信じてます。
「…………」
夏の強い日差しから逃げるように、玲奈は早足で木陰に隠れる。けれど暑さは全く変わらず、疲れたように息を吐く。
「……ふぅ」
昨夜、唐突に十夜からメッセージが届いた。
『明日、デートしませんか?』
そんな簡潔なメッセージを見て、玲奈はどうしてか胸騒ぎを覚えた。まるでずっと止まっていたものが動き出したように、言い知れない不安に胸がざわついた。
「……本物の、吸血鬼」
玲奈もちとせと同じように、美咲から手渡された本を読み終えていた。けれど玲奈は、ちとせのようにすぐに、答えに至ることができなかった。……いや、今に至っても、玲奈にはまだ分からなかった。
どうして急に吸血鬼が人の心を手にして、そして友達だと言っていた少女が、急に吸血鬼を刺したのか。
「あの人は、分かっていたのでしょうか?」
昨日のパーティーの後。ちとせが十夜の家に残っていたことに、玲奈は気がついていた。……気がついていて、何もすることができなかった。
「……はぁ」
玲奈はもう一度息を吐いて、ハンカチで汗を拭く。
玲奈は今日、お面をつけて来なかった。待ち合わせの場所や時間なんかを決め終わったあと、十夜がそれはもう必要ないと、そう言ったから。
だから玲奈は一瞬、ちとせの行いが成功して十夜が人に戻ったのかとも、考えた。それならもう、お面なんて被る必要はないから。
「…………」
でも、どうしてかそうではないと、玲奈は確信していた。きっと十夜は、自分の顔を見ても何も変わらないくらい、心が凍りついてしまった。そして、心が完全に凍ってしまう前に、自分をデートに誘った。
だから十夜は今日、自分の血を吸おうと考えている。
玲奈はそこまで分かっていて、それでも十夜の誘いに乗った。
「十夜くんに時間がないなら、私が頑張るしかない。それが彼女である、私の役目」
玲奈だって、馬鹿ではない。彼女もこの数日で、いくつかの推論を立てていた。……でも彼女は優秀だからこそ、ちとせのように簡単に答えを出すことができなかった。
あの物語のように、悲しい結末にならないようにするには、きっとまだ足りないものがあるはずだと。
しかしもう、十夜には時間がない。ならダラダラと考えている暇は、もうない。玲奈はそう強く覚悟を決めて、今日のデートに臨んだ。
……そしてもう1人の人物もまた、そんな玲奈に負けないくらい強い覚悟を持って、この場所にやって来た。
「あ! 部長さん! こんにちはー!」
ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべた黒音が、夏の暑さなんて物ともせず、元気いっぱいに玲奈の方に駆け寄ってくる。
「こんにちは、神坂 黒音さん。貴女はいつでも、元気いっぱいですね」
「はい! 黒音には元気くらいしか取り柄がないので、いつだって黒音は元気いっぱいなんです!」
黒音の無邪気な笑みを見ていると、玲奈の肩から力が抜ける。
「いつだって元気いっぱいなのは、何より凄いことですよ? ……私には、真似できません」
「そうですか? ふふっ。でも、そんな風に褒めてもらえると、なんだかくすぐったいです」
2人は同じように、笑みを浮かべる。暑い夏の風が、ゆらゆらと2人の髪を揺らす。
「そうだ。十夜先輩に、もう大丈夫だからって言われてお面をつけて来なかったんですけど、本当に大丈夫なんですか?」
「……そうだと、思いますよ。少なくとも十夜くんは、そんなことで嘘をついたりしません」
玲奈は遠い目で、空を見上げる。
「…………」
黒音はそんな玲奈の様子を見て、いつも以上に明るい声で言葉を告げる。
「そうだ! 先に言っておきますけど、心配しなくても大丈夫ですからね? 黒音、わがまま言って2人のデートに割り込ませてもらいましたけど、ちゃんと空気は読みますから!」
「……え?」
玲奈は驚いたように、黒音の方に視線を向ける。けれど黒音は気にせず、言葉を続ける。
「だから、任せてください! 2人がいい感じになってきたから、黒音はこそっと先に帰ります。黒音だって大人なので、それくらいの空気は読めるんです!」
そう言って胸を張る黒音はやはり子供にしか見えなくて、玲奈はまた笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。ても私も十夜くんも、貴女を邪魔だなんて思わないので、大丈夫ですよ?」
「……そうですか? でもそう言って頂けるのであれば、今日は目一杯、楽しみます。なんたって今日は、遊園地ですからね!」
「そうですね。私も遊園地は大好きなので、今日は思いっきり楽しみましょう」
2人がそんな風に会話をしていると、聞き慣れた十夜の声が響く。
「2人とも、待たせて悪いな」
そう言って姿を現した十夜は、まるで肌を隠すように袖の長い服を着ていて、普段は被らないキャスケット帽を被っていた。
「十夜先輩。こんにちは!」
「よう、黒音。今日も相変わらず、元気だな」
「はい! ……って、あ。十夜先輩、今日はデートだから、オシャレしてますね? すっごく似合って……じゃない。黒音は空気が読めるので、褒めるのは部長さんに譲ります」
黒音はそう言って、ささっと玲奈の後ろに隠れる。
「黒音。お前が変な気を遣う必要はねーよ。俺も先輩も、そんなの別に気にしないから」
「そうです。……というか、そんな風に気を遣われてしまうと、どうしていいか分からなくなります」
玲奈と十夜は、優しい瞳で黒音を見る。黒音はそんな2人の視線を受けて、何故だか寂しそうに目を細める。
「……2人ともこんなに優しいのに、どうして……」
どうして自分には、優しくしないの?
そんな黒音の呟きは2人に届くことなく、ふと吹いた風にかき消されてしまう。
「……すみません。今なにか言いましたか? 神坂 黒音さん」
「いえ、何でもないです! それより早く、行きましょう? 黒音、ジェットコースターに乗りたいんです!」
黒音は誤魔化すようにそう言って、2人の手をとって歩き出す。
「分かってるから、あんまり引っ張るなよ、黒音」
十夜はそんな黒音に、いつも通り……いや、まるで心が冷たくなる前のように、軽い笑みを返す。
「…………」
玲奈はそんな十夜の姿に言い知れない不安を覚えたが、とりあえず今は何も言わずに歩き出す。
そうして、楽しいデートが始まった。
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