第十六話「鰻重を食べよう♪」

 そして、待つことさらにしばし……ようやく、鰻重が運ばれてきた。

 肝吸いとお新香つきである。


 川越は芋と鰻ばかり注目されるが、漬物のレベルもかなり高い。

 歴史のある町では、漬物文化も洗練されるのだ。


「さ、みんないただこうじゃないか! レッツ鰻重タイム!」


 新がカパッと鰻重の蓋を取るとともに、宴会が始まった。


 なお、席順は奥の窓際からヤマブキ、道也、茶菓。

 ヤマブキの前に初音、その横に芋子、新の順である。


 なお、武道や茶道経験があって礼儀作法を重んじる初音がこの中で一番偉い新を奥の席へ座らせようとしたが、新は『まぁまぁ、ボクはそういうのは気にしないから!』と制していた。

 才能があって地位もあるのに、そういうものに無頓着なところが新の人気のひとつでもあった。


 ともあれ、食事タイムが始まる。

 それぞれ蓋を開けると――香ばしい匂いが拡がっていく。


「ふわぁっ……♪ な、なにこれっ♪ すごくいい匂いなのっ♪ それに見た目もすっごく美味しそうなのっ♪」


 ヤマブキは瞳を輝かせる。

 鰻の蒲焼が良い匂いだと感じるのは、魔族にとっても同じらしい。


「ヤマブキちゃん、お箸使えますか? 難しそうならもっと食べやすいスプーンというものがあるので、それをお願いしましょうか?」


 そういうところにすぐに気がつくのが、周りへの配慮や気づかいを忘れない初音らしい。


「んー? この細長い棒みたいなのを二本使って食べるのがこの町のシキタリなの?」


 ヤマブキのその問いには、芋子が応えた。


「んー、シキタリっていうか、それがここでは当たり前っていうか? ま、最初は難しいかもしれないけど慣れたら楽だと思うよー。こんな感じでさ!」


 芋子は箸で鰻と米を適度な大きさに切り、そのまま口に運んでいった。


「もぐもぐ! あぁ、やっぱりうめぇー! 特上の鰻重、最っ高ーー!」


 芋子は満面の笑みを浮かべると、もうすでに箸を再び重箱に伸ばしていた。


「や、ヤマブキも『箸』を使って食べてみるのっ!」


 芋子の様子を見たヤマブキは意気込んで、箸を掴んだ。

 しかし、グーで握ってしまってるので、これではうまく使えないだろう。


「ヤマブキちゃん、こうです」


 初音は立ち上がってヤマブキの背後に移動すると、小さい子にお箸の持ち方を指導するように自らの手を重ね合わせて、正しい箸の持ち方にしていった。


「あまり力を入れすぎず、でも、弱くなりすぎず使ってみてください♪」

「う、うんっ。ありがとうなのっ♪ やってみるのっ♪」


 初音に優しく指導されたヤマブキは箸を動かし、鰻と米を適度な大きさに切った。


「落とさないように気をつけてくださいね♪」

「が、がんばるのっ!」


 周りが注視する中、ヤマブキは箸にのせた鰻と米を――どうにか落とすことなく口に運ぶことができた。


「もぐもぐ……」


 今度は、みんなが別の意味でヤマブキを注視する。


 鰻の味というのは、けっこう好き嫌いが別れる。

 特に、子どもの頃は苦手ということも多い。

 ここで特上の鰻重が不発だと『おもてなし』作戦は失敗になってしまう。


「…………ふわぁ……」


 やがて、ヤマブキは呆けたような声を出した。

 その様子は、鰻を気に入ったのか逆なのか判別つきにくい反応だ。


 座敷に緊張が走る中、ヤマブキが叫んだ。


「すっごくおいしいの! 信じられないほどおいしいの! 世界にこんなにおいしいものがあるなんて驚きなの!」


 どうやらあまりにもおいしすぎて、喜びよりも驚きのほうが勝っていたらしい。


「ふふっ♪ ヤマブキちゃんに鰻を気に入ってもらえたようで、よかったです♪」

「……ん……さつま芋と鰻は川越のソウルフード……このふたつを気に入ってもらえると川越の民としても喜ばしい……」


「ま、好き嫌い別れるかもしれないけどね、鰻って。あたしの周りにも鰻が苦手な人いるし。でも、ほんと、気に入ってもらえてよかったー!」

「気に入ってもらえたのなら、なによりだ! アラタちゃんも出血大サービスをしたかいがあるってものだよ! いやぁ、よかった!」


 ヤマブキの反応に、みんなホッとした表情を浮かべる。

 もちろん、道也も同じ気持ちだ。


(地元の食べ物を美味いといってもらえるのは嬉しいな)


 そんな思いを抱きながら道也も鰻重に箸を伸ばして、一口食べる。


「うん、美味いな……」


 備長炭でしっかりと焼き上げているので、外は適度にパリっとしていて、中はふわりと柔らかい。といっても脂でブヨっとしているわけではなく身は引き締まっており、鰻自体の質が高い。


 それに加えて前世界から代々受け継がれてきた秘伝のタレの絶妙の甘じょっぱさは文字どおり一朝一夕に出せるものではない。

 

 数百年の歴史があってこそなのだ。その伝統の結晶のような鰻重が、こちらの世界の魔王の娘の舌を喜ばせているだから数奇なものである。


「こんなにおいしいものを食べられるだなんて、この町に来てよかったの♪」


 ヤマブキは笑みを浮かべながら、箸を使って鰻重を食べていく。

 最初はぎこちなかった箸の動きも、食べるうちに上達していった。


「ふふふっ♪ いい食べっぷりですね、ヤマブキちゃん♪ それでは、わたしたちも食べるほうに集中しましょうか」


 初音は慈しむような微笑みを浮かべると、自らも鰻重を食べていった。

 礼儀正しい初音の箸使いと食べ方は、それだけで芸術のように美しい。


(……って、霧城の食べているところを見ていても仕方ないな)


 最近、どうも初音のことを変に意識してしまっている。


 もともと初音は美人というか小江戸川越で一番の美少女ではあるのだが、極力、異性として意識しないようにしてきた。


 だが、なんか今日はダメだ。


 ヤマブキと接しているときの初音の姿は、ふだんよりさらに魅力的に映る。

 母性本能が強いタイプだから、子どもと接しているときは笑顔が増えるのだ。


(……この大事なときに余計なことを考えちゃダメだよな……小江戸川越の危機なんだから……ともかく、魔王軍との戦いは避けないと)


 でも、もし戦争が避けられないとなれば道也は、初音を、そして、川越娘たちを――もちろん川越市民たちを守るために死力を尽くすつもりだ。


 ……そのあとは、それぞれ鰻重を口に運び、肝吸いを賞味し(これに関してはヤマブキもちょっと苦手なようだった)、漬物を食べ(こちらはヤマブキも気に入ったようでパリポリと食感を楽しんでいた)、あとは飲み物も自由に飲んで(異世界で獲れた果物のジュースや新の指導のもと作られたサイダーなど。ヤマブキはサイダーも気に入っておかわりしていた。なお、新は「ま、接待の場ということでいいだろう」と言い訳をしながら小江戸川越屈指の老舗酒造の日本酒を飲んでいた)。


 ともあれ、宴会は終わった。

 ヤマブキには門限があるらしく、別れの時間となったのだ。

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