シイナとは中身のないもの

「はあ、はあ、はあ」


 校門を飛び出した、手を膝につけて息を切らせる。この動悸は全力で走ったためか、恐怖からか、あるいはその両方か。


「間違いない……彼女が……シイナノゾミがこの異常な出来事を引き起こしているんだ……!」


『プルルルルル!!』


 その時、不意に携帯の着信がなる。誰からかかってきたのか確認すると、『シイナノゾミ』と画面には表示されていた。


「……!」


 背筋に寒気を感じた俺は着信を切り、彼女の番号わ着信拒否に設定する。しかし、


『プルルルルル!!』


 着信を拒否したにもかかわらず『シイナノゾミ』からの着信が止まらない。


「電源を……いや、それだけじゃダメだ!」


 俺は校内の噴水に向けて勢いよく携帯を放り投げた。ポチャンの水の跳ねる音がする。


「は、はは。流石にやりすぎたかな?」


 そう口ではいうが、心の中は安堵に満たされていた。しかし、


『プルルルルル!』


 俺のポケットの中から、さきほどと同じ着信音が鳴った。まさか、そんなはずがあるわけがない。さっき携帯は噴水に投げ捨てた筈だ。


 しかし、無情にもポケットから出てきたのは、さっき投げ捨てたはずの、その携帯であった。その着信には『シイナノゾミ』と表示されていた。


「……もしもし?」


 意を決して俺は電話に出る。こうなったら直接彼女に聞いてやる。


『あっ、ツカサ?ごめん。急に走って行っちゃったからどうしたのかなって、私何か気に障ること言っちゃったかな……』

「……なにとぼけてるんだよ」

『とぼけてるって、え?』

「この異常な状況は、全てお前が引き起こしたことなんだろ!?」

『……ごめん、わからない』

「わからないってなんだよ!初めお前のことを知らないって言っていたクラスメイトがホームルームの後には知っていたって言ったり、俺が解いた問題は大問1だったのにお前は最初に当てられたのが大問2だって知ってたり、すっとぼけるのもいい加減にしてくれよ!何が目的でこんなことをするんだよ!」

『目的って……そんな、私は……』

「俺はお前が怖くて怖くて仕方ないんだよ!お前と一緒にいると、自分がおかしくなるんだ!」

『まってツカサ、お願い、切らないで……」


 俺は通話を切った。彼女の悲しそうな声を聞くと胸が痛む、だが、この心さえも彼女の現実改変を受けているのだとしたら……。


「お願い、もっと私と話して。私、ツカサに嫌われたくない」


 俺の背後から、声が聞こえた。気配も、足音すらも無かったのに。しかし、もう驚きはしない。ゆっくり後ろを振り返ると、そこには携帯を片手に涙を一筋流したシイナノゾミが立っていた。


「電話越しじゃなく、直接向かい合えば、きっと分かり合えるよ。ね?」

「……消えてくれ」

「……」

「俺のことを思うなら、もう俺の目の前に現れないでくれ」


 俯き、腹の奥底から無理やり絞り出すように、そう呟く。そしてもう一度前を向くと、そこに彼女の姿は無かった。


 *


 俺は重い足取りで帰路についていた。家までの距離がとても遠く感じる。


「いや、憂鬱になる必要なんかない。この気持ちすら彼女の意思によるものかもしれないんだぞ……!」


 そして住宅街を歩いていると、前方からスーツを着た二人の女性がやってきた。片方は新人なのか落ち着かない様子であり、もう片方は経験豊かなのか落ち着いた様子だった。そして俺を見るなり二人は声をかけてくる。


「あー、そこの君。ちょっといいかな?」

「……なんですか?」


 何かの勧誘だったら走って逃げてしまおう。そう考えていると、新人の女性が写真を一枚取り出した。


「この服装の子を、どこかでみませんでしたか?」


 その写真は監視カメラだろうか、真ん中に荒い画質で一人の人物が写っていた。それは雨ガッパのようなものを被った小柄な人物だった。顔は隠されて見えない。それにも関わらず、俺はその人物と以前会ったかのような懐かしさを感じていた。


「……いえ、知りません。すみません」

「そうか、すまない。手間をかけたね」


 そう言って二人は写真を懐に戻して去っていく。


「………彼女………力…………無意識……」

「……制御………………不完全………保護……」


 去っていく二人の会話に耳を澄ませると、不明瞭だがいくつかの単語が聞き取れた。まさかあの人たちが探している人物というのは……。もしかしたら、彼女にも彼女なりの事情があったのかもしれない。


 ……考えても無駄なことは、考えないようにした。


 *


「ただいま」


 家につき、自分の部屋に向かう。もしかしたら彼女が部屋にいるかもという疑念が浮かんだが杞憂に終わった。本棚からアルバムを何冊か取り出す。幼少期の写真には、俺と一緒にシイナノゾミも写っていた。しかしもちろんその思い出は俺にはない。

 ……だけど、彼女の中にだけはその思い出はあるのかも知れない。だったら、その気持ちだけは、否定してはならない。


 俺はアルバムを持って母の下に向かう。


「母さん、このアルバムなんだけど……」

「あら、懐かしいわね〜。あんたもこの頃は可愛くて……で、なんで急に?」

「子供の頃のことはよく覚えてないからさ……母さんの口から聴きたいと思って」


 そしてアルバムを開く、しかし姿


「……え?」


 ありとあらゆる写真に写っていたはずの、シイナノゾミの存在が、痕跡が、影も形も亡くなっていた。まるで元のあるべき形に戻ったかのように。


「まさか……」

「ツカサどうしたの?」


 俺は自分の携帯を開く。そこに彼女の連絡先は無く、メッセージも消え去っていた。


「まさか本当に、俺の前から完全に消えるために……!」


 目の前に現れるなと言ったのは俺だ。それなのに、行き場のない怒りが、俺の心を突き動かそうとする。この怒りは、きっと俺自身に対する怒りだ。


「ふざっけんなよ……!」


 俺は家を飛び出し、学校に向けて走り出していた。

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