会いたいです。



 紫浜しのはま 玲奈れなは、1人夜空を見上げていた。


「…………」


 いくら手を伸ばしても届かない、遠い夜空。彼女は自室の椅子に腰掛けて、明かりもつけずにそんな夜空を見上げていた。普段ならそうすると、心に冷たい静寂が訪れる。……なのに今日は、彼のことばかり考えてしまう。



 未鏡みかがみ 十夜とうや。何度振っても懲りずにやってくる、うるさい男。自分はそんな男のことが嫌いで、鬱陶しいと思っている。



 その、はずなのに……



『好きです。紫浜先輩』



 彼の今日の告白を、思い出す。するとそれだけで、ドキドキと心臓が脈打つ。



「……バカみたい」


 玲奈は誰ともなしにそう呟いて、息を吐く。しかしそんなことをしても、心臓のドキドキは止まってくれない。いや寧ろより鮮明に、彼のことを思い出してしまう。



 温かかった、手のひら。意外と分厚かった、胸板。ドキドキとした、心臓の鼓動。そしてとても真っ直ぐな、優しい瞳。



 いくら落ち着こうとしても、心が勝手に彼のことを思い浮かべる。だからまるで、今も彼に抱きしめられているような、そんな錯覚を覚えてしまう。




「……ふふっ」




 ……けれど、まるでそんな小さな幸福も許さないと言うように、1人の少女の言葉が脳裏をよぎる。




『十夜はね、貴女のことが好きで告白してるわけじゃないの。あいつは貴女の……冷血吸血鬼の秘密が知りたくて、告白してるだけなのよ』





「…………」


 だから玲奈は、思ってしまう。彼のあの温かさも優しさも全て偽物で、本当はただ自分の冷たい血を求めているだけなのではないか、と。


「……バカみたい。偽物でも本物でも、私は誰も愛さないと決めているのに……」


 玲奈はそう言って、思考を切り替えるように軽く頭を振る。そしてそのまま、電気をつけて本の続きでも読もうかと考える。


「…………」


 ……けれどどうしても、立ち上がる気になれない。だから気づけばまた、彼のことを考えてしまう。



 ……きっと彼は、明日も部室にやって来るのだろう。そしてまた寂しそうな顔を見せれば、今日のように……優しく抱きしめてくれるかもしれない。



 そんな彼に、甘えたい。あの胸板に顔を埋めて、優しく頭を撫でてもらいたい。そしてあの真っ直ぐな瞳で、また好きだって言って欲しい。


「私は一体、何を考えているのよ……」


 自分は決して、彼の想いに応えるつもりはない。なのにどうしても、夢見てしまう。いけないことだと、それはただの偽物だと思えば思うほど、心が勝手に夢ばかり見続ける。


 それこそまるで恋する乙女のように、気づけば十夜のことばかり考えてしまう。……でもそうやって考えれば考えるほど、ちとせの言葉が深く深く胸に突き刺さる。


「……そもそも明日は、土曜じゃない。ほんと私、何を浮かれているのかしら……」


 玲奈は自嘲気味にそう呟いて、大きなため息をこぼす。十夜は明日も、自分に会いに行くと言っていた。けど彼はこの家の場所を知らないはずだし、玲奈はスマホを持っていないから連絡の取りようがない。



 なら明日と明後日は、彼と会うことはできないのだろう。



「……ほんと、無責任な人。……最低です」



 ……休みの日でも、文芸部の部室は空いている。けど、わざわざ休みに学校に行って彼のことを待つなんて真似、玲奈はしたくなかった。



 だって、それではまるで自分が……。



「……私は1人で、生きなきゃいけない。だから変な夢なんて、見るべきじゃない」


 玲奈はそう自分に言い聞かせるように呟いて、星がきらきらと輝く夜空から視線をそらす。


「……けど、あのちとせとかいう人は、休みの日でも彼と会ったりするのでしょうね……」


 突然部室にやってきた、御彩芽みあやめ ちとせという少女。きっと彼女は、自分よりずっと彼の近くに居るのだろう。



 それこそ少し寂しくなっただけで会いに行けるほど、2人は親密な関係のはずだ。



「…………」


 そう思うと、胸が痛んだ。けれど玲奈はそんな痛みに気がつかない振りして、ベッドの上に寝転がる。そしてぐちゃぐちゃと胸の中で暴れ回る感情を無視して、何もかもを忘れるように目を閉じる。



