第8話 ゴスロリお嬢と黒スーツ
さて、そんなこんなで翌日、六月十日。俺は朝一で行きつけの美容室に赴いて、名前のない美容師に髪を切られたのち、姦しい幼馴染と再会を果たし、父親呼ばわりされて昼に至る。
昨日の夕飯の残りと可哀想なお魚さんを調理して、昼食。
久遠は食わず嫌いを一つ克服し、俺たちは電車を乗り継いで九頭龍家に向かっていた。提案したのは九頭龍家次期当主(自称)にして九頭龍分家次期頭領(自称)、九頭龍久遠その人である。
「のど渇いた」
と最寄り駅に着くなり自販機で買った砂糖マシマシミルクティーを手の中で弄ぶ姿は、目的地に近づくほど俯いていく。俺の体重を増やす原因となっているバックパックの中身では駄目なのか問うと、今はミルクティーの気分だったらしい。たしかにミルクティーのストックはなかった。
「最初に一番強い奴から倒すのがセオリーでしょう?」
などと手の中の砂糖と同じくらい自信たっぷりに八重歯を見せて笑った奴とは思えない。きっと輝かしく普遍的なRPGの常識よりも血生臭く非常識な路地裏の常識に生きているのだろう。九頭龍が如く。
「勝算は?」
同じ笑顔のまま、俺を指差すものだから、笑うしかない。
今日の久遠は十四歳の姿で、久しぶりに外に出るためのおしゃれをしていた。曰く、コンセプトは『変装』らしい。電車を待つ間、駅のホームでのことだった。
「そのマスクと、サングラス、意味ある?」
「変装よ、へ・ん・そ・う」
凛とした佇まいを足元から頭の先まで舐めるように眺め、正直な感想が漏れる。
「嘘だろ……?」
「残念、現実を認めなさい」
物言いでこそ大胆不敵だが、日傘の下の久遠はこちらを見ない。そっぽを向いた先には鈍色の曇天しかない。しかし、悲しいかな、久遠のいう通り現実は現実だ。久遠はマスクと安物のサングラスを着けていた。変装と久遠は言ったけれど、支度をしている内に日が傾き始め、現在時刻は四時過ぎ。視線が痛い。
何度舐め回すように見ても、上下ともに黒を基調として、至る所にフリルのついた服である。頭にもモノクロのリボンとカチューシャを着けているが髪型は特に拘っていないようで、癖の一つもない黒髪を膝まで伸ばしっぱなしにしている。白いタイツがただでさえ細い脚を強調して、全体的にどこか作り物めいた印象を受ける。
「このご時世に、目立ちたくないのにゴスロリはちょっと」
サングラスとマスクがなければ、立派な西洋人形だ。
「だって、外出用の服、他にないもの」
弄ばれてくるくる回る日傘の向こうから、そんな声が聞こえた。
「黒セーラーはまだ取ってあっただろう?」
「あれだと大きいの」
そういって、俺に日傘を差し出した。代わりに俺は封を開けて間もないミルクティーのペットボトルを差し出す。久遠はマスクを捲り、薄っすらと湿った唇を露出した。
身体の方を大きくすれば済むのではないか。と、考えこそしたものの口にはしなかった。不便をとっても余りある拘りは優先させるべきものだ。何より、俺はどちらも好きだから問題ない。
思い立って再び、持ち物を取り換える。
「ちょっと、何するの?」
「この方がお綺麗ですよ、お嬢様」
そういって、俺はサングラスを奪い、自分の眼に着けた。肉眼でも薄暗かった世界は一層暗くなり、世界はモノクロに染め上げられて、白い部分だけが夜空の星のように明瞭になる。一つ欠点を挙げるとすれば、久遠のルビーのような瞳が俺と相違ない黒い瞳に見えてしまう点だ。
「あ、当たり前でしょ?」
久遠の顔は日傘に隠されて見えない。しかしその回転力は当社六倍。
ところで俺の格好も、今日も今日とてブラックスーツとブラックワイシャツとブラックネクタイで喪服を超えるブラックスタイルにつき、九頭龍家次女の執事兼護衛兼側近の役割を与えられていなければ、他人のことなど口に出来ないのであった。
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