【第零ノ肆話】曖昧。

 一方的にこの世界の歴史を聞いているともう、「鯨飲馬食」に着いていた。扉には『来い』と、書いてある掛札があり、窓はヒビがはいっていて、テープでそれをとめている。扉を開けて入ると、左には食券機があり、食券機の上にはこけしやら招き猫やらが、所狭しと置いてあった。膳所ぜぜ夜久やくは塩ラーメンの食券を買い、食券置き場と書かれた底の浅いプラスチックの皿に置いて、適当な席についた。

 店の天井には、所々にハエトリテープが吊り下げてあり、厨房は少し汚くて、特にコンロ付近は油汚れや、焦げが目立っていた。客足はそこそこで、皆、ワイワイと酒を飲み交わしている。取り敢えず目に入ったカウンター席に座った。




「ああ、でも耐えた人は皆奴らに目をつけられるんだ。」


「奴らってなんだよ。」


 すると夜久はぐいっと顔を近づけ、手で声が漏れない様な仕草をしてきた。俺はそれに合わせて耳を近づける。


「『脳愚ノーグ』って奴らだ。」


 その時だ。入り口から入ってすぐ左の窓から、妙に鋭い視線が飛び、首筋に刺さった。そこからジワリと蛞蝓ナメクジが這うように、憎悪と悪寒が流れてきた。

 急いで窓の方に身体ごと首を回した。今度はピキッした電撃の様なものが滔々と流れてきた。


「痛!イタタタタ!」


――あ、これ時々来る小さな落雷みたいなやつだ……めっちゃ痛い。


「うわぁ!……急にどうしたんだ!?」


「多分つった!」


「急に振り返るから!……何かあったのか?」


「…………。なるほど、視線か。」


「心が読めるって便利デスネ。」


「…… 、お前、魔法で脳の中いじられたぞ、それ。」


「は!?どゆこと?」


「魔法を掛けたい人の目を見ながら念じると掛けられるタイプの魔法があるんだよ。」


「そんなのチートじゃないか。」


「全てがそうじゃないよ。触ると使えるのもあったりする。」


「それじゃあ何で背後から魔法を掛けたんだ?」


 きょろきょろと付近を見回すと、目の前の厨房に少しだけくすんだシンクがあり、そこには反射して映る窓があった。

 そんな事をしていると間に、膳所と夜久が注文した塩ラーメンを、ウェイトレスが厨房から運んで来た。ウェイトレスは、恐らく夜久と同い年位の少女だ。頭には狐の耳がはえている。時折ピクピクと耳を動かしていて、とても可愛らしい。少し恥ずかしそうにしながら、テーブルに塩ラーメンを置いた。


「しっ!塩ラーメンふ、ふ2つです。」


 その後、おぼんで顔の半分を隠し、そそくさと厨房に帰っていく。


「……腹減ったしとりま食べるか。食べたら考えよう。」


 左側に置いてあった箸入れから二本割り箸を取り、方っぽを夜久に渡し、膳所はもう一方の箸の中央を掴み、パキッと軽快な音をたてて割り箸を割る。まずは、ズズッと勢いよく麺をすすり口の中で、麺の歯ごたえと絡み合ったスープの味を噛みしめる。控えめに言って美味い。美味すぎてつい神妙な趣きになってしまう。



 二人とも夢中になりながらラーメンを食べ、如く、スープを飲み干した。――って…… なんだ?

 急な疑問に背筋が凍った。とりあえず、何処まで憶えているか、確かめる。夜久も俺の思考を読み、かなり驚いた顔をする。

―― 解った。


「俺は…… 、何処から、路地裏に来た!?」

 

 すると、夜久はハッとした顔で、質問に質問を返す。


「君は…… 、何処から、路地裏に現れた!?」


 台パンをしながら、勢いよく立つ。それとほぼ同時のタイミングで、あたりの客が一斉にこちらを驚いた表情で見た。


「俺は…… 、記憶を、消されたのか。」


 どうやら俺は、路地裏を走って男達にぶつかる前の記憶が何者かによって、消されたようだった。思い出そうとすると、黒霧に脳が侵食されそうな感覚に襲われる。何度も試みるが、息切れが激しくなってゆく。周りの客が、驚いた顔や不思議そうに見ていても、気にならなかった。傍らに座っていた夜久が、肩に手を置いてやっと俺は正気に戻った。


「私も君から何かの話をされていた部分を、すっかり抜き取られているよ。」


 どうやら記憶を消した誰かは、つめが甘くなかったようだ。悔しいがどうにもならなそうだった。



 会計を済ませ外に出ると、夜久の背負っている電話がプルルルルと無機質な音が流れてきた。それにすぐ気づいいた夜久は、受話器を取り喋りだしたかと思うと、声のトーンが彼氏から来た電話くらい上がっていた。これがプロの切り替えというものなのだろうか。しばらく会話したあと、ガチャンと受話器を置いた。


「悪いな!ちょっと、とゆうかかなり離れた街で急用が出来たんだ。」


「私に依頼される様な事すんなよ!」


 小走りで少し前に行き此方を向いて、手を降ってきた。


「気をつける!」


 膳所も合わせて手を振返す。本当に感謝しかないな、と思いながら、店を離れる。今から何をすれば、記憶を忘れてた俺はこの街に、適応できるのだろうか。そして、何故消されたのか解らない記憶を思い出す。そんな日が来るのだろうか。そんな事を思いながら、もうすっかり空は暗くなり、より一層ネオンや看板の灯りが強調された繁華街に一歩、足を踏みだした。

――その直後、膳所は夜久のことも忘れてしまった。

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