第十九話「父と娘~暴虐なる魔王~」

★ ★ ★


「ただいまなの」


 ヤマブキは魔王城へと帰ってきた。

 小江戸川越から離れること、二百キロほど。

 山岳地帯を利用して作られた広大な城下町……というよりも城下街。


 さすがのヤマブキの魔力をもってしても一度で二百キロを移動することはできないので、五回ほど転移魔法を繰り返した。


 魔王城は黒塗りの巨大な石造建築物である。高さは、十三階層。

 小江戸川越が和風なら、こちらは洋風といった趣である。


 通常の魔法では魔王城に張り巡らせた魔法結界によって、いきなり城内十二階にある自室にワープすることはできない。それができるのは、ヤマブキのほかは四天王だけだ。


 ヤマブキは魔王城の自室から、父のいる十三階『魔王の間』へと歩いていった。

 お土産は魔法によって、空中に浮遊しながらヤマブキを追尾してゆく格好になっている。十二階以降は、基本的に魔王とヤマブキのほかは入ることはできない。


 十一階に『下知の間』があり、そこで基本的に魔王は命令を出す。

 四天王たちには十階に『四天王の間』が与えられている。


(……相変わらず、この城の雰囲気は重苦しいの……)


 石造りの階段を昇り、真紅と漆黒と黄金でデザインされた豪華絢爛かつ不吉な装飾の通路を進み、最後は一定以下のレベルの者は触るだけでも死に至る『魔王の扉』を開けて、ヤマブキは『魔王の間』へと入っていった。


「……お父様、ヤマブキなの……」


 扉から遠く離れた巨大な玉座に、魔王はゆったりと腰を下ろしていた。


 ヤマブキの言葉に、魔王は応えない。

 さらに場が重くなるような静寂が続く。


(……お、お父様、怒っているの……?)


 ヤマブキは、背中に汗をじっとり浮かべながら魔王の言葉を待った。

 やがて――。


「…………なぜ、勝手に城を離れた」


 魔王は、おもむろに口を開いた。

 底冷えをするような暗い声色。

 冷徹を、そのまま具現化したかのようだ。

 実の父からの言葉であるのに、ヤマブキはあとずさってしまいそうになる。


「ご、ごめんなさい、お父様っ。ちょ、ちょっと、敵情を偵察してきたのっ」


 ここで『遊びに行ってきた』と言おうものなら、その後の発言は許されなくなる。

 あくまでも、魔王の娘に求められているのは戦士としての役割なのだ。


「……偵察だと?」


 水晶を使えば、ヤマブキの行動は逐一監視されることになる。

 だが、幸い、魔王は水晶は使っていなかったらしい。


 そもそも、今日は魔王はイヅナたちの駐留している前線の城に視察に行っていたのだ。時間的に余裕はなかったのだろう。


「そ、そうなのっ! 偵察してきたのっ! 次の侵攻予定地の、あの変わった町に潜入してきたのっ!」

「…………ほう」


 どうやら興味を持ってくれたらしい。

 話す前に処罰が言い渡される可能性もあったので、ヤマブキはホッとした。


 しかし、ここからが本番だ。

 なんとか自分の弁舌によって、あの町を、そして、みんなを守らねばならない。


(必ず、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちを守るの!)


 決意を固めながら、ヤマブキは話し始めた。


「あの町は、とっても文化レベルが高いの! 建築物だけじゃなくて食べ物や飲み物も、このあたりでは見たこともないものが出てくるし、とっても美味しかったの! 本当の本当に信じられないぐらい美味しかったの! だ、だから、あの町を滅ぼすのはもったいないのっ! え、ええと……ほ、ほら、これが戦利品なのっ! これを食べてもらえれば、お父様にもわかってもらえると思うの!」

 

