聞いてください。先輩!



 そしてまた、夕暮れ。俺は大きく深呼吸をしてから、紫浜先輩の居る文芸部の部室に足を踏み入れる。


「こんにちは、紫浜先輩」


「…………」


 俺の言葉を聞いて、先輩はちらりとこちらに目を向ける。けどすぐに視線を、手元の本に戻してしまう。


「ここ、座らせてもらいますね」


 しかし俺はめげずにそう言って、先輩の正面に腰掛ける。


「…………」


「…………」


 そしてしばらく、沈黙。きっと俺がこのまま何も言わなければ、彼女はずっと黙ったまま本を読み続けるのだろう。


「……ふっ」


 しかし今日の俺には、とっておきの作戦がある。だから俺は不敵な笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開く。



「紫浜先輩。実は俺……告白されたんですよ」



「……!」


 俺の言葉を聞いて、紫浜先輩はビクッと驚いたように肩を揺らす。



 そして、




 そしてそのまま、当たり前のように本のページをペラペラとめくる。多少顔が赤い気もするがそれはきっと夕日のせいで、だから紫浜先輩に大きな変化は見られない。


「…………」


 しかしそれは、想定内だ。嫌われているであろう今の俺が告白されたなんて言っても、彼女は何も思わない。



 だから本番は、ここからだ。ここから恋愛相談という形で、先輩と言葉を交わす。そうすれば多少は、先輩と打ち解けられるはずだ。



 俺はそんなことを考え、口を開こうとする。……けどそれより早く、紫浜先輩が口を開く。



「つまり貴方は、その人と付き合うことにしたのですね。……あんなに私のことを好きだと言ったくせに、そんな簡単に……鞍替えするのですね。最低です。死んでください」


「……え?」


 先輩の視線は、変わらず本に向けられたままだ。けれど声が少し震えていて、なんていうか……いつもの紫浜先輩らしくない。だから俺は驚いたように、先輩の顔を覗き込む。


「先輩? どうかしたんですか?」


「……見ないでください。最低です。不潔です。死んでください。……どうせ貴方は、いくら告白しても振り向かない私より、その子の方がいいって言うんでしょ? なら早く、私の前から消えてください……!」


 先輩はそこで初めて、俺を見る。その瞳はこちらを射抜くように鋭いけど、いつもの冷たさが感じられない。


「いや、何を言ってるんですか、先輩。俺はそんなこと、言いませんよ? 俺はただ、その……ずっと友人だった子にいきなり告白されて、どうしていいか分からないんですよ。だから先輩に、相談しにきたんです」


「……意味がわかりません。どうして私に、相談するんですか」


「その言葉はもっともなんですけど、でも俺……先輩以外に頼れる人が居ないんです」


「…………」


 そこで紫浜先輩は、息を吐く。そしていつもの冷たい瞳で、俺を見る。


「一つだけ、確認させてください」


「はい。なんですか?」


「貴方は……その、私のことが……好きなんですよね?」


「……そうですよ」


 想像していなかった問いに驚きながらも、俺はそう言葉を返す。


「なら、一体なにを悩んでいるんですか? その……私のことが好きだと言うのなら、それをその子に伝えればいいじゃないですか。……それとも貴方はやはり、自分に好意を寄せてくれる都合のいい女は、キープしておきたいと思うのですか? ……最低です。死んでください」


「いや、違いますって。えーっと、そうじゃなくて……」


 俺はそこで言葉を止めて、考えてきた設定を思い出す。そして紫浜先輩が不審がる前に、口を開く。


「告白してくれた奴とは、ずっと友人だったんですよ。だからそいつは、俺が先輩のことを好きだって知ってるんです。でもそれなのにそいつは俺に告白してきて、しかも返事は要らないって言うんです。……だから色々、考えちゃうんですよ。本当に返事をしなくていいのか、とか。普段通りに話していいのか、とか」


