第40話「殺人鬼の羨望」

 果たして冥府は、どれくらいの時間でベクターフィールドとクリスが交戦している事を察知するか?


 それは誰にも正確な数字は出せない。


 現実の警察も、乱闘事件には通報で駆けつける事がほとんどで、パトロール中に発見するというのは稀な事態だ。冥府は所属する死神の数こそ多いが、管轄かんかつしている規模も県警レベルではなく、また通報してくれる市民は有り得ない。


 ベクターフィールドも、それは心得たもの。死神がやってくるのは数分後かも知れないし、数時間経ってもやってこない事も有り得る。お役所仕事・・・・・など、その程度だと思っているし、第一、冥府の事を気にしながら戦うのは愚者の仕業だ。


 スマートフォンもドアが一枚、吹き飛ばされた状態の愛車に置かれたまま、亜紀と八頭の所在は未確認。確認できれば、ここから車ならば5分、走れば15分という所にいるとわかるのだが。ただし二人も愛車を失って徒歩で向うしかない状況では、戦いながらになる。到着は一時間後か、二時間後か。


 それら確かめられない事を、ベクターフィールドは思考から追い出した。


 ――今、こっちだな!


 クリスと相対しているベクターフィールドは、いつ来るか分からない二人の到着を待つという選択肢は採らないし、採れない。


 多目的広場はイベントスペースでもあるため、モニュメントがそこかしこにある。


 それの間を、まるで小動物のようにクリスは移動しながら攻撃を繰り出していた。


 ――ちょこまかと!


 膂力りょりょくを頼りに剣を振るうベクターフィールドにとって、縦横の出入り・・・ともいうべき動きは苦手な部類に入る。


 クリスの表情は余人に心情を読ませない。



 だがこの時、クリスは口の端を吊り上げて笑った様な顔になっていたはずだ。



 ――これだ! これだ!


 笑みの下で、クリスは同じ言葉を繰り返していた。


 霊は嫌という程、相手にしてきたが、悪魔を相手にした事はなかった、という経験だけが思わせているのではない。


 ――あの時の子供が、こうなるか!


 もう一度、ベクターフィールドへ刃を向けられる事に、笑みをこぼしてしまっている。自分が手にかけた相手を全て憶えているクリスは、ベクターフィールドの事も憶えていた。


 あの時は命を差し出すしかない程、絶望していた子供が、今、偉丈夫となって眼前に現れた事ならば、クリスは然程、驚いていない。「そういう事」くらいにしか思えないタチだ。


 だが反撃してくるとなれば、話は別である。


 クリスは面白いと思う。人が生き残る手段を考え、講じてくるのだから。


 ――だから俺は、うらやましい。


 狂人のクリスには、この復讐ができない。様々なものが欠けてしまっている。


 その欠損・・を感じ取れてしまうからこそ、ベクターフィールドは内心で毒づいていた。


 ――こいつが悪魔になったら、速攻で魔王になるだろうぜ!


 クリスのナイフを凌ぎながら、ベクターフィールドは歯軋りする。



 ――感情が欠落してやがる!



 これが手強い理由であるかどうか、判断できない事が、ベクターフィールドの弱点といえる。


 軍隊に籍を置いていた事もあるクリスだからこそ、常に止まらずにオブジェやモニュメントを盾に動けているのだが、実のところ感情の欠如は兵士として大きなマイナスだった。


 戦場で最も役に立つ兵士とは、帰宅すればよき父、よき兄、よき息子、よき隣人である者だ。


 敵を殺すために撃つのではなく、味方を守るため、愛する家族、友人の元へ帰るために撃てる者しか戦場では役に立たない。


 クリスも、それを自覚していた。それこそ軍に入った直後から、自分がいていい場所ではないと自覚した程に。


 クリスが持っていない感情は、ベクターフィールドと同じく哀。故にクリスは、ベクターフィールドと噛みあっていると感じている。


「なるほどな」


 ベクターフィールドの動きの変化がクリスに呟かせた。


 クリスの胸に去来した確信は、自分の欠落に気付いた二人目が現れたというものだった。



 二人目・・・



 不意に蘇る一人目の女から贈られた言葉。


 ――いつも心を穏やかに。


 誰とも馴染めなかった幼少期を過ごした、孤児院の院長だ。


 ――人の役に立つ事をしなさい。


 イタリアでは社会問題となった愛情遮断症候群に向かい合う女性であったとは思う。


 愛する対象を喪失した孤児は、往々にして感情や情緒の表現ができなくなるという問題に対し、彼女は自らが先頭に立ち、主として子供達の世話をした。職員は存在するが、職員一人が見られる子供の数にも、時間にも制限があるのだから、自らが中心になる事で環境の不十分さ、子供の不慣れさを解決しようとした。


 だから彼女は気付いた。


 クリスは決定的に何かが欠落している、と。


 だが院長は見誤ってしまう。


 クリスは悪感情・・・が強いのではなかったからだ。


 一人目は最終的に見誤ったが、ベクターフィールドはどうだ? とクリスは目を細めた。


 ――お前は今、何を求めている?


 クリスの中にはベクターフィールドへ懐いている感情がある。


 そもそもクリスは今まで、ただ殺人を目的として他人に近づいた事などなかった。


 クリスは常に人の悩みを聞き、本人が出した結論が「消えてしまいたい」や「死んでしまいたい」だった時だけ、相手の命を奪ってきた。


 いつも心を穏やかに・・・・・・・・・――親身に話を聞いた。


 人の役に立つ事をしなさい・・・・・・・・・・・・――相手が自ら出した結論を手伝った。



 そこにあった感情は、どれだけ常識からかけ離れた行動に繋がったとしても、悪感情ではなかった。



 妹がいなくなればいい、自分も消えてしまいたいといった女を殺した。


 イジメに耐えられない、この世に居場所がないといった子供を狙った。


 逆恨みから自殺に追い込み、大切な家族を泣かした犯罪者だから始末した。


「はははッ」


 思わず笑ってしまうクリスは、命についての執着心が明らかに欠如している。命を狙われた呪術師でも、一言二言でもう一度、手を結ぶのは、クリスは自分自身の命すらも価値を見出せていないからだ。


 ――命を捨ててもいいといいながら、必死に抵抗する。かと思えばあっさりと投げ出す。人それぞれ持っている価値観、感情がまるで違う。



 クリスが面白いと思うのは、命を奪う事ではなく、投げ出したいといった相手の情動だ。



 ――俺は狂っている・・・・・・・


 クリスは自覚している。


 自身の死などどうでもいい。


 復讐しなければこの世にいられないというのであれば、殺されてやるのも一興だ。


 だが抵抗はしよう。


 犯人をゴミクズと扱いたいのであれば、クリスは往生際悪く抵抗する。


 霊として形を変えた生を与えてくれるのであれば、それでもいい。


 ――狂っているから。


 クリスが抱える宿痾しゅくあ


 ――正常な人間が羨ましくて仕方がない・・・・・・・・・・・・・・・・

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