6.儀武一寸/何もかも完璧
第一印象は、疑問だった。
作風もあまり重ならず、フォローはしているもののほとんど惰性で互いの日常を把握しているだけの関係。ナクヨムに儀武が上げている作品の一話に、彼から一度だけいいねがついたことがあった。認知狙いのよくある義理いいねだと思ってスルーしていると、しばらくして彼がSFってどれも代わり映えしない云々とツイートしているのを見つけた。真意が伝わったのは、たぶんいいねを通知で確認した儀武ひとりだけだ。それを言うなら異世界転生の方が余程代わり映えしない。
七尾ユウ。ツイートから見る限りは男性で、二〇代後半だろうか。無職と自虐的にツイートしているのを見たことがある。中性的なペンネームは、オタクが濃くてネットで小説を書いている人間にはありがちだ。
そんな彼からの、プロット読み合いの誘いが書かれたDMを確認したのは、職場の昼休みだった。
まあ、これもいいかもしれない。
文芸サークルを辞めて以来、書いた小説の批評を他人と言い交わしたことがあまりなかった。佐和だけだ。それにSF畑に浸っていると、考えが硬直する。異世界転生は代わり映えしない、という考え自体、柔軟さに欠けている証だという自覚はある。
自席でスマホを眺め、返信の文面を考える。
後ろから肩を叩かれ、さり気なく画面を隠した。
「おい。お前だけだぞ」
「何が」
「忘年会の出欠だよ。どうすんだ?」
「欠席」
「じゃあTeamsの返信くらいしろよ。お前さあ……」
営業部門の菱岡という男だ。儀武とは同期入社で、部署は違えど何かと会話することも多い。というより、仕事以外の私的な会話は、彼以外とほとんど交わすことがない。
基本的に内勤である儀武が少しラフなビジネスカジュアルである一方、外に出ることの多い菱岡は常にスーツ。均整の取れた身体に見事にフィットしたスーツにパーマを掛けた髪でこなれた印象の彼は、気さくな性格のためもあってか女性社員からの人気もやけに高い。飲み会の幹事のような、下に押しつければいい仕事も買って出るので、後輩たちからも慕われていた。
「またスープはるさめとおにぎりかよ。いつ見てもそれだよな。飽きねえの?」
「好きなんだよ。お前だって毎日同じだろ」
「中身は違うからいいんだよ。悪くないぜ、愛妻弁当」
二年前に結婚してから、菱岡は昼のコンビニ通いをやめた。突然オフィスに弁当を持ち込むようになった彼の姿は数日間は驚きをもって迎えられ、そして日常になった。しかし、タバコはやめていない。昼休憩の前後には、必ず駅前の喫煙所へ行って一本吸って帰ってくる。家庭では、禁煙していることになっているらしい。
以前、飲み会の時に弁当のことを訊いてみたことがある。すると彼は、「専業主婦だからさ」と応じた。
「作りたいんだってさ。ぶっちゃけ、別に外で食べたってコンビニだって俺は構わないし、子供もいないし家計の負担ってわけでもないし、そもそも俺の部署だと外で食べなきゃいけないことも多いし、嫁にはいいって言ったんだよ」
「わざわざ仕事増やしてんのか、お前の嫁さん」
「今どき専業ってのは難しいんだよ。やらせて、自分の役目を果たさせてやって、旦那のために何かしてるって自己肯定感を持たせてやらねえとさ」
日経のサンヤツに広告が出ている自己啓発書か新書の類を聞きかじったような物言い。その時ですら新婚だった。ドライな男なのだ。
「お前さあ」と目の前の菱岡は言った。「最後に会社の飲み会出たのいつだ?」
「三年目。四年目からは出てないな」
「……個人の自由だし、言いたかないけどさ」菱岡は耳打ちする。「会社の飲み会出ないと、管理職候補から外されるぜ」
ドライだがドライなりに、五〇代以上が空きポスト待ちで渋滞している会社の渡り方を説いてみせもする。菱岡がいい人との評価を勝ち取る理由であり、あるいは、営業職で否が応でも身に着けざるを得ない技術なのかもしれない。
「別にいいんだよ、そういうの」
「欠席な?」
「欠席」
「やっと揃ったよ」
菱岡は儀武の肩を叩くと、タバコの匂いを残して自席に戻っていく。
その日は企画会議と、定例の業務改善プロジェクトの会議。それから先月発売の商品の売上データを確認して、消費者心理との関連を分析する報告書を作っていると、定時を過ぎていた。
タイムカードを通して、混雑する電車に乗る。扉の袖から絶対に動こうとしない女。大きなスーツケースを抱え、ひっきりなしにスマホで乗換案内を確認している若い男。何が悲しいのかやたら大きな声でため息をつく初老の男。周りの乗客と身体が触れる面積が最小になるよう絶えず身じろぎし続ける若い女。
ターミナル駅で長い長い階段を降りて乗り換える。始発の電車にようやく座れる。DMの返信を返そうとして、思い直して文庫本を開く。先月書店に並んだ翻訳SFだった。学生の頃は出版されるものを端から全部読んでいたが、最近では特に気に入った作家の新刊を追うばかりになった。時間は、いくらでも作れるはずなのに、なぜか忙しい。
