分かりません。
「今日も異常なしだったねー」
真っ白な満月が照らす薄暗い夜道を歩きながら、美咲はそう玲奈に笑いかける。
「うん、そうだね。姉さんが元気でよかった」
玲奈はそれに淡々とした様子で、言葉を返す。
「ふふっ。ありがと、玲奈ちゃん。それで、これからどうする? 何か食べて帰る? どうせ今日も、お父さんとお母さんは帰ってこないだろうし」
「……ううん。今日は私が、ご飯作る。この前、約束した」
「ああ、そうだったね。玲奈ちゃんが美味しいカレーを作ってくれるって、約束したもんね。失敗、失敗」
2人は楽しげな声を響かせながら、ゆっくりと夜道を歩く。それは月に一度の夜のお出かけの時間で、玲奈はその時間がとても好きだった。
月に一度、美咲は病院で検査を受ける。そしてそれに付き添うのが、玲奈の役目の1つだった。
私はもうすぐ、死ぬの。
玲奈がその言葉を聞いてから、半年近くの時が経った。しかし美咲は依然として元気なままで、こうやって病院に通って検査をしても、結果はいつも異常なしだった。
でも玲奈は、もうすぐ死ぬという美咲の言葉を信じていた。だって、美咲がそんな嘘をつく理由なんてどこにもないし、何より玲奈も美咲の中に妙な危うさを感じていた。
そしてそれはきっと、美咲の両親も同じだったのだろう。彼らは研究職で仕事が忙しく、滅多に家に帰ってこない。けど彼らが美咲に向ける愛情は本物で、その研究も美咲の為のものらしかった。だからこうやって毎月病院に検査に行かせるのも、その愛情の1つだったのだろう。
「ねえ、玲奈ちゃん。学校、楽しい?」
美咲は唐突に、そう問いかける。
「別に。楽しい場所じゃないよ、あそこは」
「そっか。まあ、そうだよね。玲奈ちゃんは私と一緒だから、普通の子と仲良くするのは難しいよね。じゃあ逆に、困ったこととかないかな? 何かあったら、なんでも言って。お姉ちゃんが、助けてあげるよ?」
「…………」
そう言われて、玲奈は少し考える。美咲の家の養子になった玲奈は、転校して新しい小学校に通うことになった。しかし言うに及ばず、彼女はそこでも孤立していた。
多くの人間は、玲奈の冷たい瞳と雰囲気に気圧されて話しかけることすらしない。そして、それでもと話しかけてきた人間は、玲奈の冷たい態度を見て距離を取る。
だから玲奈は、当たり前のように1人だった。
しかし玲奈にとって1人でいるのは当たり前のことなので、今更それに困ったりはしない。……けどそれとは別に、玲奈には1つだけ思い当たることがあった。
「うさぎを、飼ってるの。クラスのみんなで」
「へえー、うさぎか。可愛いよね、うさぎ。私、好きだよ? ……少なくとも、大多数の人間よりは」
「うん。私も可愛いと思う。だから私がね、毎日世話をしてるんだ」
「偉いね、玲奈ちゃんは。……でも、それの何が困るの? うさぎが可愛いから、連れて帰りたいとか?」
「ううん。そうじゃなくて、そのうさぎ……病気でもう、長くないの……」
玲奈は軽く息を吐いて、遠い月を見上げる。けど悲し気な言葉とは裏腹に、その瞳に悲しさや寂しさは見受けられない。
「…………」
だから美咲には、続く言葉が想像できた。けれど彼女は黙って、玲奈の言葉を待つ。
「それでみんなはね、交代で面倒を見ようってそう言ったの。今までは無視して何もしようとしなかったのに、今さらみんなで優しくしてあげようって」
「それが気に入らない?」
「ううん。それは別に、どうでもいい。でも、理解できないの。みんなはどうして、急にうさぎに優しくしようなんて言い出したの? 今まではどうでもよかったのに、死にそうになったから大切になったの? それともただ、可哀想だから? ……私には、分からない」
玲奈はそこで立ち止まり、美咲を見る。だから美咲も足を止めて、玲奈を見つめる。2人は同じような冷たい瞳で、真っ直ぐに見つめ合う。
