うるさいです、貴女。
「……それとももしかして貴女、本当は
「────」
いきなり部室にやってきた少女、
「なにその態度。もしかして、図星? 貴女それ、恥ずかしくないの? ……あ、じゃあ、もしかしてあんなに何度も十夜のことを振ってるのも、愛情を確かめたいからとか、そんな理由? 貴女ってほんと──」
「うるさい。……御彩芽 ちとせさん。貴女の言葉は、不愉快です」
ちとせの言葉を断ち切るように、玲奈の冷たい声がこの場に響く。
「貴女が何を勘違いしているのかは知りませんけど、私はあの人のことが好きではありません。……いえ、寧ろ私はあの人のことが……嫌いです」
「なら私に、協力してくれるわよね? そうすれば嫌いな十夜に絡まれることも無くなるし、貴女にとっても悪い提案じゃないでしょ?」
「…………」
そのちとせの言葉を聞いて、玲奈は読んでいた本を机の上に置く。そして少しだけ考えるような素振りをしてから、ぽつりと言葉をこぼす。
「せっかくの申し出ですが、お断りさせて頂きます」
「理由を聞いても、いいわよね?」
「……あの人、私の話を聞いてくれないんです。私は何度も、関わらないでって言ったのに、あの人は毎日のように私の所にやって来る。だからきっと、私が何を言っても無駄なんです。……それほどあの人は、私のことが……好きなんです」
どこか見下すような、玲奈の視線。それはまるで、モテない女に自分の彼氏を自慢する女のようで、ちとせは気に入らないと言うように息を吐く。
「なにそれ、うざっ」
「でも事実なのだから、仕方がないでしょ? ……あの人は、貴女のことなんて眼中にないんです。私は迷惑ですけど、あの人は私のことが好きで好きで仕方がないんです。……ふふっ。だから私は、いつか襲われるんじゃないかと、気が気じゃありません。……あの人さっきも、ジロジロと私の胸を見ていましたし……」
そう言って玲奈は、まるで自分の胸を見せつけるように背筋を伸ばす。……その仕草や雰囲気は、十夜と話している時とは完全に別物だ。しかし当の玲奈にその自覚はないのか、彼女はどこか誇るように薄い笑みを浮かべる。
「自意識過剰な女ね。……というか、十夜が毎日あんたの所に行けるのは、私が傷心なあいつを慰めてやってるからなのよ? ……あいつ振られたらいつもいつも私の所に来て、私の胸に顔を埋めて甘えてくるの。……ほんと、まるで私に甘える為に振られに行ってるみたいに……」
「ふふっ。その薄い胸に、顔を埋めることなんてできるんですか?」
「お高くとまってる貴女じゃ分からない方法が、いっぱいあるのよ。……あいついつも、気持ちよさそうにしてるわよ?」
「…………」
「…………」
そこで2人は、黙り込んで睨み合う。
カチカチと秒針の音だけがただ響く、静かな部室。2人はそんな静か部室で、ただ真っ直ぐに睨み合う。2人の視線は、居るだけ肌が裂けるほど冷たくて、永遠のように沈黙だけが広がり続ける。
しかしそんな沈黙を破るように、ふと小さな笑い声が響く。
「ふふっ」
ちとせはそう、笑みをこぼす。そして、まるで小馬鹿にするような目つきで、呆れるように玲奈を見る。
「……何が、おかしいのですか?」
「だって貴女、バカみたいなんだもん。私がここに来たのは貴女の為でもあるのに、つまらないことでマウントとって……ほんと、バカみたい」
「私の為、ですか。……私は誰かの為なんて言葉を吐く人間は、信用しないようにしてるんです」
「そ。別に私も、貴女に信用して欲しいなんて思ってないわ」
「ならもう、帰って頂けませんか? いい加減貴女と話すのも、疲れました。……不愉快です」
「……そうね。でも最後に一つだけ、忠告させてもらうわ」
「…………」
玲奈は黙って、先を促す。だからちとせは雪のように白い髪をなびかせ、弾む声でその言葉を口にする。
「十夜はね、貴女のことが好きで告白してるわけじゃないの。あいつは貴女の……冷血吸血鬼の秘密が知りたくて、告白してるだけなのよ。だから貴女も、あまり勘違いしない方が──」