最寄り駅まで数駅のところで本を閉じ、スマホを取り出す。ナクヨムのホームを開くと通知がある。先日書き上げた短編にレビューがついていた。珍しく、見たことのないIDだった。ツイッターアカウントを持っていたのでフォローしておく。
もう一件DMが届いていた。
《@7oYou_seventh プロット相互講評企画に碧月夜空さん(@Yozora_Bluemoon)さんが参加するそうです。三人いると複数人の意見が聴けますね》
らしいなあ、と微笑んでしまう。参加してくださるとか、していただけるとか、いくらでも言いようはある。聴けますね、で終わらず、儀武さんもいかがですか、お返事待ってます、などと一言添えることができない。体裁だけでも誘って招いてへりくだる様子を見せればいいし、普通はそうする。社会生活をしていれば、自然と身につくだろう対人スキルが、彼には乏しい。日頃のツイートから受ける印象のままだった。
《@gib_son_WF お誘いありがとうございます。是非参加させていただきます。こういうネット上での講評会のようなものは経験がなく、ご迷惑おかけするかもしれませんが、大目に見ていただけると嬉しいです。碧月さんにも宜しくお伝えください。形式はどのように?》
入力して返信すると、ちょうど電車が最寄り駅に止まったところだった。
降りる客はみな仕事帰りのサラリーマンのようだった。新興ベッドタウンの土地柄がよく現れている。駅前のロータリーには、時間を合わせて迎えに来たと思しきミニバンやコンパクトカーが停まっている。
自宅まで徒歩一五分。間でスーパーに寄って食材を買い足し、帰宅する。通販で注文していた本がポストに突っ込まれていた。
佐和は遅くなると言っていたので、今日の夕食は儀武の当番だった。部屋着に着替えて台所に立った時には、もう二〇時近かった。
プロットはまだ結末が決まらなかった。
知能化商品が普及した世界の、ウェディングプランナーの物語で、短編連作の形にするつもりだった。
一編目は、日常を描く。知能化粧で新郎にずっと一番綺麗な――新郎の脳が美人と認識する――顔を表示させていた新婦が、「ベールを取ったら化粧をオフにしたい」とプランナーの主人公に相談する。主人公は、それで離婚に繋がったカップルや、新郎の両親が顔をしかめて新婦の家族と険悪になった例を挙げて反対する。だが、彼を愛していますからと力説する彼女の熱意に負けて承諾する。そして当日、ベールを外すとその美しさに式場はため息と歓声に包まれる。実は新郎から、ベールを外したら新郎側の友人家族の視野に知能化粧された状態の顔を固定表示させてくれ、と頼まれていたのだ。本当の顔で祝福されたと喜び礼を言う新婦。これでよかったのだろうかと首を傾げつつ、主人公が無知能化した写真を見ると、そこにはごく平凡だが最高に幸せそうで、そして彼女の人生で一番綺麗な姿をした新婦の姿がある。
二篇目は、失敗を描く。夫婦の希望で、SNSと新婦の記憶を元に知能映像を生成し、披露宴の余興で流すことにする。だが、話しているとその希望はむしろ新郎のもので、新婦は乗り気でないように見える。SNSで見る限りは、出会いも、重ねたデートも、プロポーズも、何もかも理想的なカップル。不穏な気配を感じながらも映像を生成すると、そこには新婦ではない別の男が写り込んでいる。新婦だけを呼び出し事情を訊くと、「子供ができたから」とだけ彼女は答える。彼女にはずっと惹かれている人がいたが、彼は別の女性と交際している。思いを振り切るために今の相手と付き合っていたが、子供ができて結婚することになったのだ。結局、新郎には「難しいようですのでこちらで作成しました」と伝え、映像の顔を今の新郎へと差し替える。当日、映像を流すと、新婦の友人席から男がひとり立ち上がって会場を出る。追いかけると、同じく新婦の友人席にいた女に事情を問い詰められている。新郎とその友人・家族は何も知らずに祝福を送っている。事ここに至り、主人公は、すべてが新婦から思い叶わなかった男への復讐だったのだと悟る。
三編目が決まらない。
知能化商品群があるからこその希望を描くか、あるいは知能化商品群があっても変わらずに存在し続ける結婚の絶望を描くか。要は、技術を肯定するか、無力と位置づけるかだ。否定して、絶望を強めたり、幸福が失われる状況を描くつもりはなかった。だが、決まらない。
きんぴらごぼうと小松菜の煮浸し。豚肉に下味をつけてタレを用意し、後は焼くだけにしたところで、呼び鈴が鳴って、扉が開く。玄関から「ただいま~!」と声がする。普通に鍵を開けて入ってくればいいのに、佐和はいつも一度呼び鈴を鳴らすのだ。
台所に仕事着の佐和が現れる。「ただいま。今日のご飯何?」
「おかえり。今日はね……」
炊飯器が炊き上がりの電子音を鳴らす。何もかも完璧だった。
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