Rising -雷神×死神/喪女×魔王-
玉椿 沢
第1章「喪女の婦警・甘粕亜紀と名ばかり管理職の魔王・ベクターフィールド」
第1話「喪女と魔王の昼食」
似たような言葉だが、意味の違う言葉、対象の違う言葉がある。
召喚とは自分と同等か下位の者に対して用いる単語で、降臨とは自分よりも上位の者に対して用いる単語だ。
即ち神は降臨せれど、召喚されない。
召喚されるのは、常に人間の下位にいる存在――つまり悪魔のような存在だけ。
その日、
例え魔王を名乗っていても。
「ヨッド・ハー・ヴァル・ハー」
教えられた呪文を唱えると、床に描かれた魔方陣に光が灯り――、
「……」
しかし呼び出された魔王ベクターフィールドは、大盛りご飯の茶碗と箸で掴んだトンカツを手に、呆然とした顔をしていた。
「……戻せェェェ!」
それが魔王を名乗る男の第一声。
「自分が昼飯、食べてないからって、人が食べてないとは限らないだろ!」
何という言い草であろうか。しかし190センチに届く長身ながら、短髪の黒髪を軽くアップさせた髪型のベクターフィールドは、魔王という言葉から受ける印象とは真逆。豪奢な衣装も禍々しい風貌とも無縁である。
故に亜紀も、恐縮はするが、恐怖は抱かない。
「ごめんなさい。でも時と場合を選んでいる場合じゃなくて……」
そもそも相手の事情を考慮していてはできないのが、召喚である。とはいえ、ベクターフィールドもベクターフィールドで意外としかいいようのない言葉を繰り返す。
「もーどーせー。まだ食べ終わってないし、お金も払ってないんだよ!」
「悪魔のくせに、何でそんな事、気にするの?」
亜紀も意外だ。悪魔が無銭飲食を気にするのだから。
しかしベクターフィールドの役割からすれば当然の事でもある。
「俺は契約を司る悪魔だぜ。そんな俺が対価を支払わないなんて有り得ねェだろ」
ベクターフィールドは力説するが、言葉から受ける印象は一つしかない。
「……名ばかり管理職」
ここまで怒鳴り続けられれば、亜紀の心証も悪くなると言うものだ。
「……とりあえず、俺を店に戻せ。そこで話そうぜ」
ベクターフィールドの言葉に従い、亜紀はもう一度、魔方陣に光を灯した。
***
ベクターフィールドが昼食を取っている店は、郊外にある食堂だった。看板メニューであるトンカツを中心に、コロッケ、ミックスフライなどの揚げ物だけで30年近く営業を続けているのだから名店といえる。
カウンター席とテーブル席を合わせて20人少々で満席になる店内は、窓を大きくしてあるから明るく、内装も温かみのある木調で、女性の一人客が多いのも特徴だ。
そんな店だから、亜紀も入りやすい。
「あー、来た来た」
味噌汁とご飯をお替わりしたベクターフィールドが、テーブル席から手を振っていた。
そんなベクターフィールドに対し、亜紀は一度、溜息を吐いてから向かいに座る。
「ミックスフライ定食、お願いします」
あまり食事をしながら話したい事ではないが、座っているだけと言うのは変な話で、亜紀も遅い昼食を注文した。
「はーい」
注文を取っている中年女は、実に愛想がいい。ニコニコした笑顔で厨房へ注文を伝えると、調理している店主が「あいよ」と威勢のいい声を発する。
そんな雰囲気が、幾分、ベクターフィールドの気持ちを軽くするのだから、やはりこの男、「魔王」という肩書き通りの印象などない。
「で、俺が呼び出される厄介事は、何だい?」
トンカツに自家製ソースと七味を加えつつ、ベクターフィールドは亜紀の顔を見遣った。
***
ドラマが好きだった父親の影響だろうか、亜紀は子供の頃から「刑事」という仕事に憧れていた。洒落た台詞と見栄えのいいアクション、サングラス、スーツ、「高級」と括弧書きするようなスポーツカーの世界は、女児に相応しい世界ではないが、兎に角、亜紀はその世界にハマった。
しかし現実に銃を撃つような仕事があろうはずもなく、高校を卒業してすぐに奉職した亜紀の仕事は防犯課少年班だった。
その仕事で一番、時間を使うのは、書類の作成だというのは皮肉な事かも知れない。
――他という字には、常用漢字表に「ほか」という読み方はない。
そんな文言の修正が殆どというのも、亜紀の精神を削っていく。だが、そういったミスに対し、必ず「でも」と言う亜紀につけられた不名誉なあだ名が、ショートボブの髪型と小柄な身体から「毒キノコ」だった。
当然、彼氏などいた事がなく、その日もスーパーで値引きのシールが貼られた弁当を買い、寝るためだけに帰る一人暮らしのアパートへと、トボトボと歩いていた時である。
見てしまった。
高校の制服を着た女子生徒が、スーツ姿の中年サラリーマンとブティックホテルへと入っていく光景を。
――放っとく訳にも行かないか。
未成年者の非行は職務の
「警察ですけど、今、入っていったカップルの部屋は?」
警察手帳を見せた亜紀は、受付の女に案内させた。
「商売でも、あからさまなカップルの入室は断って下さい」
こんな事を言うのも煙たがられる理由であるが、本人に自覚はない。
――現行犯とか勘弁してね。
解錠してもらったドアを開ける亜紀は、内心、いかがわしい事が行われていない事を祈る。
そうして見た室内では、幸い、そのような事はなかった。
ただし想像を絶する光景があったが。
「え……?」
目を疑いたくなる程、荒れに荒れていた。
――椅子で殴りつけた?
