現実が塗りつぶされていく
シイナノゾミを名乗る彼女は、まるでそこが定位置だったかのように、俺の隣の席にすとんと座ったを
「お前……隣のクラスじゃなかったのかよ!」
「え?私たちは同じクラスだけど……あっ記憶喪失だったよね……めんごめんご」
彼女はヒソヒソ話をいう時のように俺の耳に口を寄せていう。いや、おかしい、これは記憶喪失とは関係ない、さっき彼女自身が「自分は隣のクラス」だと言っていたじゃないか。
「だいたい、なんで俺の隣の席なんだよ!だってその席は……!」
その席は……そこから先の言葉が出てこない。そこには誰が座っていたんだ?わからない。昨日までずっと俺の隣の席に座っていたはずの誰かがわからない。そして次第にずっと前から彼女が俺の隣の席だった気がしてきたのだ。そんなはずはないのに。
「やっぱりツカサは今日調子が悪いみたいだね……大丈夫?保健室いく?」
「調子なんて悪くない!だいたいおかしいだろ!お前がその席に座ったら、座れなくなる生徒が……!」
そう言って辺りを見渡す。席がなくて座れていない子は……居なかった。まるで初めから彼女の席が用意されていたかのように、全員が席につき授業を受けている。そしてシイナノゾミの存在を当たり前のように受け入れている。
「おかしいのは……俺の方なのか?」
*
「今日はそっとしておいたほうがいいかもね」
彼女はそう言って、俺に話しかけることをせず黙々と授業を受けていた。いつものノゾミと比べて考えられないことだ。やはり俺のことを心配してくれているのだろうか。
……まて?なんでいつものノゾミと比べてなんていう思考が思い浮かんでくるんだ?俺はいつもの彼女のことなんて知らないはずだ。俺の記憶は、思考は、一体どうなっているんだ?
「ツカサくん、大問2の問題を解いてください」
その時、悩んでいる間に先生に問題を当てられてしまった。まずい、集中出来なかったため大問2は解けていない。大問1なら解けていたのに、黒板の方では同じように当てられたクラスメイトが大問1の答えを書き記している。
「はっ、はい!」
必死に問題とにらめっこをしてなんとか解答を捻り出そうとする。しかし間に合わないことは明白だ。
「どうしました?大問1ですよ?」
え?
いざ黒板に目をやると大問1の部分は空白になっており、さっきまで解答を書いていたクラスメイトは席についてあくびをしている。
「解けてないなら解けていたところまでを……」
「い、いえ。いま書きに行きます」
席を立って黒板に向かう途中、シイナノゾミの小さく、つぶやくような言葉が聞こえた。
「大問1なら解けるよね」
なぜ彼女は俺が大問1までしか解けていなかったことを知っていたのだろう。俺の答案を覗いたのか、それとも……
考えても無駄なことは、考えないようにした。
*
いつものように授業は進んでいき、昼休みに入る。結局、一人として彼女の存在を疑問視する者は居なかった。俯いて思考をかきめぐらせていると、シイナノゾミが弁当箱を持って俺の前にやってきた。
「はい!今日もお弁当作ってきたよ!……あ、記憶喪失か。ふっふーん、ならこの豪華絢爛さに驚くがいい!」
彼女は意気揚々と弁当箱の蓋を開ける。そこにはハンバーグやエビフライ、ウインナーなど、見事に俺の好物ばかりが入っていた。
「お、おう。いつもありがとう」
いつも?なんで俺の口からそんな言葉がとびだす?
「はい、あーん」
彼女はウインナーを箸で掴み、俺の口に持ってくる。俺はまるで操られるかのように口を開き、咀嚼した。
美味い。ぷりっぷりのウインナーから肉汁が弾け飛ぶ。俺は彼女への不信感を忘れ、貪るように彼女の弁当を平らげた。
「えっへへ〜、ツカサ、ウインナーを美味しそうに頬張ってましたなぁ。あれ自信作なんだ〜。ウインナーといえば焼くか煮るかだけど、今回はネットでみた動画を参考に水をちょっと入れてボイル焼きみたいにしてみたんだ。好評のようでなにより!」
そう言う彼女の笑顔を見ると、俺の悩みなど杞憂のように思えてくる。昼休みは終わり、午後の授業が始まる。そして放課のチャイムがなった。荷物を持った彼女が話しかけてくる。
「ツカサ、今日はツカサの家で勉強会の予定だよね。置き勉せずに、ちゃんと教科書は持ち帰ってよ〜?」
「は?そんな約束してたか?」
「してたじゃん。昼休みに」
「……え?」
そんな記憶はない。昼休みの思い出は彼女が作ってきたお弁当を食べた。それだけだったはずだ。
「忘れたのー?ちゃんと携帯見てよ、ツカサがトイレに行ってる間にメッセージのやりとりしてたじゃん」
彼女に言われて自分の携帯を開く。そこにはこんなメッセージが交わされていた。
『今日はツカサの家で勉強会!するよね?』
『またか?たまにはゲームしたいんだけど……』
『学生の本分は勉強!今日先生に大問2を当てられて解けなかったんだから!』
『あーはいはい、わかりましたよ』
『なーんかやる気なさげ。そうだ!勉強が終わったらゲームをする!一緒に!これならどう?』
『それならまあ、じゃあ放課後俺の家で』
確かに、メッセージには勉強会の約束が交わされていた。だがしかし、このようなやりとりの記憶は俺には全くない。
「ね?約束してたでしょ?」
「ああ……」
だがそんなことよりも、俺には気になることがあった。
「ノゾミ、俺が当てられたのは大問1で、ちゃんと解けてたんだぞ?」
突然、彼女の顔が真顔になった。そして抑揚のない声でこう呟いた。
「ああ、そうだね。そうだったね」
背筋が凍る。そして俺は、脱兎の如く教室を飛び出し、逃げるように校門へと向かって行った。
「はぁ、はぁ、はぁ」
間違いない。彼女は、彼女は──
この現実を塗りつぶしている。
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