第十七話「別れ~抱擁と絵師~」

「今日はありがとうなの♪ みんなのおかげで今日はすごく楽しい一日になったの♪こんなに楽しかった日は、これまで生きてきて初めてなの♪」


 ヤマブキの両手には、お土産の入った風呂敷が持たされている。

 新が手配して、急遽、川越の名産品を町中のお店から集めたのだ。


 いざお別れとなり、まずは新がヤマブキに向かって口を開く。


「うん、それじゃ、お父上によろしく。小江戸川越市長としては戦いは望んでいないのでね。これからは友好的に、よき友人としてやっていければと思う!」


「ヤマブキも戦いは望んでいないの。お父様にこの町……カワゴエの素晴らしさを話して侵略をやめてもらうように頼んでみるのっ!」


 ヤマブキは強い口調で、意思表明をした。

 現状、この小さな女の子に川越の命運がかかっているとも言える。


(……なんだかヤマブキを利用しているようで気も引けるがな……)


 道也としても複雑な心情だ。でも、これが現在唯一の外交カードだった。

 外交で回避できなければ、戦争になってしまう。

 それだけはなんとしても避けねばならない。


「ヤマブキちゃん、また遊びに来てくださいね♪ もしお父さんを説得できなくても気にする必要なんてないですから♪」


 意気込んでいるヤマブキの緊張をほぐすように、初音は微笑んだ。


「お姉ちゃんは、本当に優しいの♪ まるで、お母さんみたいなの♪ ……実は、ヤマブキのお母さんは……去年、病気で亡くなっちゃったの……」


 ヤマブキが両手から風呂敷を放すと、浮遊し始める。どうやら魔法的なものを使ったようだ。両手があいたヤマブキはそのまま歩いていき――初音に抱きついた。


「ヤマブキちゃん……」


 初音もヤマブキのことを抱きしめ返す。


「お姉ちゃん……」


 ヤマブキは頭をグリグリと押しつけるようにして初音の胸に顔を埋めた。

 それに対して初音はヤマブキの背中を安心させるように何度も撫でる。


(……いいな、この情景……)


 初音がヤマブキのことを抱擁する姿は、とても絵になる。

 それこそ本当に絵として描きたくなるほどに――。


 そう思ったときには、道也はショルダーバッグに入れていたスケッチブックとペンを取り出した。そして、急いで目の前の光景を描写していく。


「うわっ、上手すぎっ!? っていうか、描くの早すぎぃ!?」

「……すごい……」

「ほう、噂には聞いていたが、すごい画力だね、雁田くん」


 傍らにいた芋子たちがが感嘆の声を上げるが、夢中で道也は筆を走らせていった。

 最高の題材があると、いくらでも筆が動く。


 初音とヤマブキの抱擁を描き終えた道也は、おまけとしてアニメキャラのようにデフォルメしたヤマブキも描いた。


「お姉ちゃん、ありがとうなの……♪」

「ヤマブキちゃん、いつでもまた川越に来てくださいね♪」


 ヤマブキと初音が身体を離す。

 そこへ、道也はこのわずかな間に完成させた絵を持っていった。


「ヤマブキ、よかったら、これも持っていってくれ」

「……ふえっ? わ、わぁあっ!? すごい! すごいのっ♪ お兄ちゃん、天才画家なの!?」

「わわっ! 雁田くん、本当にすごいですっ! こんなすぐに描けちゃうんですか!?」

「まぁ、簡易的なものだから……それにメチャクチャ創作意欲を刺激されたからな……」


 子どもの頃から絵を描き、最近は漫画も描いていたので筆の速度は上がっている。

 だが、それ以上に心を動かされたことが大きい。


 小江戸川越と魔王軍が戦争状態になるということは、初音とヤマブキが戦う可能性だってある。

 それだけは絶対に避けねばならない。

 そして、こんな小さな子を兵器として扱うことも絶対に避けねばならない。


(絵を描いたからって回避できるとも限らないし、自己満足かもしれないけど……)


 でも、今できることはなんでもやりたかった。

 絵には力がある。見た人の心を動かす力が――。


 絵で魔王の心を動かすことはできるかどうかわからないが、絵師としても川越の平和のためにやれることをやっておきたかった。


「お兄ちゃん、ありがとうなの♪ こんなに嬉しいプレゼント初めてなの♪」

「気に入ってもらえて、よかった。戦争が回避できて時間を確保できたら、絵具を使って本格的なのも描いてやるからな」


「そうなのっ!?  それならヤマブキ、もっともっとお兄ちゃんに絵を描いてもらえるように、お父様の説得をがんばるの!」


「ヤマブキのお父さんの絵も希望があれば描くからな。何枚だって描くから」


 川越は絵の町でもある。蔵造りの一番街の中心部に美術表具店があるぐらいだ。

 そして、前時代には時の鐘前の通りに自作の絵を販売する路上絵師たちもいた。

 だから、絵の力で問題をなんとかできるのなら川越らしい解決法とも言える。


(でも、そんなにうまくいくとも限らないな……)


