第41話「午前3時へ向かう攻防」

 およそ20分前、八頭やず亜紀あき賭け・・に出た。


 亜紀が突破方法を思い付いたからである。


「この霊が追い掛けているのが、八頭さんだけだとしたら?」


 土師はじを明確に敵だと捉えているのは魔王ベクターフィールドと、非正規の死神である八頭の二人のはず。八頭は冥府からの支援を受けられない事を土師が知っているか知らないでいるかは兎も角として、戦力になるのは二人だけ。


「なら、私はひょっとしたら抜け出せませんか?」


 一人で離脱するのは危険な賭である。剣道と柔道をたしなむ亜紀は、決して弱くはない。弱くはないが、霊との戦いは経験不足。追撃された場合、効果的な反撃ができないし、優先順位の付け方も知らない。


 しかし本当に八頭しか追い掛けられていないとしたら、亜紀は離脱する事ができる。


 できるが、八頭は頼むのを躊躇ためらう。


「その賭けは、ちょっと」


 賭けに敗れた時、対価を支払うのが自分だけならば乗るのも悪くないが、賭けの代価が亜紀の命というのでは、やれという決断は不可能だ。


 しかし亜紀も、このままでは足止めが各個撃破に変わってしまうと分かっているのだから押し切る。賭けに破れても、賭けなくとも、同じく危険だ。


「家が近いんです。2キロ弱。私が走って、車を取ってこられれば、一気に突破できます」


 本当に霊が亜紀を追っていないなら、亜紀の足は2キロを10分で走れる。警察官は10キロのロードワークに耐えられる訓練が常識なのだから。


 10分で自宅、5分でここに車を運び、それを使って5分で目的の港――霊を排除しながら進むよりも格段に速く、安全な手になる。同じく危険でも、この方法はリターンが大きい。


 亜紀は八頭の決断を待たなかった。


「行きます!」


 それは向こう見ずな性格ではなく、優しさ・・・。八頭に亜紀が犠牲になる決断ができるはずがない事くらい容易に悟れる。それは八頭が優柔不断だからではなく、優しいからだ。



 ならば実行するのは、亜紀なりの気遣いである。



 亜紀が背後を気にしたのは一瞬だけ。八頭は立ち位置を変え、亜紀から引き離す様に動いていた。


 剣を構え、攻めの姿勢を取る八頭。脳裏には先代・・の言葉が蘇ってくる。


 ――理不尽な事が多い仕事だけど、報われる時もあるから……。


 非正規の死神は理不尽な仕事ばかりだ。誰だって寿命など受け入りたくはないし、犯罪者など守りたいとは思わない。


 冥府は「この世で起こった事は、この世で生きている者が解決しなければならない」という言葉を拡大解釈し、八頭の様に人間を非常時のみ非正規の死神として招集する。仕事は何の保証もない危険なものだ。


 誰に拍手されるでもない――報われない、寧ろ恨まれるような仕事ばかり。


 必要な仕事かも知れないが、報われる事などなかったが、今、八頭は先代の言葉を実感できた。



 呪術師に奴隷のような扱いを受ける少女の魂を取り戻すために動いている。



 確かに、これも誰かに拍手してもらえる訳ではなかろうが、必要で報われるはずの仕事だ。八頭も冥府から見て自殺が決して軽い罪でないくらいは知っているが、魂を保持したまま黄泉に下れば、そそげない罪にはなるまい。


 縦横に振るう剣に重さを感じない。通常、30分も動き続ければ限界を迎えるが、今、八頭は自分の剣に神懸かった冴えを自覚している。


「生涯最高の高み……かも知れないな!」



***



 果たして八頭と亜紀は、賭に勝った。


 土師が標的としていたのはベクターフィールドと八頭の二人だった。亜紀は所詮は人間と断じていたのである。


 息切れもそのままに発車させた亜紀の愛車は軽自動車だが、それこそ八頭と意気投合した時の言葉通りだ。


 ――車は50馬力もあれば走るし、100馬力もあればスピード出せる!


 ターボを搭載して尚64PSに過ぎないが、それでも床まで踏めばそれなりの腕を必要とするスピードを発揮した。


 すぐにでも飛びださしていけるように、と開け放ったメタルトップの屋根から潮風が感じられるようになったところで、八頭はウォーターフロントに立つホテルに目を向ける。


「ホテル・グレイシャスっていってましたか?」


 八頭が見つめる18階建てのホテルへ、亜紀も目を細めた。決戦の場所では、今、亜紀と絶対の契約を結んだ魔王が戦っているはず。


「ベクターフィールドは、まだマークできてるでしょうか?」


 ハンドルを握る亜紀の声には、軽い焦りがある。ベクターフィールドとの連絡が取れなくなって、もう30分以上が経過しているのだ。ベクターフィールドが敗北する姿は想像できないが、現実で絶対無敵は有り得ない。


 焦りは八頭にもうつる。


 ――俺のクーペを潰されなければ、もっと早く到着できたな……。


 八頭もそれを考えてしまうが、こればかりは仕方がない。


 悔やんでも戻らない時間ならば、切り捨ててて考える――亜紀はそういう気持ちを言葉に載せ、真っ直ぐ前方を指さした。


「あそこ!」


 多目的広場の近くに放置されている白いクーペだ。


「ベクターフィールドの車です!」


 亜紀の隣で、八頭は静かに緊張感を張り直す。


 ――やるしかないんだ!