 『お土産』ではなく『戦利品』といったほうが父に受け入れられやすいと思い、ヤマブキは頭を働かせた。


「…………」


 しかし、父は――魔王はあくまでも無言であった。

 言葉が返ってこないことによって、ヤマブキの心は不安に包まれていく。

 一方で魔王の眼差しはより険しいものへと変わっていった。


「…………わざわざ敵地に赴いた挙句、籠絡されてきたか……愚かな」


 ますます声音は、冷たいものになっていった。

 そして、ギロリとこちらを睨みつけてきた。


「うっ……」


 その鋭くも重い眼光によって、ヤマブキは言葉を失った。

 実の父とはいえ、家族愛的なものはない。

 戦闘種族である魔族にとって大事なのは――強いか、弱いか――それだけである。


 『強さ』だけが唯一絶対の価値観。

 外交や内政などという弱者の政策は、魔族にはない。


 これまでの魔族同士の戦いも小細工なしのぶつかりあい。血で血を洗う闘争によって勝敗は決せられてきたのだ。


「……懲罰房行き、だな」

「ひっ――!?」


 父から呟かれた言葉に、反射的に悲鳴が漏れ出た。


 懲罰房は魔王城地下『漆黒の部屋』の中にある『煉獄の間』――の、さらに室内に設置されている『地獄牢』のことである。


 この部屋に入ったら、死すら生ぬるく感じられるような地獄を味わわされることになる。


 マグマによる灼熱、数万に及ぶ毒針による刺突、終わりなき鞭打ち、暴虐なる濁流……ありとあらゆる『死に至る苦痛』を疑似的に体験させられるのだ。


 虚構の地獄とはいっても、この懲罰房に入れられた魔族の多くは精神崩壊を起こして、実際にほとんどのものがショック死していた。


 過去にヤマブキは二回懲罰房に入れられたものの、どうにか生き残ったのだが……次も生還できる保証はない。


 魔王の娘であるヤマブキをもってしても、耐えがたい苦痛なのだ。

 だが、それでも勇気を振り絞って食い下がる。


「お、お父様っ、お願いなのっ! あの町には魔族にはない文化があるの! それに住人も、わざわざ滅ぼすような存在ではないの! 市長っていう偉い人に会ったけど、戦いは望んでいないようなの! だから、どうか、穏便に対処してほしいの!」


 ここまで父である魔王に、自分の意見を主張したことはなかった。

 そもそも、城内で魔王に意見できるものなど存在しない。


 仮に指示に対して不平不満を漏らそうものなら、一瞬で、八つ裂きになる。

 意見なんて持ってのほかだ。


「…………」


 闇よりも暗い――そして、重い沈黙が訪れた。


「……っ」


 あまりにも強すぎる負のオーラに、ヤマブキは震え始めた。

 爪先に始まり、続いて膝が、下半身が――そして、全身に至る。


 フルフルと痙攣していたのが、すぐにガクガクというものに変化し立っているのも危ういほどになった。


 下級魔族であったなら、すでにショック死しているだろう。

 それほどのプレッシャーを受けつつも、ヤマブキはさらに話を続けようとした。


 しかし、あまりにも強烈な圧により言葉を発することができない。

 パクパクと口が動くだけだった。


「……よもや……ここまで愚かだったとはな……」


 その暗い瞳には、ありありと失望の色が浮かんでいる。

 父のこのような表情はこれまでに見たことがなかった。

 そのことに、さらに恐怖が強まっていく。


「……もう顔も見たくない……本来なら、ここで殺処分するところだが……おまえは戦力になりうる……いつの日か『勇者』が出現した日のために温存しておかねばならぬ……。よって、懲罰房で再教育を施す…………これまで以上の地獄を味わって心を入れ替えてもらわねばな……これまでの二回とは訳が違うぞ?」

「……ひぁ……あっ……」


 以前に懲罰房で味わわされた地獄を超えるという言葉に、ヤマブキは恐怖で喉を引きつらせた。恐怖のあまり小水を漏らしてしまう。


「…………情けない……それでも、魔王の娘か!」


 恐怖と絶望のあまり自分が作ったばかりの温かい水溜まりに、ペタンと腰が抜けたように座りこんでしまう。


「……それでも誇り高き魔族かぁっ!」


 吐き捨てるような言葉とともに爆発的な風が発生し、ヤマブキは川越土産もろともに吹っ飛ばされて扉に激しく衝突したのち床に落下――地面に強かに叩きつけられた。


「失せろ!」


 ヤマブキの身体は淡い暗緑色のオーラに包まれて、その場から強制転移させられる。続いて、散らばった土産の数々は蒼暗い焔によって一斉に焼失していった。


「…………ふん。余計な手間を取らせてくれる…………」


 魔王は忌々しげに呟き、そのあとはヤマブキのいた場所に目もくれない。

 その瞳は、目の前の些末なものには向けられていない。


 魔王の脳裏にあるのは、ただひとつ――魔導占星術によって復活が近いことがわかった『勇者』のことだけであった――。

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