第五章※痛みのない身体で守りたかったモノ
第27話 一族郎党皆殺しの罪
俺は、はじめから久遠を守ることしか考えていなかった。
『わたしと一緒に来なさい。そして、永遠に尽くしなさい』
まるで昨日のことのように思い出せる。五年前、久遠と同じ目線になって手を繋いだあの日から。皮肉にも昨日、離れ離れになってしまうまで。ずっと久遠と寄り添って生きていく未来しか見てこなかった。
今は、久遠が死んでしまったかもしれない不安で胸が痛む。
『わたしは誰かを救いたかったわけじゃない。わたしはあなたを救いたかったのだから。あなたを救えるのなら、あなたの家族だって、どうでも良かった』
一族郎党皆殺し。
そうして奇跡的に生き残り這う這うの体ですらなかった俺は雨の冷たさを、人の温もりを、傷つく痛みを、生を、知った。九頭龍久遠という少女の治癒能力によって、救われた。
久遠を好きになって、久遠の為に命を使うと決めた。
それ以外の全てがどうでもいいと思えるような生き甲斐ができた。
そう思っていた。
そもそも全ては俺の朧げな記憶に則っての話だ。
今や両親の顔も思い出せず、行きつけの理容室の店員の顔は覚えられず、幼馴染との幼い頃の思い出は嫌なものばかり、ましてやついさっきまで妹の存在も許嫁の存在も知らなかった。
忘れていたのではない。まるで初めから存在していないかのように思い出せないものが多すぎる。嫌な思い出ばかりが残っている。十四歳よりも前の記憶は嫌なものばかりだ。
ずっと間違えてきたのかもしれない。
ずっと、嘘を吐いてきたのかもしれない。
それでも黄昏時の海辺なら何か思い出せるような気がした。
本当のことがわかる気がした。
気がした、だけだった。
「こんなものですか。お兄さんの、一族郎党皆殺しにした力は」
九本のナイフで十字に貫かれ、ナイフと一緒に身体が堕ちた。
波の音に砂を踏む音が重なる。ザクザクザク、幻想の砂浜を削る音。執事が近づいてくる。終わらせるために。
何に。
俺の命か、因縁か。
「……そうか。俺が、殺したのか」
「ええ、そうです。五年前、貴方はボクらの父を始めとする親族を皆殺しにした」
俺は、どうして――。
「どうしてかは聞きません。方法も問いません。重要なのは貴方がボクの家族を奪ったということ。そしてボクは今この瞬間、その復讐を成すということ。それだけです」
十本目のナイフが逆手で突き付けられる。右側の夕日に執事が陰る。陰ってなお、身体への負担が大きいのか腹筋がてらてらと輝いていた。
「復讐は……無意味だと、思わないか?」
「たしかに貴方からすれば無意味でしょうね。ボクのことも忘れて会ったこともない女と五年間もお楽しみだったくらいですし。でも、ボクにとっては違う。ボクはずっと貴方のことだけ考えて生きてきた。ボクの人生は、無意味なんかじゃない。それを今、証明します」
「……いや案外、俺たちはちゃんと兄妹なのかもしれないよ」
「そろそろ両親の顔でも見えたんじゃないですか? ボクは名乗った通り、十六夜の血脈を持ち貴方と血の繋がった妹です」
「ははっ、いやいや違う、そうじゃない。ずっと誰かのことを思い続けるなんてそんな意味のあること、まさしく俺の妹だなと思ったんだよ。もしかしてブラコンだったりするのかな?」
「……お喋りは終わりです。貴方の命も終わり。ボクの復讐も終わり。今際の際でブラコンかどうかなんて、馬鹿馬鹿しい」
「終わらないよ。何も」
ナイフを振り下ろされれば死を以て負ける。そこまでの距離に執事は立っている。全身に力を籠めると全てのナイフが抜ける。ついでに筋肉の大きい場所だけ筋力で圧迫止血を行った。ふくらはぎと踵に力を入れ、ほぼ寝たきりの態勢で立ち上がり、掴みかかる。
わかっていて当たり前とでも言うように、呆れ顔で受け身代わりのナイフが迫る。
「今度こそさようならです、お兄さん」
囁きが鼓膜をくすぐった。
額でナイフを受ける。
そうしてナイフを受け流す、つもりだった。
がつっ、と頭蓋骨とナイフの接触した鈍い音がした。骨が削られている。ナイフが軋む。
ナイフが砕け散る音は硝子の割れる音と大差なかった。
呆れ顔が驚きに満ちて、少しだけしてやったような気分になる。
「ごめんよ。頭の固さには自信があってね。たぶん心臓にも毛が生えてるし、もちろん神様なんざ信じちゃいないから祈りもしない」
頭突きはしない。
代わりに肩を掴み押し倒した。
四つん這いで、両手足を押えれば、流石にナイフは使えないだろう。痛みに歪んだ顔と吐息を受けるとしてやったような気分は罪悪感じみたものに変化した。
「形勢逆転、とでも思いましたか?」
「いや、逆転する必要はない」
何か、機械の駆動するような高い音がした。右脚の義足、よりも近い。右腕?
