5.七尾ユウ/Web小説は速度が命
書く時はいつも、大体の話の流れは頭の中に作っている。でもいざ書き出すと、流れを成り立たせるためのディテールの不足に気づいて、その場で足していく。毎回そうしていると、徐々に手前との矛盾が現れたり、しっかり考えていたはずの流れから大きく外れている。軌道修正しようとするが、いつも途中で破綻する。
人目に触れるためという名目で一〇〇〇字程度で短く更新していなければ、こんなことは起こらないとわかっている。でも、今の自分が考えて書いているものに、すぐに反応が欲しい。面白いね、と言ってもらいたい。だからすぐにアップロードしてしまう。書き溜めて書き溜めて、定期的に更新していては、その間何もしていないアカウントになってしまう。そういう、他人に構われたいという欲求を、Webの基本は更新速度だ、という建前で隠している。
コンテストに向け、決心を固めた。今度はできる限り書き溜めるのだ。プロットも文章にして定めて、完結させるのだ。完結させられないわけではない。一〇〇〇字更新というWebの流儀に自分のスタイルがついていけていないだけで、完結させる能力がないわけではないのだ。才能だって時間だって、能力だってあるのだ。
タイムラインには続々と、プロットできた、何字書いたというツイートが並んでいる。早くもロゴやイラストを載せて、何日公開予定です! と宣伝しているアカウントもある。そもそも、自分でやっていることなのに、まるで企業が絡んだ案件のように、公開予定などと言うのがもう痛い。
その中で、私はコンテストは降ります、と謎の宣言をしているアカウントが目についた。
《@bush_gyaragaaa ナクコンは不参加です。読者選考を通過するにはスタートダッシュで星を貰わないといけない、そのためには事前に仲間を集めて相互評価クラスタを作ることも辞さない。公式まで、ツイッターで他の作者と交流したり、共感できるアカウントであることを推奨する。そういうのに疲れました。公募に戻ります》
お前はそうすればいい、というリプライを打ち込んだつもりになって、いいねだけつけておく。こういう人は参加している人を内心見下すことで選ばれないことで傷ついたプライドを守っているから、いいねで刺激してあげればこちらの作品を読む養分になってくれる可能性が高い。
自分の原稿に向き合って、しばらくしてから確認すると、そのツイートには一〇ほどのいいねがついていた。リプライも。
《@gib_son_WF そういうのもありだと思います。私は、読者選考通過はすっぱり諦めて、新規読者獲得の機会だと思って参加してます。普段が過疎ジャンルですから、こういう時がチャンスなんですよ……》
ふたりとも長く相互フォローしているアカウントだ。不参加表明の方は、直近の作品が異世界転生だった。それまでは自己陶酔っぽい暗い恋愛ものばかり書いていて、読まれない読まれないと悩んで、そして読者が多い異世界転生に手を出して、そこでも結局埋もれて心が折れたらしい。普段は、ヒットすればアニメではなくドラマになるようなライト文芸やキャラクター・ミステリ小説の感想をよくツイートしていた。
そういうのもあり、の方は正体がよくわからない。儀武一寸、というペンネームで検索してみると、ラノベ新人賞の受賞歴がヒットした。受賞した一作だけだが、本も出ている。それが今は、ナクヨムのいち作家。変わったペンネームだから、同姓同名ということもないだろう。わざわざ騙る理由もないし、きっと本人。
ずるい、と思う。新人賞を獲ったことがあるような作家と同じ土俵で争わなければならないのだ。でも、硬めのSFらしい彼の作品よりも、ユウのエタった転生ものの方が、星の数もフォロワーも多い。あちらはコメントありのレビューが一作につきひとつふたつしかないが、ユウはコンスタントに一〇はある。
どんな気分なのだろうと想像する。一度は栄光を掴んだのに、結局ワナビの群れに転落して、諦めている、と予防線まで張りながらコンテストには参加してワンチャン狙う。ウケが悪いことには、過疎ジャンルだからと自分を慰めて、面白くないものを書いているかもしれないことから目を背けている。どうせ、俺の高尚な作品はナクヨムのバカなガキには理解できないとでも思っているのだ。テンプレを踏みながら少しずらして評価されることが一番難しいというのに。
ワードファイルを開く。いつもナクヨムの投稿フォームに直書きだったから、別のファイルを用意すること自体初めてだった。コンテスト用の新作は、「転生ニートの隠れスキルマスローライフ~最強魔術師は最高マイルームで引きこもりたい~」。タイトルだけは、いつも一番先に決めることにしている。最強スキルの魔術師に転生した元引きこもりが主人公だった。彼は、野盗や魔王軍と戦ったりせず、田舎で最高の自分の城を作って、現代知識と魔術で村人の暮らしを豊かにして、尊敬を集めながらスローライフを送っている。しかし城作りに使った超レアスキルの噂を聞きつけた姫騎士やエルフ姫やらロリ勇者やらに力を貸してと言われまくり、しょうがないのでちょっと出ていって敵を瞬殺してすぐ引きこもることを繰り返す。最後は表の顔は摂政、裏の顔は魔王軍と通じて王国を影で牛耳る闇の魔術師である男を瞬殺して終わらせるつもりだった。
