……嫌なんです。
玲奈と十夜と黒音の3人は、近場の遊園地にやって来た。その遊園地は、十夜と玲奈がこの前デートした遊園地と同じ場所だったが、玲奈はそんなこと気にもせず、心の底からその時間を楽しんだ。
ジェットコースターやフリーフォールは、何度乗ってもワクワクする。コロコロと表情を変える黒音は、見ていてとても微笑ましい。
……そして何より、十夜が笑ってくれた。
それはここ最近なかったことで、玲奈は今すぐにでも十夜に抱きつきたくなってしまう。……無論、今はそばに黒音がいるし……いや、例えいなかったとしても、辺りは人であふれている。
だからあまり派手に、抱きつくわけにもいかない。
「……十夜くん」
だから玲奈はその代わりだと言うように、そっと十夜の手を握る。
「先輩の手、温かくて気持ちいいです」
玲奈の手をぎゅっと握り返した十夜が、軽く笑う。その笑みを見ているだけで、玲奈の心臓はドキドキと高鳴る。
「…………」
……でも幸福を感じれば感じるほど、愛しく思えば思うほど、胸の底で暗い不安が膨れ上がる。
どうして今日の十夜くんは、こんなに笑ってくれるんだろう?
ここ最近の十夜はほとんど笑ってくれなくて、笑ったとしても、それはとても虚な笑みだった。なのに今日の十夜は昔と同じくらい、とてもすれば昔よりずっと楽しそうに笑ってくれる。
その理由が玲奈には……いや、玲奈は本心ではその理由に心当たりがあった。
「……今日でもう、終わりにする気なんだ」
これまでは先のことを考えていたから、心が凍らないよう色々と対策をしていた。……でも今日で死ぬつもりなら、そんなことをする必要はない。だから今日の十夜は、こんなに楽しそうに笑うのだろう。
「何か言いましたか? 先輩」
玲奈の呟きを聞いた十夜が、玲奈の方に視線を向ける。
「いえ、何でもないです。それよりそろそろ、お昼にしませんか?」
「いいですね。じゃあどこか、その辺の店にでも入りましょうか?」
2人は当たり前の恋人のように、仲睦まじく歩く。……けれどそんな2人の胸には、重くて暗い覚悟が沈んでいた。
自分が犠牲になってでも、大好きな人の未来を作るという覚悟が。
「…………」
そして黒音は、そんな2人の後ろ姿をただ黙って見つめていた。
幸せそうで、楽しそうで、一見すれば仲のいい恋人のようにしか見えない2人。……でも黒音には、そんな2人が今にも消えてしまいそうに見えた。
だから黒音は、寂し気な声で2人にこう声をかけた。
「十夜先輩。部長さん。大切な話があるんで、少し付き合ってもらえませんか?」
◇
3人は遊園地を出て、街を一望できる小さな高台にやって来た。
「いい風だな」
高台の空気はとても澄んでいて、夏のへばりつくような空気も、心地よい風がさらってくれる。だから3人は軽く息を吐いて、吸い込まれるように遠い空を見上げる。
空はまだまだ、真っ青だ。
「すみません。急にわがままを言って……」
黒音は申し訳なさそうに、2人に頭を下げる。
「そんな顔するなよ、黒音。別に気にしてないからさ」
「そうです。遊園地はもう十分に、楽しめましたから」
まだまだ早い時間なのに、静かな場所で話がしたいと言い出した黒音。けれど2人はそんな黒音に嫌な顔1つせず、優しく笑ってくれる。
「…………」
黒音はそんな2人が大好きで、でもだからこそ……言わずにはいられなかった。
「黒音、2人のこと大好きなんです。優しくて、かっこよくて、何より真っ直ぐな2人は、黒音にとっての憧れなんです。……なのにどうして、そんなに簡単なんですか?」
その問いの意味が分からなくて、十夜と玲奈は顔を見合わせる。
「なぁ、黒音。それって──」
どういう意味なんだ? と。十夜が口にする前に、とても悲しい声で黒音が言葉を続ける。
「黒音には、何も分かりません。吸血鬼とか、心が冷たくなるとか、そういう話は正直今でもよく分かってないんです」
黒音は真っ直ぐに、2人を見る。だから十夜も玲奈ももう口を挟まず、黙って黒音の言葉に耳を傾ける。
「だから黒音、ずっと楽しかったんです。皆んなで十夜先輩の家に集まってゲームしたり、カーテン越しにお話したり、お面をつけてお祭りに行ったり……。黒音にとって全部ごっこ遊びみたいなもので、本当に……楽しかった。……でもだからこそ黒音には、2人の苦しみが分からない」
そこで言葉を区切った黒音は、身体に溜まった熱を吐き出すように、大きく息を吐く。
「だから黒音は、理想論しか言えない。自分にとって都合のいい、わがまましか言えないんです……。でも黒音、誰にも居なくなって欲しくないんです! ずっとずっと、文芸部の皆んなで仲良くしたいんです! だからそんなに簡単に、自分のこと諦めないでください!」
夏の日差しが強いからか、高台には3人以外に誰の姿もない。だから黒音の言葉はとてもよく響いて、2人の胸がズキリと痛む。