「それで私の所に、来たというわけですか。……いい迷惑ですね」


「ですね。それは本当に、申し訳ないです。でも俺には、先輩しか頼れる人がいないんですよ。だから少しでいいんで、話を聞いてくれませんか?」


 俺はそこで立ち上がり、お願いします、と頭を下げる。


「…………」


 紫浜先輩は、そんな俺を黙って見つめる。頭を下げているから彼女の表情は窺えないが、真っ直ぐにこちらを見ているのは分かる。



 だから俺はただ黙って、頭を下げる。




 ……するとぽつりと、とても小さな声が響いた。





「──振ればいいじゃない。そんな女」





「……え?」


 俺は驚いて、顔を上げる。すると冷たい冷たい瞳をした紫浜先輩と、目が合う。


「なんですか?」


「いや、今なにか変なこと言いませんでした?」


「言ってません。私は何も、言ってませんよ。……なんですか? もしかして私のこと、からかってるんですか?」


「違います。そうじゃなくて……いや、何でもないです。忘れてください」


 ふと響いた声は、きっと気のせいなのだろう。俺はそう自分に言い聞かせて、口を閉じる。


「……もういいです。それより、貴方に恋人ができるのは、私にも無益なことじゃありません。だから……うん。恋愛相談くらいなら、乗ってあげます」


「ほんとですか!」


「はい。でも一つだけ、条件があります」


 紫浜先輩はそう言って、立ち上がる。そしてゆっくりと、俺の方に近づいてくる。


「────」


 濡れたような、綺麗な黒髪。氷のように冷たい瞳。そして思わず目を奪われる、完璧なプロポーション。その姿はいつもの紫浜先輩と、何も変わるところがない。



 なのに何故か、背筋にぞくりと悪寒が走る。



「未鏡 十夜さん」



 先輩が、俺の名を呼ぶ。それはきっと初めてのことで、でもそれに何かを感じる前に、彼女は続く言葉を口にする。



「貴方の恋愛相談に乗るのは、構いません。面倒ではありますが、それくらいなら付き合いましょう。でもその代わり……私の悩みも、聞いていただけませんか?」



 赤い夕焼けが、彼女の白い頬を染める。その姿はまるで一輪の花ように可憐で、でもだからこそどこか……人間味が無い。


「はい。構いませんよ、それくらい」


 けれど俺は、臆することなくそう返す。……だって俺は、知っている。この先輩が普通ではないと、俺は初めから知っている。


 だからこれで、いい。少しでもこの先輩に近づけるのなら、この作戦は間違っていないはずだ。


「では少しの間、よろしくお願いしますね?」


「こちらこそ、よろしくお願いします。紫浜先輩」



 そうして紫浜先輩と俺の関係が、少しだけ前に進んだ。



 ◇



 紫浜しのはま 玲奈れなは、未鏡みかがみ 十夜とうやが部室から出て行ったのを確認して、とても小さく息を吐く。


「……バカな人」


 玲奈は何故そんなことを呟いたのか、自分でも分からなかった。けれどその呟きのおかげか、ずっとドキドキとうるさかった心臓の鼓動が、ゆっくりと落ち着いていく。


「…………」


 だから文芸部の部室は、すぐに潔癖なまでの静けさに包まれる。




 ……しかしその静けさは、不意に響いた声に打ち破られる。





「随分と、お疲れみたいね」


 御彩芽みあやめ ちとせ。十夜の友人である彼女が、作ったような笑みを張りつけて、文芸部の部室に姿を現す。


「……誰ですか? 貴女……」


 そんなちとせの姿を見て、玲奈は不審そうに眉をひそめる。


「私は、御彩芽 ちとせ。十夜に告白した女よ」


「……そうですか。それで一体、何のようですか?」


「決まってるじゃない。私は貴女に、十夜を説得して欲しいのよ。……自分のことを、諦めてくれないかって」


「…………」


 玲奈は言葉を返さない。彼女はただ氷のように冷たい瞳で、ちとせのことを睨みつける。


「何で睨むのよ。だって貴女、十夜のこと嫌いなんでしょ? なら別に、いいじゃない。……それとももしかして貴女、本当は十夜のことが好きだとか、そんなバカなこと……言わないわよね?」


「────」


 そうして十夜の知らないところでも、事態は少しづつ前に進む。


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