第3話 落ちてきた少女

 フウトは寝転がっていた。空は青くて高く、背にした草原は風に揺れていた。隣には彼の仕事のあれこれが書き込まれた、ノートと呼ぶには分厚すぎる帳面が放られていた。

 フウトはただぼうっと空を見上げていた。今日中にこなすべき任務をベルペトから二、三与えられているはずだったが、一羽の鳥も飛ばない変わり映えのない景色を眺めるばかりだった。

「……だるい」

 彼の口から漏れた気だるい呟きは、風の音にかき消された。

 空の世界にはいくつもの浮島が漂っていた。地球から大地を引きはがして空に放り投げたものが、重力の微細な影響により空に留まっているのだと教えられたが、一体誰がそんなことをしたのかというフウトの問いに、その人は答えなかった。

 浮いた地表は、それぞれ別々の場所由来のものと思われた。大きな樹が中心に植わったもの、朽ちた神殿が島の底から突き出すもの、真っ赤で固い土の塊のようなもの。フウトが背を預けている場所は、黒い山を切り出した草原地帯で、お気に入りの場所だった。

「ん?」

 フウトは妙な寒さを覚えた。胸から顔にかけて、日の光が遮られた感じだ。長い睫毛をぱかりと分けると、上空に黒い影が見えた。

 体を起こし、降り注ぐ光を片手で遮りながら、空に目を凝らす。少しづつ大きくなる黒い塊は、そのうち人の形をしていると分かった。

 質量を感じさせないほど、ゆっくり時間をかけて降りてくるのを、フウトはじっと見つめていた。草原の中の小さな花畑に着地したので、フウトはさくさく草を踏みならし、傍へ駆け寄った。そこには、白い装束に身を包んだ少女がいた。上から覗き込むと、少女は手を胸の上で重ねて眠っていた。

「大丈夫?」

 フウトが顔を近づけると、少女は薄く目を開けた。彼女は起き上がり、ぼんやり辺りを見回した。

「ここは?」

 少女はフウトを虚ろな瞳で見つめた。黒い髪が顎までの長さで揃っていて、フウトはトーキョーで見た日本人形を思い出した。

「空の上の雲を突き破った、それよりもっと上だよ」

 少女は首を傾げた。

「天国みたいな地獄みたいな。そのどっちとも言えるところかな」

 フウトはそう言って笑った。

「自分の名前、分かる?」

 彼女はぼーっとフウトのうしろの空間を見つめ、さらにしばらくぼーっとうつむいたまま、

「カイ」

「お、名前覚えてるのか。珍しいな」

 フウトはまた笑った。

「カイ。細かいことはベルさんが来てからどうにかするとして、とりあえずおれについてきてよ。1人でここに置いては行けないし」

 フウトはカイの手首を掴んで立ち上がった。駆け出す彼に引っ張られて、カイはおぼつかない足取りで白い花を踏み散らす。

「どこへ行くの?」

 カイは遠くの光景にきょろきょろと首を回す。空に浮かんだいくつもの島が、彼女の黒い瞳に反射する。

「雲の下。カイのこと、見たことあるんだよ、そこで」

 手を引かれるまましばらく走っていたカイは、まわりの景色に気を取られ前方の崖に全く注意してなかった。突然彼女の足元から地に立つ感覚が失われ、重力が彼女を眼下の雲までぐんぐんと引っ張っていった。

「手、離さないでよ。はぐれたら探すの大変だから!」

 風を切り裂く音に負けないよう、フウトは大声で言った。二人は頭から雲の中へ突っ込んでいった。

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