絶対に、諦めないから。



「好きよ、十夜。だから私の、私だけのものになりなさい」



 いつの間にか強くなった雨音に混じり、そんなちとせの言葉が響く。



「…………」


 ……初めてだった。こんな風に誰かに好きだなんて言ってもらえたのは、産まれて初めてのことだった。だからどうしても、心臓が跳ねる。頬が熱くなる。初めて触れた唇の柔らかさが、頭から離れてくれない。



「ちとせ。俺は……」



 けれど俺には、彼女とは別に好きな人がいる。だから俺は、彼女の想いに応えられない。いくら初めて告白されたのが嬉しくて、どれだけ心臓がドキドキしようと、俺は彼女の想いに応えることはできないんだ。




 だから俺は、言わなければならない。




『ちとせ。お前の気持ちは、嬉しい。けど俺には他に、好きな人が居る。だから、ごめん。お前の気持ちには、応えてやれない』



 例えその言葉がどれだけ彼女を傷つけたとしても、きっと俺は言わなければならない。だってそうしないと、ちとせはもっともっと傷つくことになるはずだから。



「──いいの、十夜。答えは返さなくて、いいの。だからあんたは、何も言わないで」



 でも俺が言葉を発する前に、ちとせがそう口を開いた。



「分かってる。今のあんたは絶対に私を選ばないって、分かってるの。でも、それでも私は、あんたに告白した。全部分かってて、私はあんたにキスしたの。……だからお願い。なにも、言わないで……」


「……ちとせ……」


 ちとせは泣きそうな瞳で、俺を見る。そして縋るように、俺の胸に顔を埋める。


「……いいなぁ。あの人はこんな風に無理やり言い寄らなくても、あんたに抱きしめてもらえる。私が何を捨ててでも欲しいあんたの腕の中に、彼女は簡単に入ることができる。……ほんと、ずるい。ずるいよ……」


 ちとせの綺麗な白い髪が、目の前でゆらゆらと揺れる。だから思わず、その頭を優しく撫でてやりたくなる。


「…………」


 でもきっと、俺にその資格はない。だから代わりに、考える。



 答えは返さなくていいと、彼女は言った。それはついこの間、彼女と一緒に考えた設定と同じだ。



 ずっと友人だと思っていた女の子に、突然告白された。でも彼女は、俺が紫浜先輩のことを好きだと知っている。だから答えは、返さなくていいと言った。



 それは紫浜先輩の気を引くための設定で、つまりただの嘘だったはずだ。



 でも現実にちとせは、それと全く同じことをした。……いやもしかしたら彼女は、あの設定を決めた時から、俺に告白するつもりだったのだろうか?



 ……俺には、分からない。



「ねえ、十夜」


 彼女が俺を呼ぶ。俺の胸に顔を埋めて、いつものように俺の名を呼ぶ。


「……なんだよ?」


 だから俺も、努めていつも通りに言葉を返す。……今はそれ以外に、できることがない。


「…………私のこと、嫌いになった?」


「なんでだよ。ならねーよ」


「……ほんと? いきなり告白して、気持ち悪いって思わなかった? いきなりキスして、嫌じゃなかった? こんな風に子供みたいに胸に縋りついて、鬱陶しいって思わない?」


「思わねーよ。俺はそんな簡単に、いや簡単じゃなくても、お前のことを嫌いになったりしない。……でも俺は……」


 俺はお前の気持ちに、応えられない。そう言って、いいのだろうか? 答えはいらないと言った彼女に、わざわざそれを告げていいのだろうか?


