冷たい。



 紫浜しのはま 玲奈れなは、産まれた時から孤独だった。



 彼女は幼少期、玲奈という名前だけを与えられ、とある施設に捨てられた。だから玲奈は、自分の両親の顔や名前を覚えていない。しかし当の玲奈は、そのことに怒りや悲しみを感じたことはなかった。物心ついた時から人を人とも思えなかった彼女は、両親のその行いを当たり前のように受け入れた。


 だから玲奈は、その施設でも浮いた存在だった。誰にも心を開かず、誰をも拒絶し、いつだって独り。孤独にいかなる寂しさも感じなかった彼女は、それ以外の生き方を選ぶ必要なんてどこにもなかった。



 ……しかし、とある少女がその施設にやって来た時、玲奈の孤独は粉々に破壊されることとなる。



「────」



 その少女を見た瞬間、心の冷たさがどこかに消え去った。そう感じるくらい、その少女は他の人間とは違う空気を纏っていた。


 玲奈より、いくつか年上なのだろう。その少女は、玲奈より頭1つ分くらい背が高く、どこか余裕のある雰囲気だった。そしてそんな雰囲気とは裏腹に、彼女の浮かべる笑みはとても無邪気で、どうしてか人の心を揺さぶった。


 だから玲奈は思わず、その少女に見惚れてしまう。……いや、玲奈だけではない。大人の冷たさと子供の温かさを内包したその少女は、歩くだけ多くの人目を集めた。


 実際、玲奈以外の施設の子供や職員も、彼女が歩くと口を閉じた。それくらいその少女は、人とは違う何かを持っていた。



 そしてその少女は、どうしてか玲奈の前で足を止めた。



「君、名前は?」



 少女は夜風のように冷たい声で、玲奈にそう声をかける。


「えっと……」


 玲奈は少女のいきなりの行動に驚いてしまって、上手く言葉を返せない。すると少女はそんな玲奈の様子を見て、失敗したなと軽く笑う。


「ごめんね、いきなり声をかけたりして。それに名前を尋ねるなら、まずは自分から名乗らないと失礼だったね。……私は、紫浜しのはま 美咲みさき。ここにはね、家族を探しに来たんだよ」


「……家族を探すって? あなたもここに入るの?」


「違う違う。私は色んな施設を回って、私と仲良くできそうな子を探してるんだよ。弟か妹。或いは、お兄ちゃんかお姉ちゃんをね。できれば私は、妹がいいんだけど」


「……そうなんだ」


「そうなの。でもなかなか見つからなくてさ。もういいかなーって、思ってたんだよ。でも……」


 ようやく見つけた。そう言って笑う少女──美咲は、とても冷たい目をしていて、玲奈は思わず後ずさる。


「あ、怖がらせちゃったかな? ごめんね。私、よく言われるんだ。とても冷たい目をしてるって。私としては精一杯かわいく笑ってるつもりなのに、酷い話だよね」


「……ごめん」


「何で貴女が謝るのさ。別に私は、貴女を責めてるわけじゃないよ?」


 美咲はそこでまた冷たい笑みを浮かべて、玲奈の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「ねぇ……って、そう言えばまだ、名前を聞いてなかったね。教えてくれる? 貴女の名前を」


「……玲奈。私は、玲奈だよ」


「そっか、玲奈ちゃんね。……うん。いい名前だね。ねえ、玲奈ちゃん。貴女さ、私の妹にならない? きっと凄く、楽しいよ。……少なくともここで独り、凍っているよりはね」


 美咲はどこか芝居がかった仕草で、玲奈に向かって手を伸ばす。


「…………」


 玲奈はそれに、何の言葉も返せない。あまりの突然の事態に、玲奈の思考は止まってしまっていたから。……でも気づけば玲奈は、手を伸ばしていた。まるで何かに操られるように、或いはそれが運命であるかのように。



 玲奈はその少女──紫浜 美咲の手を握った。



 その手は、とてもとても冷たかった。



 氷のように冷たい玲奈が思わず震えてしまうほど、美咲の手は冷たかった。



「よろしくね? 玲奈ちゃん」



 けれど美咲は、その冷たさと正反対の笑みを浮かべて、玲奈の手を握り返した。



 そうして玲奈は孤独を手放し、新しい家族を手にすることとなった。



 ◇



 それから玲奈は、新しく父親と母親になる2人と話をした。けれど彼らは特別、玲奈を歓迎することはなかった。彼らは玲奈とは違う種類の冷たさと無関心さで、いつも同じ言葉を口にした。


「貴女は美咲の為に、この家に来た。だから他の何をおいても、あの子の為に生きなさい」


 彼らは顔を合わせる度に、いつもその言葉を投げかけた。



 美咲の為。美咲の為。美咲の為。



 けれど玲奈は、彼らのその冷たさに何も思うところがなかった。だって玲奈には、彼らもまた人の形をした血の袋にしか見えなかったから。だから特別なのは、あの少女だけ。自分の姉となったあの少女のそばに居る時だけ、玲奈は冷たい心を忘れられた。


 だから玲奈は、彼女の為に生きろという言葉に反発するつもりはなかった。


 でも同時に、不思議だった。紫浜 美咲。彼女は玲奈の目から見ても、完璧な人間に見えた。運動や勉強をはじめ、あらゆることをそつなくこなす彼女。そんな彼女に、自分なんかの助けは必要ないんじゃないかって。



 しかし玲奈がその疑問を口にすると、美咲は当たり前のように答えを返した。



「そんなの簡単だよ。私はもうすぐ、死ぬの。だからそれまでの期間を楽しく生きられるように、私と同じ仲間を探してたんだよ」


「……どういう意味?」


 玲奈は驚きながらも、そう言葉を返す。


「そのままだよ。でもまあ、今日明日にってわけじゃないよ? 少なくもあと5年は、生きられるはずだから」


「どうしてそんなこと、分かるの?」


「そりゃ、自分のことだからだよ」


 美咲はそう言って、いつものように無邪気な笑みを浮かべる。


「もしかして、病気なの?」


「そんな感じかな。何度検査しても異常はなかったけど、私には分かるの。私はそういうイキモノなんだって」


「……意味が、分からないよ」


 玲奈はその時、自身の胸が痛むのを感じた。家族にはなったが、まだそんなに長い時間を一緒に過ごしたわけではない。なのに玲奈は、この少女に死んで欲しくないと思った。


 だから玲奈は、縋るように美咲を見る。すると美咲はそんな玲奈の様子を見て、失敗したなと小さく呟く。

 

「そうだな。……簡単に言うとね、私は呪われてるんだよ」


「呪い?」


「そう。生きる度に心臓が腐っていく。そんな、呪いにね。……はい! この話はここでお終い!」


 美咲は強引にそう言って、その話を打ち切ってしまう。だから玲奈はそれ以上何も言えず、1人考え続けることとなる。どうすれば、この人を助けられるのだろうか、と。



 ……けれど結局、玲奈がその答えを知ることはなかった。



 ここから先は玲奈自身が色んな問題に直面して、そのことを考える余裕が無かったから。そして何より、美咲はあと5年も……生きることができなかったから。



 けれど、当時の玲奈がそのことに気づけるはずもなく、時間はゆっくりと流れていった。


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