第43話「動け、雷神」
上から見下ろしている
しかし見上げる立場にある
亜紀は思わさず後ずさった。
「逃げ――」
だが叫ぼうとした亜紀の腕を、両脇から八頭とベクターフィールドが抱え込む。
既に走り出しているアズマが叫ぶ。
「逃げるなら前だよ！」
てこの原理、
そして何より、前へ行く理由はベクターフィールドの喉から声として
「勝機は
人一人分とはいえ、小柄な――亜紀の身長は１４７センチ――女性一人を大の男が二人で抱え込んでいるのだから、掌部分から逃げ出せば済む距離は回避できる。
ただし回避は回避に過ぎない。
回避したところで、ベクターフィールドは亜紀を放り出した。
「自分で立て！」
そして何より、地面に叩きつけた巨人の手は、まるで腐った果実を叩きつけたかの様に飛沫を飛び散らせ、その飛沫がひとつひとつ霊となって分裂してくるのだから、亜紀を抱えていては戦えない。
状況は
振り向きざまに剣を横一線に放ったベクターフィールドは、剣を振り抜いた勢いで前進する。右腕を大きく外へ振り抜いた反動で左足を踏み込ませ、今度は左腕を引く反動で右腕を裂き戻す。
斜めからの切り上げに転じさせ、右足の踏み込みと同時に切っ先が頂点に達するタイミングで両手持ちにし、真っ向から唐竹割りに振り下ろす。
手首を返して逆袈裟、そして突き――。
その全ての攻撃一発で２、３体の霊を斬り伏せる動きは、理に適ったものとはいい難いが、反射神経で全てを
当然、挟まれている状態であるから、背後からも襲いかかってくる霊がいるが、ベクターフィールドは止まらない。
「割と得意なんだぜ」
身体は半回転させ、切っ先は一回転させる。剣道や剣術、フェンシングの型や定石ではないが、有効打突面が「全身」だと捉えた場合、ベクターフィールドの動きもよく研ぎ澄まされている。
ベクターフィールドが技術の根底に持っているもの極みだ。
「
ベクターフィールドのベースはスポーツチャンバラ。どこを打ってもいいが、どこを打たれてもダメというルールに特化すれば、敵に制せられない腕になる。
とはいえ、状況は多勢に無勢。
八頭も、縦横に剣を振るい、獅子奮迅の働きであるが、目まぐるしく変わる状況と、何より慣れないベクターフィールドとの共闘に消耗させられていく。
――前後はヤバイ！
いつからか、八頭は
巨人が踏み付ける、また殴りつける度に霊がこぼれ落ちてくる。計算の上では、この巨人の身体を構成する霊は有限であり、全員を斬り捨てれば勝ちなのだが、飽くまでも計算上の事だ。
背中合わせになった一瞬、ベクターフィールドは八頭に告げる。
「泣き言か？」
挑発する様な言葉だが、その言葉自体はベクターフィールド自身へも向けられていた。
ベクターフィールドも本心では、八頭の頭を過ったものが泣き言や弱音ではないと思っている。八頭が亜紀を庇う立ち回りをしてくれているからこそ、ベクターフィールドは攻めに向かえるのだ。
今、八頭が崩れれば、一気に押し切られる。だから挑発し、プライドを刺激した。
亜紀も警棒を手に八頭と連携して動いているが、経験不足が顔を覗かせている。手応えらしい手応えがない事に困惑し、行動に迷いが混ざってしまう。
最後の一匹に、ベクターフィールドは視線を向けた。
――動け、雷神！
亜紀の足下でウロウロしているアズマが操る稲妻は静電気の塊であり、霊に対して必殺の威力を秘めている。それを自在に操れる存在であるアズマは、この状況で最大の戦力を持っているはずなのだ。
だがアズマは動けない。
人間に比べれば長寿であるが、アズマは幼いのだ。
それをわかっている八頭は、ベクターフィールドの視線を遮るように霊へと切り込んでいく。
――お前が動け、魔王！
無言の抗議。そして自らが範を示すよう戦う。
「……ッ！」
八頭は無言で剣を振って亜紀の死角を埋め、ベクターフィールドを攻勢に回らせる。
――まだ何かあるんだろ！？
八頭はベクターフィールドにこそ手段があるという。魔王などと大層な名前を持っているのだから、戦闘方法が剣を振り回すだけのはずがない、という言葉を込めた視線だ。
しかし八頭の視線に気付いても、ベクターフィールドのした事は、チッチと二度、舌打ちするくらい。
「あるぜ。あるけどな――」
事実、ベクターフィールドは大きな力を隠し持っている。だが大きければ大きいだけ、制御も発動も難しく、考えなしで使えるものではない。
二人の間に流れる不協和音。それを掻き消してしまうかのように巨人が吠える。
「おおおおお」
それは逃げ回る害虫を潰し損なう苛立ちにも聞こえた。
それは上から見下ろしている土師も同じ。
「潰せないなら、殺虫剤でも使えばいい」
見下ろすという環境的な問題で、何もかもが緩慢に見えている。ベクターフィールドも八頭も、少し素早く手足を振れば潰せるようにしか見えない程度に。
土師に命じられるままに、巨人は行動を買えた。
「げ……げーッ！」
嘔吐。その
「畜生、物質霊か！」
頭上から襲い来るのは弾丸か石か、兎に角、小さなものが大量にバラ
ベクターフィールドは逃げに転じたが、亜紀は……、
「！？」
背中を突き飛ばされた衝撃に顔を
八頭が、自分でも分からない声を発せられていた。
「――」
降り注いだ攻撃は下へ行くずつ広がるのだから、全身を包んでしまうような範囲にならなかった事だけは幸運だろうか。
酷くスローモーションに見えてしまう八頭の視界には、今、突き飛ばした亜紀の背中が。
――あぁ、やっちまったな。
そう思った。
だが八頭は思う。
――庇うだろう、普通。
そういうメンタリティだからこそ、非正規の死神などをやっている。不条理な事ばかりで、理不尽な事しかないような仕事を続けているのは、
――今夜の事なんだ。今夜の。
生涯最高の高みに達したと感じられた、初めて報われるはずの仕事に出会えた夜に、庇える者を庇わずに逃げ出す選択肢など、八頭にあろうハズがないではないか！
衝撃と激痛は続けざまに来た。
八頭からは悲鳴もあがらず、寧ろアズマが悲鳴をあげさせられる。
「八頭さん！？」
悲痛に叫ぶアズマの眼前で、八頭は静かに崩れ落ちた。
「八頭さん！ ヤだよ、八頭さん！」
アズマの叫び声に「異物」が混じる。
「やっと一匹」
土師の声だ。
当然、喜びはない。夜中に不潔な台所を這いずり回る害虫に等しい四匹が、やっと一匹消えてくれた程度の事なのだから。
土師の目では、八頭の急所を貫き即死させたかどうかは確認できないが、戦闘不能になった事は間違いない。
形勢逆転だ。
八頭が倒れた今、ベクターフィールドだけでは押し切られてしまう。
「甘粕、もう逃げろ！」
自分の愛車まで走れとベクターフィールドが怒鳴る。亜紀を庇いながらの戦闘など、ベクターフィールドには無理だ。
「……」
亜紀は動けなかった。
しかし思考が停止したのではない。
アズマの姿だ。
赤い輝きを帯び始めた姿に目を奪われたからだ。
銀髪を赤く染め、吾妻がキッと顔を上げる。
「ボクは……」
声を震わせるアズマに、最早、迷いは振り切った。
「もう逃げない！ ボクも戦う！」
この世に相応しくない
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