「それで私、言ったんだ。あのうさぎはもう、死なせてあげようって。だってあの子、すごく弱っててもう歩くこともできないの。だから私、ずっとそうしてあげようって思ってた。……でもみんな、それをすごい勢いで否定したの。それで私のこと、吸血鬼とか呼ぶようになった。……意味が分からない。それが1番の優しさのはずなのに、どうしてみんな怒るんだろう……」
「ふふっ、なるほどね。つまり玲奈ちゃんは、そのうさぎをどうすればいいのか、分からなくなった。それで、困ってるんだね? ……でもいいな、吸血鬼か。確か最近、この辺りで吸血鬼の噂が流行ってるよね。だからそれを、真似たのかな? 何にせよ、いいなぁ玲奈ちゃん。羨ましいよ」
「吸血鬼のなにが、羨ましいの?」
「吸血鬼なら、人であることに拘らなくてもいいでしょ? だからきっと、すごく自由に生きられるはずだよ」
美咲はそう言って、いつも通り無邪気な笑みを浮かべる。
「…………」
するとふと、玲奈の頭に疑問が過ぎる。美咲はいつも無邪気な顔で笑うが、玲奈にはずっとその理由が分からなかった。玲奈は美咲としばらく一緒に暮らして、彼女も自分と同じ冷たい心を持っているのが分かった。
でも美咲は、いつも笑っている。人を人とも思えない心を持っているはずなのに、彼女はいつも心底から楽しそうに笑う。その理由が、玲奈には分からなかった。
「どうして姉さんは、笑うの?」
だから玲奈は、思わずそう尋ねる。
「うん? そんなの簡単だよ。私はね、楽しいから笑ってるんじゃないの。楽しむ為に、笑ってるの。まあ要するに、作り笑いってやつだね」
「何の為に、そんなことをするの?」
「何の為でもないよ、これはただの実験だから。楽しくないことを笑い続けたら、心を騙せるんじゃないかっていうただの実験」
「……じゃあ姉さんは、私といる時も嘘の笑顔を浮かべてるの?」
玲奈は不安そうに、美咲を見上げる。
「ふふっ、違うよ。玲奈ちゃんの前でだけは、本気で笑ってるよ? だってその為に、私は貴女を妹にしたんだから」
「……そっか。ふふっ、そっか」
玲奈は、その美咲の言葉がどうしようもなく嬉しくて、ついつい笑みを浮かべてしまう。
「っと、話が逸れちゃってね。それでそのうさぎをどうするか、だよね? でもそれは、とても簡単だよ。玲奈ちゃんの、好きにすればいいんだよ」
「私の好きに?」
「うん。玲奈ちゃんが何もしなくても、うさぎは好きに生きる。玲奈ちゃんが何をしても、クラスメイトの子たちの行動は変えられない。だから玲奈ちゃんも、好きにすればいいんだよ。結局、人にはそれくらいのことしかできないからね」
美咲はそこでまた、無邪気な笑みを浮かべる。だから玲奈はその笑みを真っ直ぐに見つめて、少し頭を悩ませる。けどすぐに答えが出たのか、分かったとだけ言って歩き出す。
「ふふっ。玲奈ちゃんは、可愛いな」
美咲はそんな玲奈の後ろ姿を見つめながら、ただただ笑みを浮かべ続けた。
そうして2人の夜は、ゆっくりと深まっていった。
そして翌日。朝早くにうさぎの様子を見に行った玲奈のクラスメイトが、うさぎが死んでいるのを見つける。だから少し騒ぎになって、玲奈のクラスメイトたちは犯人探しに躍起になった。
けど結局、その死因がはっきりすることはなかった。ただ寿命がきただけかもしれないし、誰かが殺したのかもしれない。でもそれはもう、誰にも分からないことだった。
……しかし多くの生徒が、それは玲奈の仕業だと考えた。
そしてそこから、玲奈は冷血吸血鬼と呼ばれるようになり、クラスメイト全員から嫌悪と恐怖の対象として見られるようになってしまった。
そしてそれが、吸血鬼事件と呼ばれる1つの事件のきっかけとなった。
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