玲奈は今でも、信じている。真っ直ぐに想い続けていれば、いつか十夜の心を人に戻せると。……でも十夜は今日、玲奈の血を吸って死のうと考えている。なら例え自分が死ぬことなっても、玲奈はそれを止めるつもりだ。
そして十夜は言うに及ばず、玲奈の血を吸って死ぬつもりでいる。……いやそもそも十夜は、ちとせの血を吸ってしまった。だから十夜にはもう、時間がない。
黒音はそんな2人の事情を、何も知らない。……でも黒音だって、そんな2人に負けないくらい胸を痛めていた。
「好きなんです。黒音は……2人のこと、大好きなんです! だから、居なくならないでください……! 黒音、なんだってします! どんな辛いことでも我慢するし、2人の為なら悪いことだってします! だから、いなく……いなくならないでください……! お願い、だから……」
そう叫びながら、黒音は自分でも理解していた。自分の意見は、ただの子供のわがままなんだと。
理想をどれだけ叫ぼうと、現実は何も変わらない。十夜と玲奈が直面している問題を解決できる手段なんて、黒音は何1つとして知らない。
でも、叫ばずにはいられなかった。それくらい最近の2人は、諦めたような顔ばかりしていた。パーティーの時も、祭りの時も、これで最後だからなんて顔をして、いつも寂しそうに笑っていた。
だから黒音は、無駄だと自覚していながら声を上げた。……だってようやく、笑ってくれた。ずっと好きだった人がようやく笑ってくれるようになったのに、このままお別れなんて絶対に嫌だった。
「……バカだな。お前が泣いてどうすんだよ、黒音」
十夜は黒音を励ますように、軽く笑う。けれどその笑みはやはりとても悲しげで、だから黒音の涙は止まらない。
「……黒音、離しませんからね! 十夜先輩が前を向いて生きるって約束してくれるまで、黒音は絶対にこの手を離しません!」
黒音は逃さないというように、十夜の身体を抱きしめる。
「黒音……」
十夜は困ったように、玲奈の方に視線を向ける。すると、どこか吹っ切れたような顔をした玲奈も、黒音に倣って十夜の身体を抱きしめる。
「これでもう、逃げられませんよ」
「そうです。十夜先輩が約束してくれるまで、黒音はこの手を離しません!」
黒音の心臓が、痛いくらい強く跳ねる。……十夜に触れるだけで、黒音の心臓はいつだって高鳴る。黒音はそんな小さな幸せを、絶対に手放したくなかった。
「…………」
そして玲奈は、そんな黒音の様子を見て、とあることに気がついた。
……やっぱり黒音も、十夜のことが好きなのだと。
でもそれなのに黒音は自分に色々と教えてくれて、自分と仲良くしてくれた。
自分には絶対に、そんなことできない。十夜が他の女と仲良くしているのを、黙って見ている。そんな姿を少し想像しただけで、玲奈は泣きそうになってしまう。
「……何を、悩んでいたんだろ」
誰にも聞こえないくらい小さな声で、玲奈はそう呟く。あの本を読み終えてからずっと、玲奈は頭を悩まし続けてきた。
でも、ただひたむきな黒音の姿を見ていると、とても簡単なことに気がつく。
結局、1番大切なのは、自分の気持ちなんだと。
「分かったよ、黒音。それに先輩も。……約束する。約束するよ。もう簡単に、自分を諦めたりしないって」
十夜は参ったと言うように、そう声を上げる。
「……ほんとですか? 嘘だったら黒音、大声で泣きますからね? ずっとずっと、死ぬまで泣き続けますからね?」
「大丈夫だって。ちゃんと約束は守るよ」
十夜はいつものように、優しく黒音の頭を撫でる。
「……分かりました。信じます。……でもあと5分だけ、頭を撫でてください。それで黒音は、もう帰りますから」
「帰るって、まだ昼過ぎだぞ?」
「いいんです。これ以上黒音が居たら、2人の邪魔になります。それに何より……黒音がいたらできないような話を、2人はしなきゃならないんでしょう?」
「……いいのか?」
「はい。その代わり月曜日、いちごメロンパンを奢ってください」
「…………分かった。じゃあそれも、約束だな」
そしてそれから、きっかり5分後。もう満足したと言うように、黒音は十夜から手を離す。
「今日は黒音のわがままを聞いて頂き、ありがとうございました! ではあとはお二人で、お楽しみください! ……では!」
黒音はいつものように元気いっぱいな声でそう言って、走ってこの場から立ち去る。
「……ごめんな、黒音」
黒音の姿が見えなくなってから、十夜はそう小さく呟く。……けどその声は隣にいる玲奈にも届くことなく、遠い空へと消える。
「ねぇ、十夜くん」
「なんですか? 先輩」
「私、行きたい所があるんです。……だから、付き合ってもらえませんか?」
「……もちろん、構いませんよ」
高台の少しだけ冷たい風が、2人の頬を撫でる。2人はそんな風に返事をするかのように息を吐いて、ゆっくりと歩き出す。
だからデートは、まだ終わらない。
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