「…………」


 ……分からない。だから俺は、何も言えない。


「……言わないでくれるのね。私は自分勝手に想いを伝えたのに、あんたは何も言わないでいてくれる。……そういうあんたが、私は好きなの。……だからあんたを、私のものにしたい。そんなあんたの優しさを、私だけのものにしたいの……」


 背中にまわされたちとせの腕に、力がこもる。……けれど俺は、彼女を抱きしめ返してやれない。……そして同じように、振り払うこともできなかった。


「でも十夜は、私じゃなくてあの女のことが好き。あんたは私よりずっとずっと、あの女に惹かれてるの。……嫌だ。そんなの絶対に、嫌よ……。この温かさを、あんな女にくれてやるもんか……!」


 激しい雨音が、耳朶を打つ。けれどちとせの激しい鼓動のせいで、その音をとても遠くに感じる。


「だからね、十夜。絶対にあんたを、振り向かせてみせる。あんたが必死になってあの人の背中を追うように、私も必死になってあんたの背中を追いかける。あんたが私を好きだって言って、あの人にするみたいに優しく……ううん。あの人の時以上に優しく抱きしめてくれるまで、私は絶対に諦めない……!」


 ちとせはそこで、顔を上げる。そして紅く透き通る綺麗な瞳で、俺を見る。だから俺は、そんなちとせを見つめながら言葉を探す。


「…………」


 ……けれど俺は、何も言えなかった。だってちとせの言う通り、彼女のしていることは俺と同じなんだ。決して振り向いてくれないと分かっている相手に、必死になって想いを伝える。それは俺がしていることと、何も違いがない。



 なら俺に、何が言える?



 俺はどれだけ拒絶されても止まらなかったし、これからも止まるつもりはない。なら今ここで俺が何を言っても、きっとちとせは止まらないだろう。



「好きよ。十夜。だから絶対に……逃がさない」



 ちとせはそう言って、まるで見せつけるように自分の唇に舌を這わせる。そしてその唾液で濡れた唇を、ゆっくりと俺の唇に近づける。


「いや、ちとせ。悪いが、もうキスはできない」


 けれど俺は、それを拒む。さっきは不意をつかれてしまったけど、俺にとってキスはとても特別な行為だ。だからそう易々と、するわけにはいかない。


「……そ。分かった。じゃあ今はもう、我慢する」


 ちとせは俺の言葉を聞いて、意外と聞き分けよく頷いてくれる。そして彼女は、そのままゆっくりと俺の背中から手を離し、立ち上がる。






 ……ように見せかけて、彼女は勢いよく俺の首にキスをした。


「──っ。ちとせ、お前……!」


 そんなことをいきなりされると、流石に俺も振り払おうとしてしまう。けど首に走るどうしようもない感覚のせいで、うまく力が入らない。だから俺は、まるで吸血鬼に血を吸われるように、ちとせに首を差し出してしまう。


「────」


 それは時間にすれば、ほんの数秒のことなのだろう。けれど首に走るどうしようもない感覚のせいで、まるで数時間も彼女に首を吸われたような、そんな錯覚を覚えてしまう。


「……ごめんね、十夜。私、凄くわがままな女なの。だからこれからも、色んな手段であんたに迫る。こんなキスなんて序の口だって思えるくらい、もっともっと凄いこと沢山してあげる。……私はもう、我慢なんてしない。あんな風に……あんたが誰かを抱きしめてる姿を影から眺めるなんて、そんなの絶対に嫌だから」


 ちとせは俺の首に赤い痕を残して、今度こそ立ち上がる。そして思わず首を抑える俺に向かって、真っ直ぐに愛の言葉を告げる。


「だから、覚悟しなさい。未鏡 十夜。あんたがあの女を落とす前に、私が絶対にあんたを落としてみせるから!」


 彼女は胸を張ってそう告げて、そのまま俺の部屋から出て行ってしまう。


 


「……どうすりゃ、いいんだよ」


 だから俺はそんな彼女を唖然と見送ってから、ベッドの上に倒れ込む。そして、ざーざーと激しい雨音だけが響くとても静かな部屋で、しばらく無言で天井を眺める。


「ちとせの奴、傘もってんのかな……」


 最後にそんなことを呟いて、俺はそのまま静かに眠りについた。


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