 緊張感が八頭の聴覚を研ぎ澄ませた訳ではないだろうが、その耳に第三者の声が聞こえてきた。



「ようこそ」



 その一言は、本当に必要だっただろうか?


 聞き覚えのない声であったが、八頭にも亜紀にもわかる。



 敵だ。



 唐突に飛んできた声には、亜紀がブレーキを踏みそうになってしまう。


 ――違う!


 だが亜紀は、踏みそうになる衝動をこらえた。


 ――足止めさせられるところだった!


 ここで停車してしまっては、また各個撃破を狙われる。戻してしまったアクセルをもう一度、踏み、亜紀は助手席の八頭へいう。


「ベクターフィールドとの合流を優先します!」


 正確な位置は分からないが、愛車に近づいていく車があればベクターフィールドが気付くはずだ。


「はい」


 八頭は抱くようにして持っていた剣を持ち直し、いつでも飛びだす覚悟を決める。


 そんな二人を、微笑ましいとばかりに土師は笑う。


「10年以上、前かしら」


 警戒を強める二人に対し、土師の言葉は続いた。


「仕事ができるとは思わずに生きてきた。それが唐突に、割とそうでもないと気付いた」


 主語を省略しているのでは、八頭も亜紀も何をいっているのか分からないが、土師も理解させようと思って話しているのではない。


「解き放たれた。開花した。そこそこ使えるタイプだと」


 独白でもなく、ただ亜紀と八頭に言葉を向け、スピードを緩ませようとしている。


「私はかなり行けるのだと」


 わらいが混じった。


「そう思っていなくちゃ、やっていられないことだらけ」


 嗤いは嘲笑で、それを向けている相手は主に八頭か。


 知っている事を告げている。


 八頭が表でどういう仕事をしているのかを。


「ここは社会であって、学校ではない」


 幼児に話し掛けるように声をかけてもらえる仕事など、ある訳がない、とはストレスを抱える八頭への挑発だ。八頭も思わず乗ってしまう。


「知っている!」


 言い返した八頭の声は、思わず出してしまったという風で、だからこそ亜紀が冷静さを保っていてくれる。


「八頭さん、落ち着いて下さい!」


 土師は会話をしたい訳ではない。



 叩き潰してやりたいだけだ。



 言葉でも、戦闘でも。明確な意思を、土師は声に託した。


「合流でも何でもなさい。もう、何でもいいわ」


 その声はベクターフィールドへも向けている。


 そして土師の目は、疾駆する亜紀の愛車から外された。


しょうもない・・・・・・


 またしても主語が省略された土師の言葉は、憎悪が沸き立たせた怒りに溢れている。


 だからベクターフィールドと八頭の目を強制的に上へ向けさせる力があった。何をしょうもないといっているかなど、考えるまでもなく明白。集まった三人と一匹の存在だ。


祝え・・!」


 土師は自身が持つ全ての霊を解放する。



 才能の発露はつろを祝福するために現れ出でるのは巨人。



 その肉体は、刑死者・・・戦死者・・・自殺者・・・によって構成されていた。


「祝え! 祝う事でお前たちの怨念は救済される」


 土師の才能を祝うという事は、より多くの人間を仲間に加える――より多くの死をもたらすという事。


 八頭が剣を抜き、座席から起ち上がる。


「止めて! 降ります!」


 しかし亜紀には、八頭の姿が無謀にしか見えない。


「あれを相手に、何をどうするんですか!?」


 亜紀は目を何度もしばたたかせていた。貫通させるか両断すれば斃せるという事は分かったが、眼前の巨人――4階建てのビルと同じ大きさの巨体では、八頭の剣は、余りにも頼りない。


 だが八頭は、無理ではないと思っているから剣を抜いている。


「巨人なら無理ですよ」


 八頭の態度が強がりだとしても。


「でも、霊がひとり一人、手を繋いで巨体になってるんなら、何とかなるかも知れません」


 何万人分の霊が集まってできたのか分からないが、他に方法がないならば、やるだけだ。


 覚悟はしている――八頭も、ベクターフィールドも。


「千人斬りでも万人斬りでも、するしかないぜ!」


 ベクターフィールドが先陣を切って剣を振るった。


「おおお……」


 巨人は三人を見下ろして、頭上から巨大な手を振りあげる。害虫でも叩き潰すかの様に。

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