機械製の腕が俺の左腕を押し退けるべく振動し、拮抗し始めている。
機械の駆動音は今や異音と化し、俺の腕もみしみしと軋み始めていた。
「強がりを……っ」
「いいんだ。何年も一途に思ってくれた礼みたいなものだと思ってくれても構わない」
「馬鹿に、するな……っ」
俺は痛みを感じない。久遠は俺に傷を隠すなと、傷つかない戦い方をしろと――一人で戦うなと――命じていた。いずれにせよ、そんな器用な真似は俺にはできそうもない。昨日、千鳥にやられた首も、体中に突き立ったナイフも、自分で見るまで気が付かないような戦い方しかできない。
小枝を踏みつけたような音が、俺の左腕から聞こえた。
「もし久遠が生きていて、九頭龍家に連れ戻されていたとしたら、久遠はこれから先、永遠に俺たちが及びもつかないほど酷い目に遭い続けることになる。お前のことは覚えていないけど、お前も分家の人間なら覚えがない訳じゃないだろう? だから、お願いだ。もう少しだけ待ってくれ。俺は久遠の為に生きると決めた。だから、死ぬときはお前の為に死ぬ。約束だ」
家族を失った痛みは感じない。でも目の前の妹は違う。家族を失ったのが痛くて、痛みが消えないものだと知りながら、痛みしか残っていないから痛みを和らげるために復讐を志し続けたのだ。それは本来なら俺が最も知るべき痛みだと思っていた。でも違う、俺にその痛みを感じる資格はない。傷つけて、痛みを与えたのは他ならない、俺自身なのだから。
今にも泣き出しそうな笑顔だった。
近づけば近づくほど鏡を見ているような心持ちにさせられる。
荒々しい呼吸に伴って腹部が激しく上下していた。そうして腹筋の
勢いよく執事から離れる、というより軽く抱き上げられてしまった。蝋人形のような腕が腰に巻き付けられ、濃い血の匂いがした。みこっちゃんに抱き上げられ、執事との間には千鳥が滑り込んた。滑りのいい床と靴の間からはゴムの削れる音がして、千鳥はホイッスル代わりに4人分の声量で以て指を差す。
「はいはいはいはい二人ともしゅーりょーってかガチり過ぎ。六花、ウチ私情を挟むなっていったよね? ゆっきー、くーろんいないんだから傷の手当が間に合わないって忘れちゃったの? すっごーい、三歩歩いたら忘れるフレンズなんだね。とにかく感動の再開と結婚式ごっこは後日に回してちょーだいね」
執事は屈服した様子もなく、ゆっくりと立ち上がると背を向けた。壊れた右腕を押さえ、肩を竦めた。こちらを睨みつけるように頭だけ動かして、こちらを見ている。
「――兄さん。ボクは、貴方のことを許したわけではありません。約束も交わしません。だから、いつでもボクに殺される覚悟をしておいてください。いいですね?」
んべっ、と突き出された舌にはピアスが付いていた。お前、戦闘中だってそんな顔しなかっただろうが。
「ねえ六花。アンタってもしかして、ツンデレ?」
お前がいうな。とでも言いたげな表情が、鏡写しの顔に浮かんでいた。
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