第4話 落ちてきた少女② 

 フウトとカイは、灰色の空をくるくると落ちていった。

 かすかな雨が降っていた。ぼやけた地上にはビルが乱立している。

 二人は路地裏のゴミ置き場に不時着した。大量に廃棄された古着の山は衝撃を吸収するクッションの役目を果たした。

「大丈夫?」

 ジーンズの山に埋もれるフウト。むくりと起き上がったカイは無言でうなずいた。

 建物と建物の間のせまい空間は、昼間のはずなのに薄暗かった。路地の入口の細い隙間から、表の通りを行き交う人々が見えた。

「このままだと濡れるな」

 通行人たちはみな傘を片手に歩いていた。フウトは尻に敷いていたTシャツで頭を覆った。

「あれ」

 カイがゴミ置き場のすみを指差す。水色のポリバケツにビニール傘が数本立てかけてあった。

 二人は傘を選別した。ほとんどは支えの針金が折れていて使いものにならなかったが、一本だけまともな状態のものが紛れていた。

 フウトが傘を開き、カイの肩を引き寄せた。頭一個分フウトの背が高かった。

「ここ、人がすごく多いから。かたまって行くぞ」

 カイはフウトを見上げて、特に何も言わず元の位置に顔を戻した。

 通りに出ると、目の前には人の流れが途切れることなく進んでいた。人っ子一人いなかった空の世界との落差に、カイはしばらく人の波を目で追うばかりだった。

「すごい人の量だよな、トーキョー」

 フウトはあごで上空を指した。カイがそちらを見ると、赤い鉄骨の塔が雨のなかにぼうっと滲んでいた。空に浮かぶ大地とはまた違う景色に、カイは見とれた。



 窮屈な傘の下、二人は人混みの流れに乗って街中を進んだ。

「ほら、これこれ。カイに似てる」

 フウトは小さな商店のガラスケースに飾られた日本人形を見つけた。カイはガラスにうすく映った自分の姿と、真っ白な顔の女の子たちを比較したが、そんなに似てないと思った。

「お母さん、これ怖い」

 カイの足元で、小さな男の子が人形を睨みつけた。連れの母親は適当に相槌をして、男の子の手を引っぱって行こうとする。その瞬間、

「!」

 カイはガラスケースに伸ばしていた手を引っ込めた。男の子は母親に連れられて人混みに紛れていった。

 引き戻した右手を胸元で抱え込むカイを、フウトは黙って見ていた。カイは目を伏せたままフウトの方を見た。

「俺たちは誰にも見えてないよ」

 母親が男の子を掴まえようと伸ばした手はカイの右手をすり抜けたのだった。ガラスケースに反射する自分を、カイはもう一度確認した。

「……幽霊みたい」

「たしかに」

「わたし、死んじゃったんですか」

「死んだというか何というか」

 小さく震えるカイの肩に、フウトがぽんと手をのせた。

「とりあえずそこの建物に入ろう。外寒いし」

 二人は商店と道を挟んだ反対側にある喫茶店へと歩いた。



「いらっしゃいませ……」

 店の入り口に取りつけた鈴が鳴ったので、店主はいつものようにそう言ったが、扉のほうには誰の姿も見えなかった。小皿を拭く手を止めたまま、店主は首を傾げた。

「いいんですか」

 店主の前を横切りながらカイが訊ねた。

「問題なし」

 カイの前を行くフウトは店の奥の席に腰を下ろし、テーブルの横に器用に傘を引っ掛けた。

「カイ、これつけて」

 食器の手入れを再開した店主の方を見ながら椅子に座るカイに、フウトは手を差し出した。中指に鈍く輝くシルバーの指輪がはめられていて、手の中にそれと同じものが握られていた。

 受け取ったリングをしげしげと観察するカイ。彼女をよそにフウトはテーブルの上に置いてあるベルを鳴らした。

 カウンターから店の奥の席まで、メモ帳を片手に店主がやって来た。

「紅茶2つ」

「……ワンサイズ上のカップがありますが」

「2つで」

 店主はメモ帳から顔を上げ、眉をひそめた。

「お客さん、いつ入ってこられました?」

「さっきです」

 肩越しにフウトを見つめたまま、店主はカウンターの方へ去っていった。

 カイは不思議そうにフウトの顔を見つめていた。

「その指輪をつけると、ほかの世界の人たちが俺たちを認識するようになる」

 カイはしばらく指輪をひっくり返したり店の照明にかざしてみたりしてから、慎重な手つきで左手の中指にリングを通した。

 再び店主があらわれ、カイの姿を見るとぎょっとした。プレートの上に載ったカップが揺れて紅茶がすこしこぼれた。

「……紅茶2つです」

 店主はカップのふちについた水滴を拭き取り、憮然とした表情のまま向こうに消えていった。

「今の君は、生きてるとか死んでるとか、そういう概念の外側にいるんだ」

 フウトは紅茶をすこし啜って、カップを持ったまま続けた。

「本来、生命は寿命をむかえると魂が抜けて、別の肉体つまり新しい生命に宿る。でも、時々その連鎖から外れちゃう時があって、そうした魂がたどり着く場所があの浮いた島の世界で……って、俺も受け売りで語ってるからよく分かってないんだけど――」

 あははと笑うフウトは、カップの上の水面を見つめたまま動かないカイの目からぽろぽろと涙が流れているのを見て、慌てて自分のカップを置いた。

「ちょ、ごめんごめん、悪かった。わけわからないままいきなり連れまわされて、こんなこと言われたらこわいよな」

 フウトはふところからハンカチというには簡素すぎる布切れを差し出した。

「だから、生きてはないけど、死んでもいない。君は今、魂だけが宙に浮かんだままの状態なんだ」

 カイは涙の跡をフウトから受け取った四角く折りたたんだ小さな布で拭いた。

「……わたし、これからどうしたらいいんですか」

「そう、そのために君を連れてきたんだ」

 フウトはテーブルの中央に分厚い冊子を広げた。そこには、小さく細かい字がびっしりと書き込まれていた。

「これはなんですか」

「人の名前・年齢・性格・住んでるところ・希望していることをいっぱい書いたノート」

「どうしてこんなものを?」

「これが俺たちの仕事。俺たちみたいに、魂が宙ぶらりんになってしまわないよう、人々を管理する。魂の連鎖から外れてしまいそうな人を、別の世界へ導いてあげるんだ」





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