「……あの人は、私だけを見ていればいいのに……」



 だからそんな呟きは、玲奈自身の耳にも届かなかった。



 ◇



 そして、夜。俺は自室の椅子に腰掛けて、少し考え事をしていた。


「…………」


 紫浜先輩は今日もいつも通り、俺のことを振った。けれど今日は、少しだけ手応えを感じた。だって他ならぬ彼女自身が、俺の言葉を信じると言ってくれたんだ。



 ……それに俺は最後に、こう言った。



 明日も会いに行く、と。



 紫浜先輩は気づいてなかったのかもしれないが、俺は明日が休みだと分かっていて、そう言った。……つまりあれは、遠回しにデートの約束を取りつけるという、俺の高度な作戦だったのだ。


「……なんていうのは、嘘だけどな」


 俺はついさっき、明日が休みだということに気がついた。だから本当は、何のプランもない。


「さて、どうするかな」


 俺は今日、先輩のことを抱きしめた。そして先輩は、それを受け入れてくれた。……でもだからって、彼女が俺に好意を持ってくれたと思うのは、早計だろう。



 だからここで勘違いしてグイグイ行くと、逆に嫌われてしまうだろう。



 ……できれば俺は、先輩を遊園地とかに連れて行って、どんな顔をするのか見てみたい。……けどいきなり遊園地に行こうなんて言っても、引かれるだけだろう。だからまずは、近場のカフェでお茶をするところから、始めるべきだ。


「いやそもそも俺、先輩の連絡先も家の場所も知らないんだよな」


 彼女は決して、自分のことを話さない。だから俺が知っている先輩は、いつも1人で本を読んでいる姿だけ。彼女が何が好きで、休みの日は何をしているのか。俺はそういう彼女の内面を、全く知らない。


「だから、どうにかして会いに行きたい……。でも住所を調べて家を訪ねたら、絶対に引かれるよな。何度も告白して振られている俺が、気にすることじゃないかもしれないけど。……でもやっぱり、嫌われるのは嫌だしなぁ」


 そんなことを1人で悶々と考え続けていると、ピンポーンとチャイムの音が鳴り響く。


「やっと、来たか」


 俺はそう呟き、立ち上がって玄関に向かう。


 今日は先輩と長々と抱きしめ合っていたので、いつもの空き教室に顔を出す暇がなかった。だから今日も昨日と同じように、ちとせに電話をかけた。



 すると昨日とは違い電話はすぐに繋がって、彼女は開口一番に、



『あんたの家に、行くわ』



 そう言って電話を切った。だから俺は1人で考え事をしながら、彼女が家にやってくるのを待っていた。


「しかしあいつ、意外と来るのが遅かったな」


 ……今はもう、夜の8時を過ぎている。なので俺以外に誰も居ないこの家は、耳鳴りがするくらいの静けさに包まれている。……普通に考えれば、こんな時間に付き合ってもいない女の子を家に上げるのは、不健全なのだろう。けど今更ちとせ相手に、そんなことは気にしない。


「よう。遅かったな、ちとせ」


 俺はそう言って玄関の扉を開けて、短いスカートを履いたちとせを迎える。


「ちょっとくらい、いいでしょ? 色々と準備してたら、遅くなったのよ。……それより、上がっていいわよね?」


「ああ、上がれよ。今日はお前に話したいことが、いっぱいあるんだよ」


「……そ。じゃあ遠慮なく、上がらせてもらうわね?」


 ちとせはいつもより幾分か静かな声でそう言って、勝手知ったる顔で俺の部屋に向かう。けど俺は、そんなちとせを少しも不審に思うことなく、準備しておいたお菓子とコーヒーを持って自室に向かう。



 きっと今日の夜も、寂しさを感じることなく2人で騒がしく過ごすのだろう。……俺はそんな風に、思い込んでいた。



 しかし今夜、ちとせとの関係に大きな変化が訪れる。




 けれど今日の俺は浮かれていて、ちとせの心境の変化を見抜くことができなかった。


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