諦めません。



「……十夜くん。十夜くんは本当に、私とその人の血を吸って……死ぬつもりなんですか?」



 夜の闇を染めるように煌めく花火を眺めながら、先輩は唐突にそう言った。



「はい。俺は2人の為に、死ぬつもりです」



 そして俺はそれに、淡々と言葉を返す。


「……本当、何ですね」


「はい」


 花火がまた、空を染める。祭りの喧騒も届かない小さな広場は、花火が上がった瞬間だけ華やかな彩りに包まれる。


「どうして、ですか。どうして死ぬなんて、言うんですか? 私、言ったじゃないですか。今度は、私の番だって。私が十夜くんを、人に戻してみせるって。なのに……なのにどうして! そんな悲しいこと、言うんですか!」


 先輩の悲痛な声が、耳朶を打つ。けれど今の俺は、そんな先輩を真っ直ぐ見つめることすら、できない。


「……先輩。先輩はお姉さんに、会ったんですよね? なら、聞いたはずです。俺があの人に、血を吸われたって」


「それは……」


「それでも俺は、変われなかった。吸血鬼のルールすら、俺には通用しなかったんです」


「でも、例えそうだとしても、今までみたいに……今日みたいに楽しいことをいっぱいしていれば、いずれは人に戻れるかもしれない。そう言ったのは、十夜くんじゃないですか!」


「……すみません。でも、もう無理なんですよ」


 先輩たちのお陰で、この2ヶ月は何とか乗り越えることができた。……でも、俺には分かる。俺の心はもう、そんなに長くは保たない。


「謝らないでください。……私、楽しかったんです。この2ヶ月は、人生で1番楽しい時間でした。そして十夜くんも、私と同じように楽しんでくれていたんだと、私はそう信じてます。なのに……なのに、ダメなんですか? もう死ぬしかないって、それでも十夜くんはそう言うんですか?」


 また、花火が上がる。沢山の色と多くの形が、華やかに空を染める。……けど花火の光では、暗い空を染め上げることはできない。どんな光も、いずれは夜の闇に飲まれてしまう。


「……先輩。今の俺は、先輩やちとせの顔を見ることすらできません。今日みたいにお面を被ってもらわないと、デートすることもできない。……そんな生活は、長くは保ちません。きっとつまらない行き違いで、俺は先輩の顔を見ることになってしまう」


「だから、そうなる前に私たちの血を吸うと?」


「はい」


「十夜くんは、信じてくれないんですか? 十夜くんの心を元に戻すっていう私の言葉を、信じてくれないんですか?」


「……すみません」


「だから、謝らないでください……。十夜くんのそんな悲しい声、聞きたくないです」


 先輩が、俺の手を握る。絶対に離さないと言うように、強く強く俺の手を握る。


「…………」


 先輩の手はまるで凍ったように冷たくて、何故か胸がズキリと痛む。


「もし、もしですよ? もし仮に十夜くんが私とその人に血を吸って、私たちは人間に戻れたとします。でもそれで私たちが、喜ぶと思いますか? それで私たちが幸福になれると、十夜くんは本当に思っているんですか?」


「……それでも俺は、例え幸福じゃなかったとしても、2人に生きて欲しいんです。……そう思えるこの心まで、なくしたくはないんですよ」


 俺は大きく、息を吐く。するとそれだけで、胸の痛みが消えてなくなる。……そんな自分が、嫌になる。


「それに先輩やちとせだって、分かってるはずでしょ? 俺はもう、長くは保たない。先輩やちとせだって、そこまで余裕があるわけじゃない。……血が薄いって言ってるちとせも、きっと成人式には出られない」


「…………」


 俺の言葉は聞こえているはずだけど、ちとせは何も答えない。彼女はただ静かに、遠い夜空を見つめ続ける。



「だから、先輩。先輩とちとせの2人まで手遅れになる前に、俺が──」



「嫌です。絶対に絶対に、嫌です!」



 先輩は俺の言葉を遮って、強い口調でそう言い切る。


「どうして、そんな悲しいこと言うんですか。どうして、どうしてそんな……! 諦めたようなこと言うんですか! そんなの、十夜くんらしくありません! 私の知ってる十夜くんは、私が大好きな十夜くんは、絶対に絶対に諦めないんです!」