現代知識チートは、本当にそのジャンルの知識がなければならない。しかしなまじ知識があると、逆にツッコミどころが生まれてしまう。現代農業の豆知識で無双する作品が中世の世界観では存在しないはずの肥料を使っていたり、化学で無双する作品が原料の鉱物の採掘方法で突っ込まれたりする現場を何度も見かけた。そして今度の作品は、ニートのにわか知識を魔法で実現する、というハイブリッドなところがポイントなのだ。これならツッコミどころが生まれず、現代知識で気持ちよくチートできる。
しかし、この発想がどこまで物珍しいかわからない。自分の人生経験をそのまま異世界転生に当てはめたような、単純な知識量で圧倒する作品の方が「ガチすぎて草」「胃が痛い」などと言われてバズりやすいからだ。
交流がうまい作家たちは、クラスタ内でプロットの読み合いなどもしている。しかし、ユウにそんなコミュ力はなかった。読んでくれる人といえば、ひとりしかいなかった。
「面白いと思うけど、どうして助けを求めてくるのがみんな女の子なの?」蛍光灯を半分抜いて薄暗い部屋。仕事着のままベッドに座った姉が、PCに向かうユウの背後で言った。「強い騎士とかに尊敬される方が嬉しいんじゃない? ほら、最初は『フン……貴様など俺は認めん』とか言ってるのがそのうち主人公をめっちゃ頼るの」
「姉ちゃんがそういうキャラ好きなだけだろ」
「あ、バレた? ユウちゃんさっすが~」
「それに、そういう役割は姫騎士にさせるから大丈夫」
「最終的にハーレムの方がいいよね。そっか。難しいなあ……」
考え込む姉の目が見られない。
針の筵のような家族の中で姉だけが、いつもユウに寄り添ってくれていた。今だって、仕事から帰ってすぐ、ただいまを言うために顔を出したところを呼び止めても、嫌な顔ひとつせずにプロットを読んで、感想を言ってくれる。たぶん世界でたったひとりの、安心をくれる相手。そんな人でも、目を見て話すことができない。
目を見れば見られる。それが怖い。他人に見られると、バカにされているような気分になる。姉はそんなこと考えないとわかっていても、怖いのだ。もしも見てしまって、その瞳に少しでも憐れみや軽蔑の色が浮かんでいたら、もう二度と、姉と言葉を交わせなくなる気がする。
だから盗み見る。
ベッドから投げ出された、仕事用の黒いストッキングに包まれた脚。僅かに肌色が透けている。立てば膝が隠れるくらいの丈の、暗いグリーンのスカートの奥にあるものを想像する。革の仕事鞄から、何かのファイルとポーチが飛び出している。
姉は、プロットを表示させていたスマホを放り出すと、ツイッターのタイムラインが流れるPCへと身を乗り出す。
「やっぱり、同じ作家さんの人に見てもらったほうがいいんじゃない?」
「この人達は……」上半身を引きながらユウは応じる。「作家じゃない。ほとんどは、作家気取りなだけ。どうせ公募に出したこともない。ネットで小説晒して、反応もらって喜んでるだけだよ。反応のために書いてるんだよ」
「でも書いてるなら作家さんでしょ? ユウちゃんだって」
「違う!」
思わず出た大声に驚いたらしい姉の身体がぴくりと震えた。
そうじゃない。自分が作家だなんて名乗れないことは誰よりも自分が一番よくわかっている。どうせ三次落ちの二次止まり。それでも、ナクヨムに投稿しているだけで作家を名乗っている人や、「Webならではのコンテンツを!」と自作サイトのようなものを宣伝している人たちの真似をして、これなら許されると思って、ツイッターのBioにWeb作家と書いている。
書籍化作家のツイートが目に止まった。
《@shikabane_kaito コンテスト参加する方、応援しています。私もこのコンテストで特別賞を頂き、作家デビューすることができました。書籍化作「コールドスリープから目覚めたら俺のこと好きすぎる幼馴染がスライムに転生してた件」は来月発売です! #ナクコン6》
舌打ちする。書籍化前まで、このアカウントは読まれない、自分が認められなくて苦しい、評価が欲しい、書籍化ツイートを見るたび歯軋りする、などとメンヘラなツイートを連発していた。飲んでいる薬のこともツイートしていた。それが書籍化すると、途端にお行儀のいい真人間のツイッターになった。きっと、認められたことで、本当に病が治ってしまったのだ。別に本人は意識せず、ただ自然体のツイートをしているだけ。それが周りからは、急にお行儀よくなった、と映る。
タイトルにも彼の遍歴は現れている。コールドスリープ。元々は硬派なSF作品ばかり書いていて、ナクヨムでは読まれないWebでは読まれない、だからどんなに作品の面白さを磨いたって無駄と嘆いていた。そこに都合のいいヒロインと転生ファンタジー要素を合体させたらウケて書籍化まで漕ぎ着けたのだ。
