二章 すれ違いと告白

嘘じゃないから。



「あんたの部屋、久しぶりに来たわね」


 ちとせはそう言って、パンツが見えるのも気にせず足を崩して座布団の上に座る。


「そうだっけ? ちょっと前にも来てたと思うけど。……つーかお前、パンツ見えてるぞ?」


「別にいいでしょ? パンツくらい、見たいならいくらでも見せてあげるわよ」


 ちとせは短いスカートをめくって、薄い水色のパンツを見せつける。……流石にそんなことをされると、いくらちとせでも少し意識してしまう。


「はしたないから、やめろ」


 だから俺は視線をそらして、そう告げる。


「ふふっ。そんなこと言って、ほんとは嬉しいくせに。……あ、それとも脚の方が気になるとか? 私、胸はないけど、脚には自信があるのよね。ほら、こっちに来てもっとよく見なさい」


「いや、見ねーよ。……それより、聞いてくれよ。今日はさ、お前の考えた作戦のお陰で、ちょっとだけ紫浜先輩が心を開いてくれたんだよ。だからずっと、お前にお礼が言いたかったんだ。ほんと、ありがとな」


「……そ。それは、良かったわね」


 ちとせはそう冷たい息を吐いて、テーブルに置かれたアイスコーヒーに口をつける。そして紅い綺麗な瞳で、真っ直ぐに俺を見る。


「ねぇ、あんたさ。あんまり入れ込まない方が、いいんじゃない?」


「……どういう意味だよ、それ」


「そのままの意味よ。私はね、あんたがちゃんと理解していると思っていたから、今まで色々とアドバイスしてあげたの。……でも、あんた最近、忘れてるんじゃないの? どうして私たちが、あの子に近づこうとしているのか」


「…………」


 ちとせのその言葉に、俺は返事を返せない。確かに俺は最近、忘れていた。俺が紫浜 玲奈という少女に近づいたのは……いや、近づかなければならなかったのは、俺が彼女に好意を持っていたからではないということを。



 ……いや無論、今となっては彼女に向ける好意に嘘偽りはない。けど、初めはただ必要だったんだ。



 ……彼女の、血が。



「その様子だと、本気で忘れているみたいね。だからここらでもう一度、はっきりさせた方がいいんじゃない? あんたはただ──」


「違う。……違うんだよ、ちとせ」


 俺はちとせの言葉を遮り、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。


「俺は確かに、打算で彼女に近づいた。けど、今はもう本気で彼女のことが…………好きなんだよ」


「……あんたほんと、バカね。あの人が何でいつも1人で居るのか。あんたはその理由を、知ってるはずでしょ? ならあの人に本気で恋するのは、やめなさい。そんなことをしても、お互い傷つくだけよ」


「…………」


 そのちとせの言葉は、間違いではない。とんでもない奇跡が起きて、先輩が俺に惚れてくれたとする。けれどそんな奇跡が起こったとしても、結局最後は俺も先輩も傷つくだけになるだろう。


 けど俺は、少しでいいからあの人の側に居たいと思う。たとえそれが一瞬でも、彼女が孤独を忘れられるなら、俺はどれだけ傷ついても構わない。


「ちとせ。俺はもう、決めたんだよ。あの人を1人にしないって、もう決めたんだ」


「……そ。まさかあのあんたが、本気で誰かを好きになるなんてね。……なに? あの人の何が、そんなにいいの? やっぱり、胸? それとも顔? あの人見た目だけは、人一倍いいものね」