「──煩い」
ちとせの言葉を遮るように、そんな声が響く。それは口論で負けそうになった子供が最後に言うような、意味のない言葉だ。けれどそのたった一言で、ちとせは思わず後ずさる。
「……っ」
「もう帰ってください。貴女のことも、あの人のことも、私には関係ないし興味もありません。だから早く、私の前から消えてください」
有無を言わせぬ、玲奈の言葉。その言葉を聞いて流石のちとせもこれ以上煽るのは不味いと思ったのか、軽く息を吐いて背を向ける。
「……分かったわよ。もう言いたいことは言ったし、帰らせてもらうわ。でも貴女……いつまでも求めてもらえるなんて思ってたら、痛い目見るわよ?」
「…………」
ちとせのその言葉に、玲奈は何の言葉も返さない。だからちとせはもう一度大きく息を吐いて、そのまま部室を後にする。
だからこの場にはまた、潔癖なまでの静寂が戻ってくる。
「……疲れた」
玲奈はそんな静寂に安堵するようにそう呟いて、読みかけの本に手を伸ばす。
……けど気づけばもう日が暮れていて、辺りは冷たい夜の闇に飲まれている。
「…………」
だから玲奈は本の方に伸ばした手を止めて、ゆっくりと立ち上がる。
そして窓越しに欠けた月を眺めて、
「くふっ」
まるで本物の吸血鬼のように、凍えるような笑みを浮かべた。
そうして今日はひとまず、少女たちの戦いは終わりを告げた。
◇
そして、紫浜先輩との話を終えた俺は、今日の報告をしようといつもの空き教室に向かっていた。
「やや。十夜先輩じゃないですか。こんにちは」
しかしその途中、ふと背後からそんな声が響いて振り返る。
「……お、黒音か」
するとそこには、人懐っこい笑みを浮かべた後輩の少女──
「はい。黒音です。黒音は今日も十夜先輩に会えるのを唯一の楽しみに、学校に来ておりました」
「そうか、偉いな。頭撫でてやるよ」
「ふふっ、やめてください。くすぐったいですよ、先輩。……ふふっ」
そしていつものように頭を撫でてやると、黒音は嬉しそうに声を上げて、大きな胸をたゆんたゆんと揺らす。
「…………」
「あ、先輩。またおっぱい見てる。……そんなに黒音の胸が、気になりますか?」
「いや気になるつーか。つい見ちゃうんだよ」
黒音はぱっと見、小学生のような見た目をしている。けど何故か、胸だけが不釣り合いにでかい。だからついつい、そちらに視線がいってしまう。
「そういうのダメですよ? 十夜先輩。……いや、黒音は別に先輩になら見られても触られても気にしませんけど、でも先輩には好きな人が居るんでしょ? ならそんなにジロジロ見ても、昔みたいに触らせてあげませんよ?」
「分かってるよ。……って、勝手に記憶を捏造するな。お前の胸を触らせてもらったことなんて、今まで一度もないだろ?」
「ふふっ。そうでしたっけ?」
黒音はそう言って、楽しそうな笑みを浮かべる。
「あ、そうだ。ねぇ、十夜先輩。また、部室に寄って行きませんか? 黒音、先輩と一緒にゲームがしたいです」
「…………」
そう言われて、少し頭を悩ませる。……別にいつも約束してるわけではないが、紫浜先輩に会いに行った後は、ちとせの所に報告に行くのが習慣になっている。だからきっと、今日もあいつは俺のことを待ってくれているのだろう。
……けど黒音の真っ直ぐな瞳で見つめられると、どうしても断る気になれない。
だからちとせには悪いが、今は黒音と遊ぶのを優先させてもらおう。……まあ、あいつには後でメッセージを送っておいて、夜にでも電話すればそこまで怒りはしないだろう。そう結論づけて、軽い笑みを浮かべて言葉を返す。
「分かった。じゃあまた、チェスでもするか」
「やった! やっぱり十夜先輩は、優しいです!」
はしゃぐ黒音に手を引かれて、ボードゲーム部の部室に向かう。
だから俺は、文芸部の部室で繰り広げられていた2人の言い合いになんて、気づくはずもなかった。
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