凹んだ壁と、その下に落ちている椅子の残骸に、亜紀は眉を潜める。最近のブティックホテルであるから、少々の音は漏れない構造が災いした形だ。
灯りの点いていない部屋に、亜紀は警戒心を強くする。
浅くなろうとする呼吸を、意識的に深くした時だった。
「来るなァッ!」
心臓が飛び出すかと思う程、亜紀を驚かせた叫び声は、窓際から聞こえてきた。
振り向けば制服姿の女子がいる。
「来るなァッ!」
女子がもう一度、叫び、錯乱した様子で手にした椅子を振り回す。
「落ち着いて! 私は――」
亜紀が呼びかけても治まらない。
その内、手にしていた椅子は窓を叩き割り、女子は窓の外へ身を躍らせていた。
「待って!」
伸ばした亜紀の手が届く暇などない。
***
「それは大変だったようで」
ベクターフィールドが目を
「結局、3階からの転落だったから、女の子は……重体だけど怪我で済んだ。意識が戻り次第、事情を聞くって方向らしい」
味噌汁を
「らしい?」
「上は、非番の私が、そんな現場に居合わせた事を問題視したの」
これは防犯課の仕事ではなく刑事課の仕事だ、と言われたのは、この午前中の事だ。今は現場を離れ、資料整理を命じられている。
「資料整理なんて仕事、本当にあるんだな」
「そこじゃないから。大事な所は」
亜紀の口調には苛立ちが含まれていた。
「その資料整理をしていたら、似たようなのがいっぱい出て来たの」
ここ最近、未成年者の自殺、事故、失踪の数が増えている。単に自分が見てしまった光景とダブったため、多く感じているのではない。記録と統計は客観的だ。
「一ヶ月で11人。異常な数よ」
「……手伝え、か?」
ベクターフィールドが小首を傾げ、片方の眉を吊り上げて挑発的な顔をするが、亜紀はそんな相手を真っ直ぐに見据え、
「私が、こんな調査をする時、何をおいても協力する事――そう言う
ベクターフィールドとの契約は、亜紀が必要だと思った事件に関して、全ての能力を使って協力する事。
「珍しい事を言う奴だと思ってたが、実際は厄介だぜ」
ベクターフィールドは態とらしく鼻を鳴らした。
「サングラスもスーツもないし、お互いダンディーでもなけりゃセクシーでもないけど、まぁ、コンビで動くか」
しかしニヒルな顔は続かない。
「ほい、おまけ」
横から店主の手が伸びて来て、ベクターフィールドの前へミックスフライが置かれたからだ。
「お、いいの?」
ベクターフィールドが顔を上げると、店主はニッと味噌っ歯を見せて笑い、
「米粒一つ残さずに食ってるのを見ると気分がいいねェ。食べてくれ」
大盛りのご飯を平らげ、付け合わせのキャベツすらも完食したベクターフィールドだからこそ、と店主は言った。
「ごちそうになります!」
パンッと音を立てて手を合わせたベクターフィールドに、亜紀はやはり苦笑い。
――名ばかり管理職。
手下の一人もいない事を
人間が好ましいと思ってしまう魔王に、どんな悪魔が手下になろうと思うものか。
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