「そういうのじゃねーよ。俺はただ……」


 あの人の瞳が、昔の俺によく似ていると思った。だから俺は……。


「十夜」


 と、そこで不意に名前を呼ばれて、顔を上げる。すると何故か目の前に、ちとせの胸がある。そして彼女は俺が言葉を発する前に、その胸を俺の顔に押しつけた。


「ちょっ、いきなりはやめろよ」


 何度も感じたことのある、ふにっと少しだけ柔らかなちとせの胸。その感触に今更ドキドキしたりしないが、それでもいきなりやられると驚いてしまう。


「…………」


「……なに黙り込んでるんだよ、ちとせ。つーか一回、離してくれ。力が強くて、鼻が痛い」


「…………」


 ちとせは俺の言葉が聞こえていないのか、逆にぎゅっと強く腕に力を込める。そしてそのまま、俺をベッドの上に押し倒す。


「……おい、ちとせ? お前、どうしたんだよ? いくら何でも、これは流石に……」


「うるさい。ちょっと、黙って」


「いやお前……」


「いいから!」


 ちとせの声には、有無を言わせぬ響きがあった。だから俺はちとせの胸に顔を埋めたまま、何もできずに黙り込んでしまう。


「……私、見たのよ。あんたがあの人を、抱きしめてるところを……」


 ちとせは力強く俺を抱きしめたまま、ぽつりとそう言葉をこぼす。


「あんたのあんな顔、初めて見た。あんたってあんなに優しい顔するんだって、初めて知った。……それで私、気がついたのよ。あんたは本当に、あの人のことが好きなんだって」


 雨の音が、聴こえる。いつの間にか降り出した雨が、しとしとと屋根を濡らす。そんな静かな雨音とともに、ちとせは静かに言葉を続ける。


「胸が、痛かった。たかだか抱き合ってただけなのに、胸が痛くて痛くて仕方なかった……。だってあんたは、人を好きにならないと思ってた。あんたは何だかんだ言いながら、ずっと私のそばに居てくれるんだって、そう思ってた……。それ、なのに……」


「ちとせ。お前……」


「……ねぇ、どうして私じゃダメなの? この白い髪が嫌なの? この赤い瞳が嫌なの? 他の奴らみたいに、あんたもそんな私が気持ち悪いって言うの? だから、あの女を選んだの? ……ねぇ、答えて! 私の何が、ダメなのよ……!」


 ちとせの腕に力がこもる。俺はそんな突然の事態に驚きながらも、必死になって言葉を探す。


「なに言ってんだよ、ちとせ。つーかとりあえず、落ち着け。そんな……そんな自分を貶すようなことを言うなんて、お前らしくねーよ」


「私のことなんて、どうでもいいの! 私は私のことなんて、好きじゃないもん。……でも、あんたに嫌われるのは、あんたが私のそばから居なくなるのは、嫌なの……」


 雨音は、いつの間にか聴こえなくなっていた。だから俺の耳には、冷たい冷たいちとせの声がただ響き続ける。


「私には……私にはね、あんたしか居ないの。友達なんて居ないし、両親だって私のこと……無視する。だから……だからお願い。あんたはずっと、私のそばに居てよ……」


 逃がさないと言うように、ちとせの手と脚が俺の身体に絡みつく。それはまるで……寂しがり屋の子供のようで、俺の胸にずきりとした痛みが走る。


「…………」


 ……おかしい。俺の知ってるちとせは、こんなに弱い少女じゃなかった。御彩芽 ちとせという少女は、たとえ1人であっても、胸を張って自分の道を突き進む。そんな強い心の持ち主だったはずだ。


 なのにどうしてちとせが、こんなに泣きそうな声で、縋るように俺のことを抱きしめているんだ?


「ねぇ、十夜。私で、いいじゃない。……ううん。絶対にあんな女より、私の方がいいに決まってる。だって私の方が、あんたのこと理解してる。……それにあんたが望むなら、私の身体に何をしてもいい。あんなお高く止まってる女じゃできないことを、私はなんだってしてあげる。だから……お願い……。私を好きだと、言って……。ずっとずっと私のそばに居るって、約束してよ……」


 ちとせはそこで、俺から手を離す。そして紅い瞳で真っ直ぐに俺を見つめる、




 そして、




 そして彼女は、




 俺の唇に、キスをした。




「────」



 自分の言葉は、嘘でも冗談でもない。彼女のキスはまるでそう告げるように、とてもとても熱かった。だから俺はどうすることもできず、ただただ彼女を見つめて、困惑する頭で必死になって言葉を探す。



 ……けれど俺の頭は、肝心な時には何の役にも立たない。だから俺は唖然と、ちとせの白い髪と綺麗な紅い瞳を見つめ続ける。



 そしてそんな俺の心境を無視して、彼女は今まで見たことがないくらい真っ直ぐな瞳で、その言葉を告げた。





「好きよ、十夜。だから私の、私だけのものになりなさい」




 いつの間にか強まっていた雨音が、ざーざーと響く。そんなとても静かな夜に、俺は産まれて初めて誰かに好きだと言ってもらえた。


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