Webに上手く適応できた例だろう。できなかった@bush_gyaragaaaとは違って。
姉が画面を指差した。
「ほら、この人とかは? 勇気出してDして、『プロット見てください』ってお願いしてみれば、応じてくれるかもよ? 賞獲ったことある人なんでしょ?」
@gib_son_WF――儀武一寸だった。
よく一緒にツイッターを見る。ユウのツイッターのIDとパスワードを、姉は知っている。ユウのネットでの人間関係を姉は全部把握していて、フォローしているアカウントの来歴も、時にユウ以上に細かく把握している。
「この人は……獲ったっつっても、ラノベだし。ラノベの新人賞って、文章が普通でカテエラじゃなきゃ絶対一次通るらしいよ。知ってた?」
「でもこの人は賞獲ったんでしょ?」言い、儀武一寸のホームを開く。
それで姉は、ユウが嫌がる理由に思い当たったようだった。
《@gib_son_WF なぜ髪の毛は排水溝に詰まるのか。第5の力が存在しているとしか思えない》
《@gib_son_WF 電子レンジで目玉焼きができるやつ、妻が買ってきた時は正直結構バカにしていたんですが、今では毎朝お世話になっています》
《@gib_son_WF みかんジャムとヨーグルト。ジャムって作れる気がしません》
《@gib_son_WF 今日の進捗二〇〇〇字。買い物の支度をする妻の圧を感じます。》
家庭だ。
まるで何かアピールするかのように、自分が作ったのではない料理の写真を上げ、一緒に暮らす誰かの存在を匂わせてくる。ツイートの三回に一回は妻が登場する。そうして自分にとって小説は全力投球するものではなく、愛する人との家庭生活の隙間で、あくまで趣味として切り分けて書いているのだ、と表明し続けている。そして趣味で小説を書くことを許されながら、家事を積極的に手伝う現代的な夫でもあり、妻と互いを尊重する理想的な家庭を築いていることを行間でひたすら訴えかけてくる。
正直、このアカウントのツイートを見るだけで腹の中に黒いものが湧き上がってくるのを感じる。ブロックしてしまいたいが、「おやおや、ブロックされてしまいましたね(笑)」とでも後でツイートしそうで腹が立つ。今どき(笑)を使いそうな感じも苛つく。
多分自分が、一生かかっても手に入れることができず、だからこそ心底嫌悪するものを、軽々と見せつけている。
そんな人間にプロットを晒せというのだろうか。
姉は口の端で笑った。
長く相互フォローしているうちにツイートがストレスになっているけど、なまじ相互関係があるからブロックもできない。そういうアカウントにはいくつか心当たりがある。そいつらは、自分のツイートが誰かを傷つけているなんて、想像もしていない。いつだって、他人の無意識の悪意に傷つけられてきたユウにはそれがわかった。たとえば学校。たとえば数少ない外出先であるコンビニ。かつてのバイト先。いかにもオタクで陰キャなユウをひと目見るや、自分とは違う枠の中にいる人だという扱いをしてきた連中。慇懃な笑顔や無視という最も鋭い目線をぶつけて、ユウを人間扱いしてこなかった人々。差別者。
ああそうか。
ユウは姉の笑みの意味にようやく気づいた。
もしも、プロットにいい影響を与えてくれるならそれでいい。たとえネット越しでも、人と関わる成功体験が得られればいい。
それで駄目なら、星爆でも晒しでもして潰してやればいい。こちらには無限の時間がある。
腹の奥の黒い渦が熱に変わっていく。姉が目を細める。
姉だけが味方だ。姉だけが、何をしても駄目なFラン中退の引きこもりを、部屋の外へ出す方法を知っている。戦うのだ。正当な復讐として。
「ジャンルが、被ってない方がいいよね」
「そうだねえ。同じ異世界転生だと、敵に塩を送っちゃうかもしれないし」
すると、うってつけのツイートが目についた。
《@Yozora_Bluemoon いいなー! 私もプロット見せあいしたい!》
《@Yozora_Bluemoon よし、募集します。どなたかナクコン参加する相互さんで、プロット読み合いしてくれる人いませんか? こちらは現代ものの恋愛ジャンルです。ファンタジー要素あり。被ってない方がいいのかな? Dください!》
「この人どう? 女の子だし、優しそうだよ」
「なんで」
「一対一よりもうひとりいた方がいいでしょ。お姉ちゃんDMしようか?」
「いい。自分でする」
「ユウちゃん偉い!」
姉に抱きつかれて頭を撫でられ、髪を二日洗っていないことを思い出す。
されるがままになりながら、DM画面を開き、文面を入力する。脂ぎった髪に触れていた姉の手が離れる。横目で様子を観察する。ベッドかティッシュで手を拭うだろうか。
何もしない。姉は鞄とコートを手に立ち上がる。
「お風呂入ろう?」
「うん」
「すっきりして頑張ろうね」姉は、見る者すべてを安心させる微笑みで言った。「ユウちゃんのことは、お姉ちゃんが守ってあげるからね。なーんにも怖いことないからね。ずっと甘えていいんだからね」
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