われた。もしも儀武という人が一緒でなかったらと思うとぞっとする。

 そういう男を接客するのか、と思うと面接に行ったこと自体を後悔しそうになる。でも、せっかくミユちゃんが紹介してくれたのだ。無下にはできなかった。

 早速、儀武一寸からDMが届いていた。


《@gib_son_WF 碧月さん、初めまして(?)。儀武一寸です。今回はよろしくお願いします。

 『桜見町あやかし探偵』のプロット拝読しました。僭越ながらご指摘をいくつか。女性向けジャンルにもあやかしものにも不案内ですので、的外れなご指摘になっていたらごめんなさい。

・キャラクターの属性被り

 壺の付喪神のジンさんと、向かいの純喫茶の中村さんが、俺様ドS系(という系統付け方で正しいでしょうか……?)で被っています。ジンさんがランプの精の変形で俺様キャラなのはすごく面白いと思いますから、中村さんの方を一人称「僕」をベースに何でも相談に乗ってくれる優しい人にしてみてはいかがでしょう。そして主人公は中村さんに甘え、俺様ジンさんが嫉妬する、ような。》


《@gib_son_WF 続けます。

・縦糸の弱さ

 作中で描かれる四つの事件を繋げる、大きな物語のプロットが必要だと思います。たとえば、お祖母ちゃんが主人公に店を継がせた本当の理由が次第に明らかになるとか、いかがでしょう。このプロットを導入するなら、当初主人公は骨董店を預けられることを迷惑がっていたが、祖母の思いに触れて前向きに……といった物語への変更を伴うと、主人公の成長も描けて良いのではないかと思います。テンプレですが……》


《@gib_son_WF さらに続けます。

・怪異の解釈

 これは私の趣味です。人の理を超えた存在であるあやかしたちが、気安すぎませんか? もう少し、やはり彼らは人界の存在ではないのだと主人公が実感し、畏れを抱くイベントが必要なように思います。ジンさんへの主人公の殺し文句である「壺割るよ!?」も活かせると思います。ジンさんたちへの恐怖が大きくなり、本当に割ったほうがいいのではないか、と主人公が揺れ動くような展開があるといいと思います。あやかしの世界を徹頭徹尾完全に善で素晴らしいものとするのではなく、一度相対化してから、やっぱり素敵だよねと戻るのです。》


《@gib_son_WF とりあえずは以上です。長々とすみませんでした。私のプロットも(未完で申し訳ないですが)ビシバシ講評してくださると嬉しいです》


 じっくり読んでしまい、乗り換えるはずの駅を乗り過ごしてしまった。不案内なのかもしれないが、的外れでもなんでもない。確かにジンさんと中村さんはキャラ被りしているし、対照的なキャラにした方が映える。朴訥としたキャラ枠には、主人公の祖母に懐いていた男子高校生のゲンタローくんがいるので、中村さんは優しくて包容力のある人がベストだ。

 でも、俺様ドSは人気だし、書く中では同じ俺様ドSでも違いをつけるつもりでいた。

 縦糸の指摘はぐうの音もでなかった。元のプロットでは、とにかく物語を終わらせることを考えて、最終となる四話目で急に打ち捨てられた神社の悪霊が登場して大騒動になり、主人公とジンさんがあやかしたちの力を集めて街を守る。この悪霊の登場を、余命僅かなおばあちゃんが予期していて、主人公を呼び寄せた、ということにしてはどうだろう。ついでに、主人公が幼い頃、骨董店を訪れた時に、ジンさんと仲良く一緒に遊んでいた、という過去を足す。この「おばあちゃんの目的」と「ジンさんと仲良しだった過去」が、あやかし探偵として事件を解決する中で次第に明らかになる構成にする。

 考えに熱中して、せっかく折り返したのにまた乗換駅を逃しそうになる。

 怪異の解釈については、頷けないところが多かった。あくまで、あやかしたちは主人公の友達にしたい。傷ついた主人公の心に寄り添い、癒やしてくれる存在にしたい。儀武の提案も面白そうだったが、ここは譲れない作品の根本だった。

 とはいえ、指摘が当を得ていることに驚いた。指摘するべき駄目な部分と、ジャンルのお約束としてスルーするべき点もちゃんと区別している。『ベルリン、1945年。連合軍超能力者部隊の暗躍と挫折』なんてキャッチの作品を書いている人と同一人物とは思えなかった。

 興奮しながら返信を打ち込む。お礼。よくわかっていて的確ですごいと伝える。俺様ドSの差の件を言い返す。さらに返信が届く。今思いついたアイデアを伝える。面白そうですね、と言ってくれる。私もすぐに儀武さんのプロット読みます! と返す。急がなくていいですよ、と言ってくれる。

 BL同人の時は、気を抜くとすぐにヒリつく人間関係への遠慮があって、他の人の作品にちゃんと指摘をしたことも、されたこともなかった。百合の時も、ヒリつきの性質は違っていたが、同人作家同士の微妙な遠慮があった。

 でも、彼が相手だと全く違う。本気で読んで、本気で面白くしようとしてくれている。損得勘定も、狭いジャンルの和を乱すことへの遠慮もない。もちろん、無駄に文章を長くして熱意を文字数や過剰な表現で表す文化もない。そんな文化を守り育てるための「えっちだ……」「尊い」「解釈好き」「えっまってウワーー」といった語彙も使わなくていい。儀武がアイデアをくれると、そこからさらに新しいアイデアが湧いてくる。ひとりでプロットを考えていた時の何倍も、物語が洗練されてくる。

 楽しかった。いつも慎重に張り巡らせている嘘や虚飾が、どんどん剥がされていくようだった。これが本当の自分なんだ、と思えるほどに。

 それにしても、女性向け恋愛ジャンルに妙に詳しい気がする。単に、様々なジャンルの本を読み込んでいるから知らないジャンルへの想像力があるのか、あるいは。訊いてみると、少し意外な答えが帰ってきた。


《@gib_son_WF 実は、妻にも少し相談しています。もちろん、プロットそのものは見せていません。三分の一くらいは、彼女の意見です》


 ちくりとした。儀武とだけ話していたつもりが、他の女性がそこにいたことに、裏切られたような。だが、儀武への尊敬は揺らがなかった。むしろ、尊敬する気持ちを揺るがせようとした女性に苛立った。妻。彼は結婚している。そんなツイートが多かったことを、今更思い出す。

 嫉妬していた。顔も見たことのない、今初めて文章で言葉を交わした男の、妻に。

 気づけば最寄り駅の待合室だった。とうに電車を降りていた夜空は、待合室の椅子に座ってスマホの文面に熱中していた。もう何分そうしていたか思い出せなかった。

 母からのLINEに我に返る。儀武からの最後のDMを表示したまま、スマホの画面を切って鞄に放り込む。


《@gib_son_WF あの、長文でやり取りするのも面倒ですし、七尾さんのご意見も集まったら、一度Webミーティングでやりませんか?》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る