 また、花火が上がる。とても綺麗なはずのそれは、今はとても悲しげだ。


「……生きて欲しいんですよ、先輩。できることなら人として、2人にはずっと生きて欲しいんですよ」


 それは紛れもない、俺の本心だ。いつかの未鏡 十夜ではなく、今の俺の本心だった。


「この世界はとても不条理で、努力なんて報われない。才能だって、運命だって報われない。でも、それでも俺たちは、そんな世界に抗って生きなきゃならない」


 悲しい結末と不幸な結末を手に取って、どちらがマシか考える。それが俺たちの、生きてる世界だ。



 でも、そんな世界だからこそ、少しでも幸福だと思えるような、そんな結末を目指したい。



 だから──



「だからそれが、皆んなの為に死ぬことだけが、今の俺にできる唯一のことなんです。……そこを見失って、いつまでも希望に縋って、何もかもが手遅れになる。そんな結末だけは、絶対に嫌なんです」


 冷たい風が、頬を撫でる。花火がまた、大きな音を響かせる。


「……十夜くんは何も、分かってないです」


 先輩は静かに、そう言った。


「意味、ないんです。十夜くんが死んだ世界で生きても、十夜くんだけを残して人に戻れても、そんなの何の意味もない……」


「でも文芸部、楽しいでしょ? 黒音や水瀬さんとも打ち解けて、文芸部は先輩の居場所になってきているはずです。それに俺がお姉さんの血も吸えば、また2人で暮らせるかもしれない。そうなれば完璧とは言えなくても、少しは幸せに生きられるはずです。このまま皆んなで凍りつくより、ずっとマシな結末のはずなんです。……分かってくださいよ、先輩」


「分かりません、そんなこと。……言い訳みたいな幸せで自分を誤魔化して、何年も何十年も生きて死ぬ。私はそんなの嫌です。例え明日死ぬんだとしても、真っ直ぐに顔を見てもらえないんだとしても、いつか……いつか忘れられてしまうんだとしても……! それでも、私は……」


 そこでちょうど、一際大きな花火が上がる。けれどどうしてか、そんな花火の大きな音より、ずっと小さな先輩の呟きの方が俺には大きく聞こえた。



「それでも私は、貴方のそばに居たいんです」



 ふと、どうしてか昔のことを思い出す。無理だ。嫌だ。ダメだ。そう言い続けた1人の少女を、必死になって追いかけていた、1人の男ことを。


 そいつは死ぬほど諦めが悪くて、相手の迷惑もお構いなしに、毎日のように告白し続ける。先輩は、そんな男を真似ると言った。今度は、自分の番だと。


「……敵わないな」


 そこで空に、一際激しい花が咲く。それは花火がもう終わりだという証で、でもだからこそ今までで1番綺麗な花が咲く。


 その瞬間だけは、2人して黙ってただ花火を見つめ続けた。


「…………」


「…………」


 そして、辺りに夜の静けさが戻ってきた頃、先輩は続く言葉を口にする。


「十夜くん。十夜くんが何を言おうと、私は十夜くんがいない100年より、十夜くんの隣にいる一瞬を選びます。それで十夜くんの心が完全に凍ることになったとしても、私は最後まで吸血鬼として貴方の隣に居ます」


「…………」


 ここに、昔の俺がいる。もうどこにもいないはずの未鏡 十夜が、確かにここにいる。冷血吸血鬼と呼ばれた少女に立ち向かい続けた、バカだけど真っ直ぐな俺が声を上げる。


「だから待っててください、十夜くん。十夜くんが何を言っても、貴方がどれだけ私を拒絶しても、私が貴方を──」




「無理よ。貴女のやり方じゃ」



 そこで不意に、ちとせが声を上げた。まるで先輩の言葉を遮るように、ずっと黙っていたちとせが冷たい声を響かせる。



 花火は終わり、楽しい夏祭りもまた終わった。けれど俺たちの夜は、まだ終わらない。


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