 その場合は、筆ではなく銃を手に取らないといけない。

 実際、この小江戸川越での主戦力は川越娘の三名と銃を使える道也の四名。


 あとは、刀と槍と弓矢を主体とする小江戸見廻組がいるが、モンスター相手ですら苦戦している状況である。


 そもそも、多勢に無勢である。いくら強力な兵器があっても訓練された軍隊を相手に持ちこたえられるかはわからない。


(戦いになれば、最悪、みんな死ぬことになる……)


 モンスター相手のときは負ける心配はなかった。

 だが、今回は偵察隊だけでもレベルが違った。


 そんな空気を察したのか、新が殊更(ことさら)に明るい声で言う。


「あまりシリアスになることはないさ! いざとなったら新ちゃんは土下座外交も辞さない! 小江戸川越を戦火に晒したり若人の命を危険に晒すぐらいだったら潔く降伏するさ! だから、ヤマブキちゃんもあまり気負わなくていいよ!」


「そうそう! あたしだって今日は楽しめたし、それだけでいいと思うよ!」

「……ん……外交は、本来、大人たちの仕事……ダメで、もともとだから……」

「そうですよ、気負わなくて大丈夫ですから♪ 今日ヤマブキちゃんに楽しんでもらえたことが一番です♪」


 川越娘たちの言葉を受けて、ヤマブキは微笑んだ。


「本当に、この町のみんなは優しいの♪ ヤマブキもこの町のことが大好きになったから全力を尽くすのっ! ……それじゃあ、そろそろ魔王城に帰るの。みんな、今日は本当に、ありがとうなのっ♪」


 そう言うと、浮遊していた風呂敷が再びヤマブキの手に戻っていった。


「それじゃ、またなの♪」


 ヤマブキの身体を中心に緑色の輝きが拡がっていき――霞のように消えていった。


「……ヤマブキちゃん、行っちゃいましたね……」

「……ん。急に静かになって寂しい……」

「ヤマブキちゃんともっと遊びたかったなー!」


 元気いっぱいでなんでも喜んでくれるヤマブキは、まさに太陽のような存在だった。川越娘たちは一様に寂しげな表情を浮かべる。


「……ふむ、でも、魔族の側にもヤマブキちゃんのような存在がいてくれてよかったよ。いきなり威力偵察してくるような国だから血も涙もない軍事国家かと思ったけど、まるで話の通じない国というわけじゃなさそうだ」


 だが、道也としては楽観できなかった。


「でも、そのヤマブキを秘密兵器扱いしてるみたいですから、魔王は信頼できるような人物じゃなさそうな気もしますが……」


「……うむ、雁田くんの言うとおりだ。あんな年端もいかない子を兵器扱いするなんてね……って、キミたちを最前線で戦わせてるボクが言える台詞ではないね……キミたちには苦労をかけている。本当に、すまない。そして、ありがとう」


 そう言って、新は頭を下げた。

 初音が慌てて両手を振る。


「い、いえ、とんでもないです! わたしたちがこうして戦えてるのは新さんや川越市民のみなさんがバックアップしてくださるからですよ!」

「そうそう! あたしだって、おかげで毎日おいしいもの食べられてるし!」

「……わたしたちだけでは戦い続けられなかった……弓矢だって、いつもよい矢を支給してくれるから、こうして戦ってこられた……」


「そうですよ、新さんの開発した銃のおかげで俺も戦えるようになれましたし。それに市民のみんなだって新さんのことを頼りにしてるじゃないですか!」


 川越娘と道也は、慌ててフォローした。

 いつも能天気な新からは考えられないぐらい真面目な態度だったからだ。


「ふふ、申し訳ない。君たち若人に気をつかってもらうなんて。ボクも、この川越を預かるプレッシャーというものをここのところヒシヒシと感じていて弱気になっていたようだ……でも、もう大丈夫。ボクもやれることを全力でやろうと思う! 小江戸見廻組の連中の戦力の底上げもしないとね! いつまでもキミたちにおんぶに抱っこではいられない! 大人の意地を見せてやるさ!」


 そう言った新の瞳からは闘志が感じられた。


「必ずこの小江戸川越を守りきる! だから、力を貸してほしい」


 新の決意のこもった言葉に、川越娘たちは力強く頷く。


「はい! 必ずわたしたちの町を小江戸川越を守りましょう!」

「水くさいなー、市長。もちろんあたしたちは全力を尽くすに決まってんじゃん!」

「……ん……わたしたちの代で川越の歴史を終わらせるわけにはいかない……」


 最後に道也が締めくくる。


「俺も、絶対にみんなを守ってみせます!」


 今日一日小江戸川越をみんなと歩いたことで、あらためてこの町を、そして、みんなのことを守りたいと強く思った――。

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